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君に恋する日々 5
*万屋でーとの日*




それは本日の近侍を務める光忠に与えられた審神者からの小さな主命だった。


「お遣い?」

「ああ、お遣いだ。ちょいと万屋まで買いに行って欲しい物がいくつかあるんだ。」


この紙に書いてあると審神者が折り畳まれた紙を見せてくる。文机に向かって筆を動かす手を休ませることなく、もう片方の手から渡されたそれを受け取った光忠はざっと目を走らせる。そこには半紙や便箋、筆記具などの日常の執務に欠かせない文具類の名が書き連ねられていた。


「小間使いみたいなことまでさせて悪いが、他に頼める者も居ないしな。」


主命至上主義のようなへし切長谷部が聞いたら、どんな主命であれ是非ともこの長谷部にお任せ下さいとその機動力でここまですっ飛んで来そうだが、生憎と今日の近侍は光忠だ。


「光忠、頼まれてくれるか?」


眉尻を下げる審神者に、大丈夫だよ、任せてくれとにっこり頷いた。


「1人で行くのもいいが、誰かと一緒に行ってくれて構わない。それに俺の分を買ったら、ゆっくり自分の買い物もしていいからな。」


審神者は光忠にお遣いが済んだら自分の買い物をしてもいいと言った。歴史修正主義者との戦いに身を置く刀剣男士達にはそれぞれ一定額の給与が渡されており、万屋で買い物が可能なのだ。光忠もスーツや服飾品などを新調する時にはその給与をやりくりして万屋で用立てている。


「ありがとう。そうだね、せっかくだから楽しんでくるよ。」


ああ、息抜きしてこいよと笑顔で見送られ、光忠は審神者の執務室を後にした。渡り廊下に出れば自然と足取りが軽くなっていく。主は誰かと一緒に買い物をしても構わないと言ってくれたのだ。光忠はふふっと小さく笑む。これから一緒に買い物に行きたいと願う相手を脳裏に浮かべながら。






「倶利伽羅!」


いつもより高揚した気分で自室に舞い戻ると、大倶利伽羅は部屋の片隅で静かに本を読んでいた。読書好きの光忠の影響で彼も時折書庫に赴いては本を読むようになっている。竜胆の花が描かれたしおりを文庫に挟み、それを黒の文机に置いてから大倶利伽羅はどうしたというように光忠を見上げた。


「僕、主にお遣いを頼まれたんだけど君も一緒にどうかな?」


大倶利伽羅の前に膝を突き合わせるようにして座り込み、彼の顔を覗き込みながら訊ねてみる。彼は今日は内番もなく非番だったはずだ。それに光忠の誘いを断るようなことはしない。どこか確信にも似た思いがあった。


「ああ、構わない。俺も行く。」


果たして期待した通りの返答だった。光忠は嬉しさのあまり膝の上で作った拳をきゅっと強く握り込む。彼はいつだって光忠を優先してくれる。光忠の好きなようにやるといいと穏やかに笑ってくれる。


「ありがとう。嬉しいよ。」


だから、彼と過ごせるこの幸せな時間を自分はいつだって欲しいと思ってしまうのだ。






出陣の時と同じように本丸の門をくぐって外に出ると頬を撫でる空気は爽やかだった。万屋へは時代を遡ることはないのでそのまま徒歩で向かうのだが、周囲は外界とは隔絶された空間だ。以前大倶利伽羅と蛍を見た泉があるあの森も実際には本丸と同じく狭間の空間に存在している。光忠はいまだにどうなっているんだろうなと思うことはあったが、大倶利伽羅は別段気にしていないらしい。あんな綺麗な蛍が見られたんだから悪くないと。そういうさっぱりとした部分は彼らしくて好ましかった。ふと目を遣れば万屋へと続く道には初秋の野の花が咲いており、確かな秋の訪れを教えてくれた。大倶利伽羅と連れ立って歩く。2人分の足音が穏やかな旋律になって耳に届いた。


「何だかデートみたいだなぁ。」


世界にまるで2人きり。肩が触れ合いそうな心逸る距離。我慢できなくなり、つい口走ってしまった。


「でーと?」


隣を歩く龍の子が不思議そうな顔をする。この子は本は読むけれど大抵合戦が描かれた歴史小説が中心だから、片仮名語はあまり詳しくないのだ。


「デートはデートだよ。」


彼がよく分かっていないのをいいことに誤魔化す為におどけてそんな風に言ってみた。明確な答えを与えなかったので龍の子はまだ訝しんでいたが、あんたが楽しそうだから別にいいと納得した顔になった。


「光忠、あんたが楽しいと俺も同じ気持ちになる。」

「…っ、倶利伽羅。」


優しい風が焦げ茶色の猫っ毛を揺らして流れていく。凪いだ金の瞳が今日も綺麗だった。君には本当に勝てないなぁと心の中で思う。彼に心奪われた時点でそんなことは分かりきっているのだけれど。光忠を見つめる瞳はどこまでも澄んでいた。


小さな秋を感じさせる野の道をしばらく歩き続ければ、平屋の大きな日本家屋の店構えが見えてくる。目的の場所である万屋に辿り着いた。お遣いだって格好良く決めたいよねと意気込んでみたら、あんたそれ好きだなと隣でふっと笑う気配がした。


「何を買えと言われたんだ?」


店内に入ると先を行く大倶利伽羅が振り返って光忠に問い掛けた。


「んー、別に難しい買い物じゃないよ。」


光忠はスーツのポケットにしまっていた紙を大倶利伽羅に広げて見せた。大倶利伽羅が光忠の手元を覗き込む。彼の片側だけ長い髪がさらりと流れた。


「文具か。」

「いつも忙しそうに報告書書いてるって話だからねぇ、あの人。たくさん使うからなくなるのも早いみたいだよ。」


審神者の日常の執務など別に興味はないようで、さっさと買うぞと大倶利伽羅が再び店内を歩き出す。光忠は彼の側まで足早に移動すると、共に商品を手に取りながら必要な物を選んでいった。便箋は季節を考えて紅葉の透かし柄があしらわれた物を買うことにした。主が欲しがっていた物は簡単に手に入る物ばかりだったので、買い物は早々に済んでしまった。そうなれば残りの時間は自分達に許されたものとなる。


「僕達も買い物していいんだって。」


久しぶりの万屋での買い物。それも大倶利伽羅と一緒に。どうしても意識してしまうのは仕方がない。でも楽しい。嬉しい。心がふわふわする。君は何か買うつもりかいと問うと、特に必要な物はないから、あんたはゆっくり見るといいと優しく返されてしまった。


「じゃあ、僕の買い物に付き合ってくれるかな?」

「ああ、構わない。」


大倶利伽羅と隣り合って再び店内をゆっくり歩き、何を買おうかなと様々な商品に目を向ける。この万屋は本丸全体の生活面でお世話になっているので十分な品揃えとなっているのだ。色々欲しくなっちゃって困るなぁと考えていたところで、短刀の子達が万屋で扱われているお菓子は綺麗なんですよ、光忠さん、と目を輝かせて言っていたのを思い出した。光忠は和菓子が並べられた棚へと足を向けることに決めた。淡く優しい色の和紙に包まれた物。綺麗な箱で飾られた物。どれも彼らの言葉の通りのきらびやかな菓子だった。その中で硝子の小瓶に詰められた飴玉が光忠の目に留まる。丸い表面には花や蝶々、小鳥が繊細に描かれており、見た目も十分に美しく一目で気に入ってしまった。


「僕、これにしようかな。」


曲線を描く硝子の瓶に手を伸ばす。両手の中のそれに綺麗だなと思わず口にしたら、その様子を隣でじっと見ていた大倶利伽羅が、確かに綺麗だと思うが、あんたの瞳には負けるな、なんてことをさらりと言うものだから。彼は光忠を動揺させるのが悔しいくらいに得意なようで。一体どこでそんな言葉を覚えてくるのだろうかと言ってしまいたくなったのは秘密だ。


そうして全ての買い物を終えた万屋からの帰り道。秋の気配が漂い始めた野の道を行きと同じように2人で歩く。光忠の手にはあの飴玉が入った袋があるだけだ。やはりというか大倶利伽羅は主のお遣いで買った物が入った大きな袋を持ってくれた。彼はいつもこうだから堪らなくなる。彼を好きだなと思うのはこんな時だった。本丸へと続く道をのんびりと歩きながら他愛のない話を歩幅に合わせるようにゆったりと重ねていく。光忠は袋から取り出した瓶に視線を落とした。そして、牡丹の花が描かれた、透明な硝子玉のような飴を取り出して口に含んだ。ふんわりとした甘さが舌の上から広がる。甘い甘い恋の味。一頻りそれを味わうと同じように指先で掬い上げたもうひとつの方を彼へと差し出した。


「はい、倶利伽羅。君にもあげる。」


龍の鱗のような紋様が細工のように描かれたそれを受け取った大倶利伽羅は瞬きをひとつした。光忠が食べてみてよと声を掛けると、分かったと頷いてそれを静かに口へと運んだ。


「甘いな。」

「でも美味しいよ。」

「そうだな。この味は好きだ。」

「君と僕で、今同じように甘いって感じてる。何だかちょっとくすぐったいね。」


戦場で敵と対峙し、自分を振るう瞬間が最も心が躍る。それはこれからもきっと変わりはないのだろうけど。それと同じくらいに彼との穏やかな時間が心地良くて、幸せだった。






本丸に戻って来た光忠と大倶利伽羅へと近付いて来る人影がある。全身が白一色に染まっているので、遠くからでも誰だかすぐに判別できた。鶴丸国永だった。彼はひとつ所に留まることのない渡り刀であった為か、顕現した今も本丸内を毎日ふらふらとしていて部屋でじっとしていることは少ないのだ。恐らく今日も驚きを求めて歩き回っていたのだろう。


「君達万屋におつかいに行ってたんだって?」

「うん、主に頼まれてね。」


そう答えると鶴丸は不意に光忠の腕を掴んで引っ張るとすたすたと歩き出した。大倶利伽羅の姿は見えるが声が届かない離れた場所まで移動すると、ぐいと光忠の首に腕を回して顔を近付けて来た。


「ということはつまりあれだろ、お前さん、倶利坊と万屋でーとだったんだろう?」


この気持ちは既に彼にはばれてしまっている。鶴丸さんはいつも彼自身の剣筋のように鋭く切り込んでくるなぁと光忠は困り顔で頬を掻いた。


「僕はそう思いたいな、とは…」

「2人きりの時間は楽しめたか?」


穏やかで陽向のような時間を思い出した。ふんわりとした温かな何かで満たされていくような、そんな甘い甘い幸せ。


「うん、楽しかった。」

「そうか、そりゃ良かったな。」


鶴丸が目を細めてまるで自分のことのように嬉しそうに頷く。光忠の恋の行方を心から応援してくれているのだ。


「おい、国永。いい加減光忠から離れろ。」


背後から響いた低い声に鶴丸と2人でびくりと肩を震わせる。そっと振り返ると眉を寄せ、むすっとした表情の大倶利伽羅が居た。彼は一歩踏み込むように近付くと、光忠の手を強く引いて鶴丸から引き剥がした。そして鶴丸から隠すように光忠の前に立った。


「倶利坊よ、俺はまぁ構わんが、悋気はそのくらいにしとけよ。」

「なっ…」


鶴丸はあまり感情を表に出さない大倶利伽羅が目を見開くのをにやにやしながら窺っている。きっとではなく、確実にからかっているのだろう。光忠は2人に交互に視線をやって小さく苦笑した。


「光忠、行くぞ。」

「え?うん、分かったよ。」


再度光忠の手首を掴んで大倶利伽羅が本丸の中庭を進んで行く。光忠はされるがままに足を動かした。ちらりと鶴丸を振り返ると、彼は声を出さずに唇だけを動かして頑張れよと光忠に声援を送っていた。


大倶利伽羅が手に持ったままだったお遣いの品を無事に審神者へと届け終え、ようやく自分達の部屋に戻った訳なのだが。障子戸を後ろ手に閉めた瞬間、大倶利伽羅が光忠を閉じ込めるように障子に手を突いて身体を寄せた。


「倶利伽羅…?」

「誰彼構わず触らせるな。」

「え?あ、うん…」

「あんたが触っていいのは…」


大倶利伽羅は続けようとした言葉を飲み込んで、それから何かを言おうと口を開きかけたが、そのまま噤んでしまった。見上げてくる金の瞳を見つめ返して言葉を待っていると、彼は光忠からゆっくりと身体を離した。


「悪い、ちょっと出てくる。」

「倶利伽羅…?」


大倶利伽羅は一度だけ光忠を見据えると、そのまま静かに部屋を出て行った。


「今のって…」


部屋に残された自分の声がやけに大きく響いたような気がした。その声はかすかに震えていた。


―― 君の最後の言葉。酷く勘違いしてしまいそうで。それくらい強烈で。だからさ、さっきの甘い飴玉の味なんてもうすっかり忘れてしまったじゃないか。

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