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君に恋する日々 4
*たゆたう蛍を眺めた日*




『今夜、あんたの時間を俺にくれないか。』


それは、資材調達目的の遠征から帰って来た光忠を出迎えた大倶利伽羅が告げた言葉だった。光忠が遠征から戻ると彼はいつも何かしらの労いの言葉を掛けてくれるのだが、その日は様子が違った。審神者に遠征結果を報告するという部隊長のへし切長谷部と別れて部屋に戻った光忠を待っていたのは、真剣な色を帯びた金の瞳とくらりと目眩がしそうな誘いだったのだ。彼は常日頃から周囲に伝える言葉が少ない。だからそのせいで時々それが酷く直球になり、その破壊力が凄まじいものになる。今夜は一緒に過ごしてくれないか。好きな相手からそんなことを言われて動揺しない人間など居るはずがない。自分は刀の付喪神であるけれど、今は人の身で心をその内側に宿しているのだから当然のように酷く狼狽してしまった。


『えっ、あの、倶利伽羅…それは、つまり…』

『あんたに見せたいものがある。』

『え…?見せたい、もの?』


自分の頭の中の想像と彼の続きの言葉は大きく異なった訳なのだが、別にもうそれはそれでいい。大倶利伽羅が自分を選んでくれたことが何よりも重要なのだ。何故なら彼にこんな風に誘われることなど今まで一度もなかったのだから。嬉しさのあまりみっともないくらい頬が緩みそうになる。光忠は小さく咳払いをした。彼の前では自分を格好良く見せるのにいつも苦労してしまう。


『夕餉の後、本丸の外の門の前。そこが待ち合わせ場所だ。あんたは色々やることもあるだろうから遅れて構わない。』

『うん。分かったよ。必ず行くからね。』

『ああ、頼む。』


大倶利伽羅は光忠をひたと見据えたまま、端的な言葉で時間と場所を告げた。そして今から道場で国永達と打ち合いの予定があるからと部屋を出て行ったのだ。それが今から数時間前の出来事である。


「どうしよう…何だか心臓がばくばくしてる。」


光忠は濃紺の浴衣の袖を訳もなくひらひら振りながら足早に歩いては何やってるんだろう僕、焦りすぎかな、と自分自身に対して苦笑いを浮かべた。本丸の外で待ち合わせて出掛けることになるので、せっかくだから雰囲気を変えて浴衣を着たいと言ってみたのだ。大倶利伽羅と2人きりの特別な時間になるのだから、いつもの格好はつまらないと思った。そんな光忠の小さなおねだりを受けて、だったら俺もあんたに合わせると大倶利伽羅も二つ返事で受け入れてくれた。光忠は濃紺、大倶利伽羅は生成り色の浴衣姿で落ち合うことに決めたのだ。夕餉の後片付けを済ませて準備の為に部屋に戻ったはいいが、彼と2人きりだからと張り切りすぎたせいで髪型がなかなか上手く決まらず鏡の前で手こずった。それでも約束の時間の30分も前に着いてしまった。そうして本丸の門前に向かうと、そこには既に大倶利伽羅が佇んでいた。夜の訪れと共に世界は深い藍色に染まり始めている。その世界の中で凛とした雰囲気を纏う彼の端正な横顔にどうしようもなく惹かれてしまう。それは以前書庫から借りた小説で目にした一場面のようで。片想いの相手を待ちわびる青年の描写を不意に思い出してしまった。光忠が来るのを待っている彼から視線を外せない。部屋も同室で、それこそ毎日顔を合わせているというのに本丸の外で待ち合わせという普段と異なる逢瀬の方法に酷くそわそわしてしまう。まるで恋人同士のように思えてしまって。先ほどからもうずっとばくばくと心臓がうるさい。だがこれはもう仕方のないことだ。彼が愛おしいのだから。この心は正直だ。


「お待たせ。ごめんね、遅くなってしまったよ。」

「いや、俺も今来たばかりだ。」


大倶利伽羅がその瞳に光忠を映してふっと口端で笑む。ああもう、あの恋愛小説の中の青年とこんなところも同じで、さりげない格好良さに息が詰まる。


「この前、あんたの計らいでいい酒が飲めた。楽しい時間を過ごせた。だから今度は俺の番だと思った。光忠、あんたに返したい。」

「そんなの別に気にしなくても…」

「俺が、そうしたい。」

「倶利伽羅…」


強い光を湛えた瞳。今はそこに優しい色も加わっている。ありがとうと頷くと、礼には及ばないといつも言っているだろうという顔をされた。


「じゃあ行くか。」


本丸の周辺は事前に外出許可を貰えば、ある程度自由に散策ができるらしい。どこに行くのかはまだ聞かされていなかったが、着いてからのお楽しみというのも悪くないと思った。本丸を出て大倶利伽羅の隣を歩いていると袖を軽く引っ張られた。


「倶利伽羅?」

「手を貸せ。あんた、危なっかしいところがあるからな。」

「へっ…!?い、いいよ、別にっ…」


驚きのあまり裏返った声が出た。手をつなぐ?彼と?そんなことをしたら確実に心臓が保たない。


「倶利ちゃん…僕は、大丈夫だよ。」

「段々暗くなってくる。あんたは夜目が利かないだろう。」

「それは、そうだけど…」

「だから大人しく手を貸せと言っている。ほら、光忠。」


どうあっても彼は逃がしてはくれないようだ。観念したように光忠はおずおずと右手を差し出した。


「じゃあ、うん…お願いします。」


緊張のせいか何故か敬語になってしまった。そんな光忠を見遣った大倶利伽羅が目を細める。それからそっと包むように右手を握り込まれた。革手袋越しであろうともはっきりと伝わる体温。意識しないようにすればするほど、彼の手の温かさを感じ取ろうとしてしまう。心臓がうるさくて仕方ない。自分のもののはずなのに少しも制御できなかった。


「少し山の中に入る。気を付けろよ、光忠。」


万屋に続く分かれ道の前で来ると、大倶利伽羅は方向を変えて木々の中へと分け入るようにして進み始めた。先を行く大倶利伽羅は光忠を気遣ってゆっくりとした歩みで進んでくれた。それから道なりにしばらく歩き続けると開けた場所に出た。光忠の眼前には月明かりに照らされた小さな泉があった。そしてその水面の上を舞い踊る光の群れは。


「倶利伽羅、もしかしてあれは…」


夜の帳で覆われた世界ではこの片目は薄ぼんやりとしか光を捉えることができない。けれども近くで見ればその輝きは光忠の瞳にも綺麗に映るのだ。いいかい、と瞳だけで問えば、大倶利伽羅はつないでいた手をゆっくりと離してくれた。光忠はからころと下駄を鳴らしながら、泉の縁まで歩みを進めた。


「わぁ…すごい…綺麗だ。倶利伽羅、君、よくこんな場所知ってたね。」

「どうしてもあんただけに見せたかったんだ。」

「僕だけに…」


たくさんの淡い黄色の光がゆらゆら揺れる。明滅する光の群れ。それはただただ美しい。儚いまでの美しさだった。


「光忠、あんたなら喜んでくれると思ったんだ。あんたは昔伊達の家に居た頃もよく春の桜や秋の紅葉に目を輝かせていた。だから、これもきっと気に入ると思った。」

「……君はほんとずるいよね。」


こういうことがさらっとできるんだから。ますます好きになるのを止められない。これ以上君を好きにさせるなんて、君は僕をどうしたいのかな。ああもう君が格好良くて僕はどうにかなりそうだ。なりふり構わず全て言ってしまいたい。そう思うほどに大倶利伽羅の優しい心は光忠を恋に溺れさせる。


「光忠?」

「あ、いや何でもないよ、こっちの話。君には敵わないなぁと思って。」

「そうか。あんたを喜ばせることができたのなら満足だ。」

「倶利伽羅…」


月明かりの中で穏やかに笑む気配がする。静かに漂い踊るように舞う蛍の光を背にして立つ大倶利伽羅は酷く幻想的だった。


「本当にありがとう。君の心の欠片を貰った気分だ。すごく幸せだよ。」


この胸に大切にしまい込んでいる彼への気持ちをいつか言葉にして伝えなければならない日が来るだろう。だが今はまだその勇気がなくて。だからせめて自分も心の欠片を彼にあげよう。


「ねぇ、倶利伽羅。帰り道も、さっきみたいに…手をつないでいいかい?」


手のひらから伝わる熱に僕の心を込めて君にあげよう。それが今の僕の精一杯だ。蛍の儚く柔らかな光をいつまでも覚えていられるように左の目に灼き付ける。それから大倶利伽羅へと向き直ると、当たり前だ、つないでいいに決まっていると優しく頷いてくれた。それが酷く嬉しくて、彼の手をぎゅっと握った。


―― 僕は本当に幸せな刀だ。この身は炎に焼けて刀としての生は終わったも同然だったはずなのに、人の身を得てこうして君と手をつないでいる。君の体温が右手を通して僕へと伝わる。それがこんなにも幸福なんだ。だからお願い、まだもう少しだけ、このままで。

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あきゅろす。
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