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君に恋する日々 3
*君と涼み酒に酔う日*




天上から清かに届く月光に濡れ縁が仄かに照らされている。青白く輝いて見えるその板縁の道を静かに進む。自分以外の足音はひとつも聞こえてはこない。息を潜めるようにして臨む景色は黒い帳で幾重にも覆われているようであり。今宵はぬばたまの夜という表現がまさにぴったりだなと思った。


「大広間で何人か宴会してたみたいだけど、僕達はここでいいよね?」


相部屋の前に面した仄明るい縁側、辿り着いたその場所で足を留めてそっと声を掛ければ、ああと短い返事がある。じゃあ隣お邪魔するねと断って、光忠は大倶利伽羅の傍らに腰を下ろした。既にそれぞれ湯浴みを終え、夜着に着替えてすっかり寛いだ格好である。そんな自分達は今から宵の酒を楽しむのだ。光忠は厨から運んで来た漆塗りの盆に視線を移す。そこには酒の入った切子細工の徳利とお揃いの猪口が乗せられている。先日、偶然いい酒を手に入れたのだ。それは光忠の得意分野がきっかけだった。顕現した頃から手先が器用ですぐに料理ができた為に光忠は歌仙や薬研等と共に本丸の厨の監督を任されている。食材や調味料の在庫管理の他にも酒好きの主が嗜む為の様々な銘酒の調達もしているのだ。その関係で気前のいい主に、美味いからこれ飲んでみろよ、いつも料理を頑張ってくれてる褒美だ、と上質な酒を分けてもらったのだ。せっかく上等なものを貰ったのだから1人で飲むのはどうにも味気ない。誰かと語り合いながら飲む酒の方が何倍も味わい深いものになるに決まっている。そう考えた時に脳裏に浮かんだ顔。その相手以外は最早考えられなくなっていた。酒豪で酒好きの刀達に見つからないようにこっそり隠しておいた良い酒。それを大切に想う相手と今宵味わうのだ。好きな人を酒の相手に誘ってなんてただの人の真似事に違いないけれど、そこは多目に見て欲しい。


「あんた今夜は大丈夫なのか?」


不意に投げ掛けられた問いに何がだい?と首を傾げると、この前の、とぽつりと返された。ええと、この前のって何だっけと記憶を巡らせた光忠はとある出来事に思い至って瞳をはためかせた。


「倶利伽羅、君、もしかして、あの夜のこと言ってる…?」


大倶利伽羅が神妙な顔で頷く。光忠は苦笑を浮かべた後、明後日の方向へ視線を向けた。大倶利伽羅の歓迎会という名目で催された宴会で無様な醜態を晒したのは記憶に新しい。だが、それでも今夜は大丈夫だ。調子に乗ってたくさん飲まないと決めている。格好良い自分である為の努力は怠らない。特に、片想いの相手である彼の前では。


「見た目だけじゃなく、そういうところも政宗に似た訳か。」

「政宗公、お酒強くなかったもんね。彼と似てる部分が多いのは嬉しいんだけど、こればかりはちょっと恥ずかしいかな。」

「あんた、酔っ払うと誰彼構わず絡む癖があったんだからな。政宗より酷いか。」

「あ、あれは…!」

「普段格好付けたがるから、あの夜は面白いものが見られた。」


馴れ合いは面倒なので頃合いを見計らって途中で抜けようと思ったが、光忠の酔った姿を目にしてこれは珍しいと鶴丸と共に最後まで残ったらしい。光忠としては重く頑丈な蓋をして奥の奥にしまっておきたい記憶だ。


「面白いってね…もう、酷いよ、倶利伽羅!」

「光忠の弱点は酒だな。」

「まぁ、うん…そうなるよね。君の方は弱点なんてなさそうだよねぇ。」

「…俺にも弱点はある。」

「うーん、君の弱点って何だろう。全然想像つかないや。ねぇ、教えてくれたりしないかい?」

「………誰にも教えるつもりはない。」

「つれないなぁ。だったらいいよ、君の弱点は野菜の好き嫌いがあるところにするからね。」

「好きにしろ。あんたの絡み酒よりはいい。」


大倶利伽羅が喉を鳴らして笑う。密やかにからかわれるのは気恥ずかしかったが、彼の金の瞳が自分だけを映してくれるので少しも悪い気分ではなかった。つられた光忠も大倶利伽羅の隣で笑った。


「ははっ…君と笑い合えるのがこんなにも楽しいなんてね。でも、そろそろこっちを楽しまなくちゃいけないよね。」

「そうだな。」

「主のおすすめのお酒だから、君も気に入ると思うよ。」


まずは大倶利伽羅の猪口に酒を注いだ。透明な液体が切子硝子の中で静かに揺れる。それを口にした龍の子はこちらを見て満足そうに頷いてくれた。目を細めて頷き返し、光忠も酒の味を楽しむことにした。大広間から離れたこの場所は時々酒宴の喧騒が風に乗って運ばれてくるだけで、酒を味わっているとお互いの衣擦れの音と息遣いしか聞こえなくなる。まるで星でも落ちてきそうなほど静かな夜だった。あぁ、星といえば。光忠は一旦酒を飲むのをやめ、片手を後ろに突いて宵闇を見上げた。


「やっぱり星、綺麗に見えるのかい?」


光忠の問い掛けに大倶利伽羅も夜の星々を見上げた。


「この目になってからはよく見えるな。」


夜の空にはたくさんの星が瞬いているのであろうが、生憎と夜目の利かない自分にはその瞬きは薄ぼんやりとしか映らない。


「残念だなぁ。僕も君と同じだったら良かったのに。はっきり見えるのは大きな月くらいだよ。」

「それで十分じゃないのか?」

「え?」


冴え冴えとした夜の月と同じ金色の瞳が真っすぐに光忠を捉える。とても綺麗な色だと思った。


「あんたと月を見ながら酒を飲めるなら、もう十分だと俺は思うがな。」

「倶利伽羅…」


輪郭を淡くなぞるように月光が彼を輝かせている。本当に綺麗だと思った。彼が好きで堪らなかった。


「うん、君と月を見上げて涼み酒だね。僕も今、すごくいい気分だよ。」


だって君が僕の隣に居てくれるから。伝えたいのに伝えられない言葉と共に飲みかけの酒を口に含む。とろりとしたそれが舌に馴染んで、それからするりと喉を流れていった。


「ねぇ、倶利伽羅。」


少しだけ距離を詰めて自分も同じように真っすぐに彼を見つめ返す。


「光忠?」


君の隣で笑っていられる日が少しでも長く永く続きますように。願わくば彼も同じ思いでありますように。


「今夜は本当に月が綺麗だね。」



―― 君と見上げた夜空の月の美しさを僕は絶対に忘れないだろう。月明かりに照らされた君の綺麗な横顔も。その時の舌に残った酒の味も。君とまた巡り逢ってから、僕のこの手の中は忘れられないものばかりでいっぱいになって。それが今にも溢れ出してしまいそうだよ。

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