君に恋する日々 1
両片想いから始まるくりみつの連作のお話です
*君にまた巡り逢えた日*
その瞬間が訪れるのを自分はずっとずっと待ち焦がれてきた。ずっとずっと祈り続けてきた。だから、長い永い時を経て再び相見えた彼の姿はどうにもできないほどに目に焼き付いて、少しも離れることはなかった。かつてこの身が炎に包まれたあの暗い場所で最後まで願ったことが今光忠の目の前に確かな現実としてある。ただもう一度彼に会いたい。一目でいいから。刀身である身体が焼かれても胸の奥に残り続けていた想い。
「光忠か…?」
低く穏やかな声にただ頷くことしかできなかった。今の主である審神者と本日の近侍である最古参の山姥切国広がどこか誇らしげな顔でこちらを見ている。燭台切さん早く来て下さい、主が呼んでいますと五虎退に呼ばれ鍛刀部屋に足を踏み入れた瞬間、懐かしい気配に背筋が震えた。金色の瞳と視線が絡む。奇跡というのは本当に起きるものなのだと知った。
「光忠、なんだな…?」
光忠が再会を願い続けていた彼、大倶利伽羅が確かめるように名前を呼ぶ。共に伊達の家に居た頃はお互いに着物姿であって洋装ではなかったし、自分の右目に黒の眼帯はなかった。だが見間違うはずがないのだ。自分も彼もすぐに分かった。お互いの存在を。
「……そうだよ。僕、だよ。」
かろうじて絞り出した声は感極まって上擦っていた。あぁ格好悪いなぁと思うのに唇まで震え出す始末だ。たが仕方がない。嬉しくて嬉しくてどうしようもないのだ。心が身体が彼を求める。愛おしい龍の子へゆっくりと手を伸ばし、その手を包み込むように握り締める。手袋越しであろうともはっきりと彼の温もりを感じた。
「大倶利伽羅、会いたかったよ。」
「光忠。」
「良かったな、燭台切。」
新たな刀を顕現させるのに必要な資材が積まれた部屋の中で明朗な男の声が響く。再びの邂逅を望んでいた相手と言葉を交わせる喜びが大きすぎて、自分達以外の存在がすっかり意識の外に置かれていた。いつまでも大倶利伽羅の手を握っていたことに気付いた光忠は羞恥から慌てて彼の右手を解放した。それからすまなさそうに左側に視線を向けると、隣に立つ主は気にするなと笑っていた。
「数百年ぶりの感動の再会に水を差すようで悪いが、まずは俺から色々説明する必要がある。」
審神者の言葉に自分が初めてこの本丸にやって来た日のことが頭に浮かんだ。遠くから誰かに名前を呼ばれ、穏やかな波間をたゆたうだけの意識がその声のする方へと引き寄せられた。白く眩い光を感じてゆっくりと瞼を開いたら、この場所に立っていたのだ。自分自身のこと以外、右も左も何も分からない自分にこの男が全てを教えてくれた。そのおかげで光忠は刀剣男士として新たな刃生を生きている。
「俺の話が終わったら、その後は色々案内してやってくれ。今回は山姥切よりも昔馴染みのお前の方がいいだろ?」
「OK。任せてくれ。格好良く案内しなくちゃね。」
大倶利伽羅が主を見て、次いでじっと光忠を見つめる。言われずともよく分かる。この状況について行けないのだろう。逸らされることのない、その瞳がけれども僅かにゆらゆらと揺れている。独りぼっちで置いていかれた幼子のように見えて心臓が跳ねた。
「大丈夫だよ、倶利伽羅。僕達がここに呼ばれた理由はシンプルなものだからさ。」
人に振るわれるだけの刀でしかない自分達が人の真似事をして暮らしているなど本当は滑稽でしかないのかもしれない。だがそれ以上に誰かに必要とされることが嬉しかった。水戸の地で焼身となってしまった自分にもまだ往時の実戦刀としての価値が残っていたのだ。敵を斬り伏せる為に一緒に皆と戦って欲しいと乞われた時、首を縦に振る以外の選択肢など考えられなかった。それにこうして人の身体を得たことで光忠の世界は大きく色を変えた。勿論、自身を手にして敵を薙ぎ払う戦場に身を置いているその瞬間が最も心躍ることであるのに変わりはないが、人の暮らしも好奇心がくすぐられる。自由に駆ける足があり、自分で拵えた物を食べ、目に映る景色に心を震わすことができる。ただの刀の付喪神であった頃には決して感じられなかったもの。光忠はそれらを全身で楽しんでいるのだ。大倶利伽羅も自分と同じようにそんな体験をするのだと思うと嬉しくなった。
「刀としての本分に生きるのはこれからも変わらないよ。でも人になっちゃったから、人と同じように生活しなければならない。でもそれが存外楽しいんだ。」
だから心配いらないよ。僕がついてるんだから。微笑み返せば大倶利伽羅は小さく頷いた。
「よし、じゃあ大倶利伽羅、ひとまず俺の部屋に来い。」
審神者が手招きしながら大倶利伽羅を呼ぶ。応えるように踵を返した彼の腰布がひらりと舞った。
「また後でね。」
「ああ。」
大倶利伽羅が審神者と共に連れ立って鍛刀部屋を去る。ほどなくして俺も色々と準備や手伝いがあるからと山姥切も光忠を一瞥して静かに出て行った。
「……夢、じゃないんだよね。」
きょろきょろ辺りを見回して完全に誰も居なくなったことを確認してからぎゅっと頬を抓ってみる。痛い。ちゃんと痛い。だからこれは夢などではないのだ。紛れもない現実。
「…っ、どうしよう。嬉しい。」
とうとう我慢ができなくり、その場に蹲る。みっともないと頭では理解していたが無理だった。自然と頬が緩む。ふわりとした柔らかな想いがじわりと胸に広がっていく。それを零してしまわないようにと光忠はしゃがみ込んだ身体をそっと自身の腕で抱き締めた。
「倶利伽羅。」
何度となく紡いできた彼の愛称を音に乗せる。その声は自分でも笑ってしまうくらい、砂糖菓子のような甘さを含んでいた。
俺からの説明は終わったからこっちに来てくれと審神者に呼ばれた後、光忠は奥の執務部屋に居た大倶利伽羅を連れて本丸を案内して回った。広間、厨、大浴場、鍛刀や刀装の間、離れの書庫、厩に畑。光忠達が暮らす本丸は様々な場所があり、中々に広い面積を誇っている。一通り簡単な案内を終えた光忠は自分の部屋の前で歩みを止めた。この頃は刀剣男士の人数も増えてきたので、数が少なかった以前とは違い、基本的には2人1部屋の相部屋となっている。
「ということで僕と君は同じ部屋になったから。改めてよろしくね。」
障子戸を左右に開けて大倶利伽羅に入るように促す。山姥切が用意した大倶利伽羅用の生活用品は綺麗にまとめられて部屋の隅に置かれていた。これから本当に彼と一緒に暮らすのだという実感が湧き上がる。後ろ手で障子を閉め、大倶利伽羅の側に移動した。光忠の目の前にずっと会いたかった相手が立っている。
「まだ慣れないことだらけで大変だと思うから、困ったら何でも僕に相談してね。」
「よろしく頼む。」
「うん。」
ああそうだ、この子はこういう子だったなぁと思う。昔から馴れ合いが嫌いと言って他人と距離を取ろうとするけれど、決して突き放す訳ではないし、礼儀だって正しい。本当は優しい子なのだ。そんな大倶利伽羅の金の瞳に自分が映り込んでいる。それだけで、胸が甘く締め付けられて疼いた。ただ彼が愛おしいと思った。この身に宿った心の求めるままに大倶利伽羅の名前を呼ぶ。
「もう一度ちゃんと言いたいなと思って。」
「光忠?」
「倶利伽羅、ありがとう。僕とまた巡り逢ってくれて。」
きっとまたもう一度会えたら伝えようと思っていた言葉。随分と時間が掛かってしまったが、彼に贈ることができた。光忠の言葉を受け止めた大倶利伽羅が目を見開く。それは些細なものだったが、それでもそこにはっきりと喜びの感情が見てとれた。
「光忠、俺もあんたに会えて良かった。」
「倶利伽羅…」
伊達の家に居た頃もほとんど見ることのなかった穏やかな笑み。その笑った顔と欲しかった言葉に心臓を強く射抜かれて体温が急上昇していく。感じる頬の熱さに気恥ずかしさを覚えて仕方がなかったけれど。彼が真っすぐに自分を見てくれる。自分だけを。それはとても幸せなことに違いなかった。
―― あぁ、僕は君に恋をしている。もうずっとずっと長く。それこそきっと初めて君に会ったその瞬間から。
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