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いつかの時を想う
全ての戦いを終えた後の捏造描写があります




障子の向こう側の薄ぼんやりとした明るさに誘われるようにして光忠はゆっくりと目を覚ました。布団の中から首だけを動かして枕元の時計を確認する。いつもよりも随分と早い時間に起きてしまったようだ。室内はしんと冷えきって冬の空気に覆われているが、背中に感じる温もりのおかげで少しも寒くはない。部屋の中を見渡していた視線をゆるりと己へ戻す。光忠をしっかりと両腕の中に閉じ込めて大倶利伽羅が穏やかな寝息を立てている。彼を起こしてしまわぬよう、そうっと腕の囲いから抜け出すと可愛い恋人はもぞもぞと身動いだ。起こしてしまっただろうかと思いつつ、少しだけ息を詰めて今はあどけなく見える寝顔を覗き込む。光忠分の隙間ができたせいだろうか、まるでむずがる幼子のようにきゅっと眉を寄せていたが、彼はいまだ夢の世界の住人だ。


光忠は夜着のまま布団を出ると布団の側に畳んで置いていた羽織を手に取った。濃紺の羽織を着込んで後ろを見遣る。寒くしては風邪を引いてしまうので眠っている大倶利伽羅の肩まで布団を掛けてやることを忘れなかった。微笑みをひとつ向けてから光忠は静かに移動して障子戸の前に立つと、手を伸ばして左右にそっと開いた。


「わあ、やっぱり雪だね。」


障子の向こうが仄明るく、淡く光っていると思ったそれは雪明かりだった。光忠は目の前に広がる白銀にほうと吐息を洩らした。初めてそれを目にしたのは遠い昔、まだこの身が霊体だった頃だ。前の主が北の地を治めていたので北国の冬はよく知っていた。勿論刀に宿ったただの付喪神であったのだから雪に触れたことは当時は一度もなかった。本丸で人と同じような生活をするようになって色々な物を見て、この手で触れる機会に恵まれたのだ。


「すごく、真っ白だ。」


縁側まで歩みを進めた。吐く息は白く、足裏からは床板のひんやりとした冷たさが伝わってくる。寝間着の上に1枚羽織って正解だった。光忠は眼前に広がる白い世界をじっと見つめた。天上からはらはらと舞い落ちてくる六花に伸ばした指先が触れる。冷たさを感じるよりも早く、小さな雪の花は光忠の手の中で溶けて消えた。儚さを感じずにはいられなかった。


「僕も、同じかな。」


来年もまたこんな風にこの白を見ることができるのだろうか。ふとそんなことを思った。遠くはない未来、いつか必ず黒く煤けた鋼に戻る日が来るのだと理解している。彼と離ればなれになることも受け入れなければならない定めだと弁えている。始まりがあれば物事には必ず終わりというものがやって来る。この戦いもそれは同じだ。刀剣男士として顕現して本丸で再会した彼の想いを受け入れたその日から、世界に横たわるその理を忘れたことなどなかった。


「みつただ。」


甘えたような声。声がした方をそっと振り返れば、いつの間にかすぐ後ろに大倶利伽羅が立っていた。


「どうした。」


形の良い眉を寄せて彼が静かに問い掛けてくる。


「どうしたって…雪を見ていただけだよ。別に、何でも…」


ないから、と続けようとした言葉は音にならなかった。細くしなやかな腕が光忠の腰に回され、後ろから抱き締められたからだ。


「大倶利伽羅…」 

「俺には話せないことなのか?」


酷く穏やかな声。光忠は抱き締められたままきゅっと唇を噛んだ。大倶利伽羅は光忠の背中に顔を埋めている。彼はどんな顔をしてそんな風に言ったのだろうか。そう思うと言葉に詰まる。彼と過ごす中で季節は移ろいで白い雪花が咲く冬になった。ちゃんと分かっているのだ。彼との穏やかな時にはもうすぐ終わりが来る。優しい彼の隣で優しい時間を過ごしていたいだけなのに。刀剣男士としての最後の役目を果たす日が近付いているのだ。できることならば。彼を悲しませたくはない。それだけは嫌だった。密着している身体からとくとくと心臓の音が聞こえる。あぁ、彼が生きている証の音だ。昨日の夜、触れ合った幸せを思い出す。光忠の中が大倶利伽羅で満たされているような心地だった。


「倶利伽羅、僕は君と共に居られる今を何よりも愛おしいと思う。」


気付けば言葉がするりと零れ落ちていた。大倶利伽羅の手に自身のそれを重ね合わせる。


「だから、君も僕との今を大切に想って欲しい。」

「…光忠。」

「ずっと忘れないで欲しい。」


光忠の言わんとすることを正しく汲み取ったのだろう。微かに笑う気配がした。光忠と名前を呼ばれる。大倶利伽羅の腕がそっと動いて光忠の身体の向きを変えさせた。お互いに向き合う形となり、彼の綺麗な瞳が真っすぐにこちらを見つめていた。


「俺はあんたから心を貰った。だから俺は、いつかその日が来ても……あぁ、あんたは泣いてしまうかもしれないな。」

「ちょっと待って、そんな格好つかないことになる訳ないだろ。」


思わず反論してしまったが、さてどうだかなと首を傾げて愛しい彼はそのままふっと笑う。


「大丈夫だ。心配するな。俺の心もあんたと共にある。」


いつか別れが来るその日まで、その最後の瞬間まで、自分は大倶利伽羅の隣で笑っていたい。彼を愛していたい。光忠は祈るような思いでそう思った。





「君は僕が守る。」

「あんたは俺が守る。」

「行くよ、大倶利伽羅!」

「ああ、光忠。」


お互いに背中合わせの体勢から同時に勢い良く地面を蹴る。砂煙の舞う合戦場においても輝きを失うことのない自身を振るって眼前の敵を一刀両断に斬り伏せていく。これが本当に最後だった。審神者の呼び掛けに応えて集った仲間達と共に戦うのは今日で終わりなのだ。敵の大太刀に怯むことなく懐に飛び込んでその異形の刀を横一線に薙ぎ払った光忠は呼吸を整えてすぐに後ろを振り返る。少し離れた場所で大倶利伽羅が敵の太刀を次々と斬り倒していくのが見えた。美しい刀身は光を纏ってきらめき、赤い腰布はさながら戦場に舞う花のようだった。


「大倶利伽羅。」


愛おしい龍の子が戦う姿を決して忘れないと心に誓った。いつまでも忘れやしないと思った。光忠は踵を返して再び前を向いた。唇は緩く弧を描く。彼の隣に並び立てる刀でいたい。できるならばこれからもずっとずっと。


「僕も、格好良く決めたいよね!」


光忠は刀の柄を強く握り締めると真っすぐに駆け出した。






柔らかな風が心地良く吹き、若葉が優しく芽吹き始めたある春の日、歴史修正主義者達との長きに渡る戦いに勝利をしたことで本丸はその役目を果たして無事に解体された。審神者の力で顕現した刀剣男士達もその使命を終えた。本体のある場所に還る者、実体がないので人々の記憶の中で眠りに就く者と皆それぞれ元の刃生を歩むことになるのだ。審神者を新たな主として共に戦った仲間達とは今日でもう会えなくなってしまう。誰もが親しくしていた者との別れを惜しんでいた。それは光忠とて例外ではなかった。


「ほら、やっぱり泣いたな、あんた。」

「ち、違うよ…これは…」


頬を伝う温かなものが透明な雫となってぽたりぽたりと地面に落ちる。笑ってしまうくらいに声もみっともなく震えていて、どうしたって誤魔化せるはずがなかった。だが、泣いているぞと静かに笑う彼の琥珀色の瞳も潤んでいた。交流のあった刀達に別れの挨拶をした後、桜が舞い散る本丸の大門の前で光忠は最後に大倶利伽羅と言葉を交わした。あの雪の日から数ヶ月もしない内にこの穏やかで優しい終わりが待っていた。だからもう、かつて共に過ごした北の地を思い出させるあの雪を見ることはできないし、この手で触れることもできなくなる。彼の隣に、居られなくなる。つらくないはずがない。平気だと言ったら嘘になる。けれど、自分は彼にこの心を預けた。誰よりも愛おしい彼に。そして空っぽになってしまったその部分には彼から貰った温かな愛が詰まっているのだ。光忠は涙を拭って真っすぐに大倶利伽羅を見た。


「光忠、今はあんたにこの想いを預けておくことしかできないが、俺は…必ずあんたを迎えに行く。」

「うん、待っているよ。」

「これを誓いの証に持っていてくれ。」


彼が光忠の手に握らせたのはいつも肌身離さず大切に首から下げていた物だった。彼の一部を分け与えられた幸福感に胸が詰まりそうだった。


「ありがとう、大倶利伽羅。」

「光忠、愛している。」

「…っ、僕も、君を愛してるよ。」


唇と唇が触れ合う距離まで近付き合って、こつんと額を合わせた。そのままお互いに両手を握り締めて再度微笑み合う。愛おしい彼の温もりを忘れないように。ずっと覚えていられるように。祈りにも似たそれは光忠の確かなただひとつの願いだった。






照明も温度も湿度も快適に保たれた広い室内に彼、燭台切光忠は居た。艶めく髪の色と同じ濡れ羽色の着物の袷からは梵字が彫られた首飾りが覗いている。自身の本体である炎に焼かれた刀の置かれた棚の前にゆるりと座り込んで、光忠は今日も穏やかに過ごしていた。今朝早くに保管室の中の温度と湿度を確認しに来た見慣れた顔の職員がたくさんの美術品が納められている棚を見渡して、今日はいい天気だよ、と光忠達に話し掛けてくれた。


「水戸は今日も晴れているみたいだよ。」


君の所も天気に恵まれているといいねと心の中で語り掛ける。勿論返事が返って来ることはないが、光忠は切なさを感じたりはしなかった。彼はあの別れの時に言ったのだ。今よりももっと霊力を蓄えて神格を上げて、そうして自由に動けるようになったら、いつかあんたに会いに行くと。かつての震災の炎で焼けてしまった自分にはもう付喪神としての力は何ひとつ残されていない。この場所でただじっと彼の訪いを待つだけだ。だがそれを寂しいと思うことはない。何よりも彼のことを信じているし、さらに今の自分は独りではないからだ。


「光忠さん。」

「光忠さん。」


大切で愛おしい龍の子のことを考えていた光忠へとぱたぱた近付いてくる影がふたつ。おかっぱ頭に赤い着物を着た童姿の彼らの顔は瓜二つだ。にこにこと笑っている2人は光忠と同じくこの美術館に保管されている古い美術品から生まれた付喪神だった。特別展示という形で時折外の世界に連れ出される機会があり、今の人の世に触れることができている光忠とは違って彼らはまだこの部屋から出たことがないのだ。だから、何かお話してよとおねだりされることがあった。


「何か楽しい。」

「お話聞かせて。」


お願いお願いとせがんでくる幼子達の頭に革手袋で覆われた手を置いて、いいよと笑って優しく撫でてやる。彼らはまるで仔猫が甘えるような仕草で嬉しそうに目を細めた。それはいつの日か自分だけに見せてくれた彼の表情と重なった。


「…そうだね、それじゃあ僕の思い出話はどうだろう?まだ君達に話していないとっておきのがあるんだよ。」

「聞きたい。」

「聞かせて。」


きゃっきゃと笑って双子は光忠の傍らに腰を下ろした。光忠は彼らの顔を見回してから一度静かに左の瞼を閉じた。伊達の家で初めて会った時に見た、まだ少しあどけなさの残っていた顔。本丸で過ごした日々の中で見せてくれた穏やかで美しい横顔。戦場を駆け、煌めく刃を手にして華麗に舞う雄々しい表情。そして、最後に見た幸せそうな優しい微笑。今でも色褪せることなく全て鮮明に思い出せる。これからもずっと忘れることはない。彼を想う光忠の口元に柔らかな笑みが浮かぶ。遠く離れていても彼が愛おしくて堪らなかった。


「僕の大好きな刀の神様のお話だよ。」

「刀の。」

「神様。」


双子が目を輝かせて光忠を見上げる。ふふっと笑い返して、そうだよと頷いた。


「刀身に不動明王の化身である倶利伽羅龍が彫られていてね、それはもうとっても格好良いんだよ。赤い腰布を翻して戦場で舞う彼の名前はーー」






END






あとがき
全ての戦いが終わってもくりみつが幸せだといいなと思います。読んで下さいましてありがとうございました!

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