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君に恋する日々 6
*夜食を作ってあげた日*




ふと何かの気配をこの身の近くに感じた。何かがそっと気配を潜ませて傍らに居るような、密やかに空気が揺れる感覚。光忠はふわふわと漂っていた夢の世界からゆっくりと意識を覚醒させた。障子戸を閉め切った室内は僅かな月明かりが届くのみで夜に包まれて薄暗い。太刀である自分は暗い場所でははっきりと物が見えない為、暗い夜の世界が目の前に広がっているだけだ。


「ん……」


先ほどのあれは気のせいだったのだろうか。眠い目を擦って周囲を見渡そうとした光忠はその瞬間声にならない悲鳴を上げそうになった。そして、蜂蜜色の瞳をこれでもかと言わんばかりに大きく見開き、そのまま布団の中でぴしりと固まってしまった。


「みつただ。」


暗闇で静かに名前を呼ばれたが、すぐに反応はできなかった。できるはずがなかった。光忠の顔のすぐ横に手を突いた大倶利伽羅がじいっとこちらを覗き込んでいる。鋼の身であった頃には持ち得なかった心臓が今にも口から飛び出るかと思った。やはり何かが近くに在ると感じたのは間違いではなかった。彼だった。


「みつただ。」


大倶利伽羅が再度名前を呼ぶ。その左腕には彼に似つかわしい不動明王の化身である龍が巻き付いている。だが、どちらかと言えば黒いしなやかな野生の獣の方を彷彿とさせる動きで彼がひたとこちらを見つめてくる。月色の瞳が夜の闇の中で淡く光っているようだ。ここまで近ければ夜目の利かない光忠とて大倶利伽羅の顔は視認できた。


「腹が減った。」


どこか甘えたような声が鼓膜を揺らす。光忠は布団に縫い付けられてしまったかのように身動きができないまま、じっと目の前の端正な顔を見つめた。自分はこのまま、腹を空かせていると言うこの美しい獣に頭から食べられてしまうのではないか。そんなどこか甘美な錯覚に陥りそうになった。


「適当な物でいい。何か作ってくれ。」

「……」

「腹が減って眠れない。」


不機嫌そうな声が頭上から遠ざかっていく。それと同時に思考がはっきりとして彼が一旦自分から離れたのが分かった。光忠はまだうるさく暴れる心臓を深呼吸を繰り返して何とか落ち着かせると、布団の中で身体の向きを変えて目覚まし時計を確認した。午前1時30分。本丸内は皆寝静まっている時刻だった。


「……倶利ちゃん、君ねぇ、どこまで食欲旺盛なんだい。」


溜め息を洩らしつつゆっくり起き上がって部屋の灯りをつける。大倶利伽羅は自身の布団の上で胡坐をかいた格好で座り込んでいたが、光忠と目が合うとばつが悪そうにそっぽを向いた。彼の動きに合わせて赤い毛先がさらりと首筋で揺れた。


「仕方ない。腹が減ったんだ。」

「分かったよ。何か作ってあげるから。」


規則正しい健康的な生活を送る為にはこんな時間に何かを食べるのは本来良くないことなのだ。だが光忠は大倶利伽羅の言葉に弱かった。こうして欲しいと乞われれば最終的にはうんと頷いてしまう。彼が光忠を優先するように自分も彼を優先してしまうのだ。それに大倶利伽羅はいつも光忠の料理を美味いと言って残さず食べてくれる。だから彼の為にその腕を振るうのはどんな時間であろうと光忠の楽しみのひとつでもあった。


「すまない。」

「いいよ、気にしないで。」


それじゃあ厨に行こうかと足を動かした所ではっと我に返った。寝間着に黒のエプロンなんてどう考えても格好がつかない。光忠は箪笥から洗ったばかりの内番用の作業着を取り出した。


「ちょっと待っててくれないかな。今着替えるから。」


あくびを噛み殺しながら龍の子がこくりと頷く。服装に頓着しない彼はどうやら夜着のままで厨に向かうようだ。 光忠は着物の帯を緩めようとして背中に強い視線を感じ、その手を止めた。


「…そんなにじっと見つめられると、着替えにくいなぁ、なんて…」

「…っ、悪い、そういうつもりじゃ…」


立ち上がった大倶利伽羅が勢い良く踵を返す。彼はその勢いのまま障子を左右に開けると、外で待ってると言って廊下で大人しくなった。


「ふふ、ほんとにもう…」


同室なのだからお互いの着替えなどそれこそ毎日見ているというのに。今のは先ほど酷く動揺させられたことへの意趣返しのつもりで言っただけだったのだが。今はあちらが焦ってしまっている。そんな彼が可愛くて愛おしさが込み上げてきたのは仕方がないだろう。






本丸の廊下を進んで向かった厨は暗く、当然であるが深夜なのでそこには誰の姿もなかった。愛用の黒色のエプロンに身を包んだ光忠は大倶利伽羅の為に夜食を作ることとなった。


三食の食事の準備は基本的には内番のように当番制ではあるが、周りの男士や審神者たっての希望で料理が得意な光忠と歌仙と薬研の3人は自然と固定となっている。他の者達がそれを手伝う形で本丸内の食生活は成り立っているのだ。光忠達は勝手知ったる場所として厨の中で割と自由にやらせてもらっている部分がある。審神者に3人で上申して最新の調理器具を揃えてもらったり、歌仙の希望で風流な柄の皿を使わせてもらったりと中々に快適な厨仕事をしているのだった。


厨を預かる身としては新しい料理にも挑戦したいから和洋中の色々なレシピや調理法を知りたい。以前そんな風に審神者に相談してみたら、日記帳と同じくらいの大きさの情報端末を貸してもらったことがあった。それはどこまでも広がる情報の海から光忠が欲しいと思う物だけを瞬時に拾い上げてくれる非常に便利な道具だった。そうして審神者から借りたそれでレシピを調べている時にある日、夜食特集なる頁を見つけた。手間を掛けずにささっと簡単に作れる。カロリーも抑えめ。しかも美味しい。その中で育ちざかりの男子高校生を子供に持つ母親向けのレシピが画面上に連なっており、この男子高校生って何だろうとさらに調べて高校という学び舎で勉学をする若者の存在を知った。調理台の準備を始めた光忠は隣に立つ大倶利伽羅を横目で見た。今はいつもの服装ではないので頭の中で普段の彼を想像する。腰布と草摺を取ってしまえば彼も現代の男子高校生によく似ている気がする。だからこんな時間にお腹減っちゃったのかなぁと思うと微笑ましかった。


「何を作ってくれるんだ?」


大倶利伽羅の声を背中で受け止めながら冷蔵庫を開けて残り物を確認する。にんじんや大根、ごぼうなどの根菜に鶏の胸肉も使いかけの物がまだある。それならば、と光忠は頭の中にストックしてあるレシピを引っ張り出した。


「肉団子と根菜のスープでも作ろうかな。野菜だけだと物足りないだろうからお肉も入れてあげるよ。あったかくなるし、夜食にしてはしっかり食べられるからね。」


光忠の手料理を想像したのか、彼の目元が緩む。彼に小さく笑い返して光忠は冷蔵庫から取り出して水洗いした野菜を適当な大きさに切り揃えた。にんじんは輪切り、大根はいちょう切り、ごぼうは笹がきに。半玉になったキャベツもあったので手で小さくちぎって加えることにした。次に鶏の胸肉を細かく切ってたねを作り、そこに卵 1個、生姜、酒と醤油を各大さじ1加えて、肉団子を丸めた。小さな肉団子を作っている合間に野菜と水を入れた鍋に火をかけてコンソメキューブと料理酒を取り出す。本当はしっかり出汁をとって味付けをしたいところであるが、夜食は時間を掛けずに作ることも大事なのだ。


「あんた、やっぱり手際がいいな。」

「そうかな。別にそんなことないよ。」


こんなの簡単に作れるからねと笑ってみせれば、謙遜するな、あんたはすごいと光忠の胸をくすぐる嬉しい言葉を貰った。


「よし、いい感じかな。」


野菜に火が通って柔らかくなってきたところで1つずつ肉団子を落として行く。あとは最後に煮込んで終わりだ。


「待っててね、もう少しだから。」


隣に立っていた大倶利伽羅が頷く代わりに光忠を見つめる。夜の月を思わせる金の瞳がゆらりと揺れた。不意に手首を掴まれ、優しく、けれどほんの少しだけ強く引っ張られた。どうしたんだいと顔を近付けたその瞬間、温かな何かがしっとりと唇に触れた。


「…っ、」


大倶利伽羅の整った顔が光忠の目の前一杯に広がる。彼と自分が今何をしているのか。答えはたったひとつだ。彼から与えられるこの甘い熱が教えてくれた。長いようで僅かな時間が流れ、大倶利伽羅の唇が静かに離れた。


「したいと思ったからした。」

「……」

「あんたの唇が美味そうに見えて我慢できなかった。」

「……」


菜箸を持ったままぽかんと突っ立っていると伸びてきた指先がするりと頬を撫でた。夜着の袖から覗く龍が彼の動きに合わせて身体を揺らすのをただ見ていることしかできなかった。


「驚かせてしまったな。」

「…いや、驚いたっていうか、僕、えっと……」


鼓動がどんどん速くなる。耳の後ろでどくどくと脈打ってそれは大きな音になる。喉に何か物がつかえてしまったかのように言葉が出て来ない。彼に何と言えばいいのだろう。思考の海に溺れていく。目の前が白い靄に覆われたようにぼんやりしてゆっくり見えなくなっていった。


そうして次に気が付いたらいつの間にか朝になっていた。光忠は自分の布団の上でジャージ姿のまま、うつ伏せになって眠っていた。障子戸越しに柔らかな朝陽が射し込んでいる。その光に目覚めを誘われた。


「…っ!」


がばりと布団から起き上がって慌ただしく部屋の中の様子を窺う。大倶利伽羅は既に起きていたようで、畳んだ布団の側で身支度をしていた。金の瞳と視線が合う。ばちっと音がしそうなほどだった。


「おはよう。」

「…ぉ、ぉは…よう。」

「光忠。」


名前を呼ばれて大袈裟なくらいに肩が跳ねた。どうやって自分の部屋に戻ったのか記憶が曖昧だったが、数時間前のあれについてははっきりと覚えていた。


「美味かった。」


それは自分が作った夜食に対してなのか、それとも我慢できなかったと言ったこの唇のことなのか。どちらなのだろうと考えてしまった時点でもう駄目だった。あり得ないほどの熱が全身にぶわりと広がっていく。


「あ、あの、えっと…お粗末様、でした。」


俯いてそう言うのが精一杯だった。視線を合わせられない光忠に顔を洗って来ると言って大倶利伽羅が徐に立ち上がる。彼が部屋を出る間際、伸びてきた手に頭を撫でられた。それはあまりに優しい手つきだった。正座したまま固まっていた光忠は彼の気配が廊下の向こうへ完全に消えるのを確認すると、布団に駆け戻り枕に思いきり顔を埋めた。


「どうしよう、僕、倶利伽羅と…」


革手袋の指先で自身の唇をそっと撫でる。まだそこには彼の熱が残っているような気がして。甘い痺れに光忠はあえかな吐息を洩らした。


「倶利伽羅。」


その後どうにも耐えきれずに事情を話した内番相手の鶴丸に、お、今夜は赤飯でも炊いた方がいいんじゃないかと変な方向に励まされたことでさらに羞恥心が煽られ、光忠はその日1日中恥ずかしさのあまり、大倶利伽羅の顔をまともに見ることができなかったのは言うまでもない。


―― 君との距離が零距離になって、そうして僕が知ったのは、甘く優しい君との恋の味。

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あきゅろす。
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