翡翠をひと掬い



.翡翠をひと掬い.



かさりと紙の音に意識を引き上げられる。

ぼんやりと開いた瞳に映った自分の手首に感じたのは柔らかい毛布の感触。気だるさに再び瞳を落としかけたが、同時に手繰り寄せようとした温もりがそこに無くてもう一度開く。

コツコツと細かに響いた音に、視線を上げた。

薄暗い部屋に蝋燭の光。開いたカーテン、窓から差し込む月明かりと、風。ふわり揺れるカーテンに対して蝋燭であるはずの光が揺るがないのは何らかの形で空間が遮断されているからだ。
酸素がないと燃えない筈の火を、風の流れない空間で燃やし続けるなど造作もないのだろう、今机に向かっている奴にとっては、おそらく。

シェゾはそこまで見送って、意識を手放す前まで傍にあった温もりを無意識に探した自分に瞳を細めた。
続いて先程それが其処になかったことに確かな違和感と寂しさを覚えた事実に瞳を閉じる。

別に誰でも良かったはずなのだ。慰めてくれさえすれば。ただこの暗鬱した気持ちを晴らしてくれさえすれば誰でも。
そう、誰でも良かった。

誰でも良かったから此処にきた、のだ。

(……………違、うか)

シェゾは瞳を開くと、柔らかく暖かいベッドから音もなく手を伸ばす。ひんやりと素肌を撫でた風に、白く浮き上がった指先が一瞬、行き場を迷った。

誰でも良かったのだ、誰でも。
コツコツと鳴ったのは、時計が静かに時を刻む音と、ベッドに背を向けたサタン、が、静かに書類にペンを走らせる音。

誰でも良かった、のに、此処にきたのだ。敢えて。
誰でも良かったのだから別にそこら辺で引っ掛ければよかったのにそれをしなかったその感情の意味するところ、は。

シェゾの弱く伸ばされた指が、震え、止まり、迷い、緩く握られた。そうしてもう一度開き触れるか否かの距離でなぞったのはサタンの背中に引かれた赤い線、爪痕。耳を澄ませばこつこつと静寂。

これだけの距離で空気が動いてサタンが気づかないはずはなかった。それでも彼が背中を向けて無言で書類と向き合っているのは彼なりの優しさかそれとも冷たさかはわからない。
シェゾはただ緩く緩く手を伸ばし、2、3戸惑った指先がやがてゆっくり先の髪を掬う。さらりと零れた翡翠に視線と指を絡めて口を開きかけて、だけど言うべき言葉を見失ったまま吐息となって消えた。

「シェゾ?」

そうして指先の翡翠を持て余していたら、いつの間にか紅玉がシェゾを見下ろしていた。
振り返ったことにより逃げた髪を名残惜しそうに見送ったシェゾの髪を、今度はサタンの指がなぞる。
響いたテノールが自分の名前を呼ぶだけで心が震えるのを本能の隅で感じながら、シェゾは無表情でサタンを見上げた。

「どうした?」

無言でただ視線だけを交わらせて見上げた唇が優しく開いた。その響きに瞳の奥が熱くなることに少しの苛立ち。ただそれ以上は何も考えず一言だけ、告げた。

「……堕ちたものだ、俺も」

その一言に複雑な笑みを浮かべたサタンが、ペンから手を離してシェゾの頬をなぞる。シェゾは表情を動かさず少しだけ伏せた視線でもう一度サタンの髪に指を絡めて、瞳を。

ゆらり。

吹いた風がカーテンを舞い上げ、その先の蝋燭の僅かな灯りを消したのを、シェゾは閉じた瞳の裏で確かに、感じた。



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最近うちのシェゾがサタンを好きすぎる件(知らん)
サタンの髪をいじるシェゾを書きたかっただけでした。


あきゅろす。
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