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■迷走



一通り片付けを終えてリビングに来てみると,檜垣もソファーに座って眠っていた。

ビール1ケースの他にワインや日本酒にも手をつけているのだから当たり前の反応だけど。

部屋に残ってた未開封の缶を開けてあおる。そうして檜垣の反対側に腰掛けた。


『…温い』

常温のビールはとてもじゃないけど,飲めたもんじゃない。

酔う事も叶わず,中途半端に眠っていたせいで眠気は訪れそうになかった。


『…………』

手持ち無沙汰になって,向かいに座る檜垣に目をやる。

檜垣は明日,正確に言えば今日の日中にはこの街を発つ。そして今度会うときは独身じゃなくなってる。見た目は変わらないのに,既婚者っていう肩書きが付く。

檜垣の帰郷でオレの周囲は少しだけ変化した。それはまた元に戻ってしまうのだろうか。

それじゃあオレは,どうしたいのだろう。


『……やっぱり温い』

また一口飲んでも味は変わらない。

檜垣の来る前,変わる前の生活がよく思い出せなくて,それが怖いと思った。


『……誰か起きないかな』

まだまだ,夜は明けない。


■■

『後片付けさせちゃってごめんな。それにいろいろありがとう』

最寄り駅のホームは日中の平日の為かオレと檜垣しかいなかった。

あとは鈍行列車が1両だけポツンと停車してるだけ。


『どういたしまして。二日酔いになってなくてよかった』

『お陰さまでピンピンしてる』

小椋と宏和が居ないのは勿論,二日酔い。未だに家から出られる気配はない。


『二人にもよろしく伝えといて。凄く楽しかったって』

『分かった。…そろそろ乗ったほうがいい』

『そーだな。あ,でも』

言いかけて檜垣は鞄から携帯を取り出した。


『アドレス,教えてよ。ずっと聞きそびれたままだったから』

『そう言えば,いつも電話だけだっけ…』

オレも檜垣に倣ってポケットから取り出して画面を操作する。その傍らで,目の端にゆらゆら揺れるものが映った。

ストラップにしては変わった形で,やけに大きい。


『それ…』

『ああ,これ?比企がくれたお守り。身近なものにつけたほうがご利益ありそうだから』

『うん,そっか』

『そうそう。じゃあ,俺が送るから比企は後からメールして貰っていいかな』

『うん。乗り遅れたら洒落にならないもんな』

操作をしている間,胸が温かかった。その理由は些細なことだけど。


『それじゃあ比企,今度こそ,またな』

『うん…仕事も頑張れよ』

『比企だって体調管理しっかりな』

檜垣が列車に乗り込んですぐに扉はゆっくり閉じていった。そしてゆっくりと走りだす。

ドア越しに檜垣はひらひらと手を振ってきて,オレもつられて返す。


『……あ』

どんどん遠ざかっていく車体を見つめて 立ち尽くす。

見間違いでは無かったと思う。

ニコニコ笑みを携えた檜垣の右手には銀色が,無かった。

ポケットに入れた携帯が,ブルブルと震えだした。








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