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■追憶



いつまでそうしていただろうか。不意に椿は瞳を細くした。


『お前は変わってる』

その一言は本当に細やかな日常的なものだが,俺にとってはそれが嬉しい事で。それ以上にまるで蕾が綻ぶような笑みは俺の心搏数をより一層あげてしまう。


『王族に向かって言う言葉じゃない…』

『褒めてる。王族と言っても近頃ではここへ来るのはマヒロくらい。それに,名を貰ったのも久しぶりの事だ』

『名前が無いと,呼べないだろ』

『そうだな。だが,それを気にする者は王族内でも久しく現れなかった』

椿は所詮は国宝の入れ物でしかない。重要なのは右目だけ。それが王族達の見解だ。

今更,その考えを正す事など出来はしない。むしろ,俺が異端の存在だと非難されるだろう。だから,俺だけは椿を椿と呼び続ける。

『希望があれば,俺は喜んでいつでもどこでも呼んでやる』

俺が生きる限り。


『……それは少し遠慮しておく。必要な時だけでいい』


■■

『……やっぱりここに居た』

今日も例の如く授業前に姿を暗まし椿を尋ねたが,留守だった。だが本殿内で行く所は限られているから,すぐ見つける事が出来た。

椿は書庫ですやすやと眠っていた。

俺が尋ねる時は起きていた例しがないかもしれない。もしかすると,俺が居る以外は眠っているのではないか。

床板の書庫内へ窓から差し込む日の光は心地よく,こんな日は室内で本を読むよりも外に出て歩き回ったほうが良い気がする。久しぶりに,馬で野を走ろうか等とあれこれ思案しながら,机に体を預けている椿を起こしにかかった。

その時になって初めて椿が読んでいた本が目に留まる。


『……地図?』

古ぼけた本にはページいっぱいに地図が描かれていた。しかも,この国とは違った形状の文字で記されている。

おかしい。この国は現王,つまり父の代からかろうじて交易が始まった。それでも専ら王が取り寄せている品は光り輝く調度品ばかり。だから本はおろか,それ以前の国外の地図が手に入る訳が無いのだ。


『………』

何処の国なのかは解らない。だが,興味がわく。未知の世界が海を隔てて広がっているかと思うと,上手く想像は出来ないが自然と心が踊る。


『…興味あるのか?』

いつの間に起きていたのか。椿は瞳だけを俺に向けていた。


『まぁ。それにしてもこんな地図,いつ手に入れたんだ?』

寝起きを感じさせない椿の声。もしかしたら,ずっと見られていたのかもしれない。興味津々で本に魅入る自分の姿を。

恥ずかしくて曖昧に返答し,話題を少しだけそらす。

俺の問いに椿の表情が僅かに変化した。


『遠い昔に貰った』

懐古の表情を浮かべ,ゆっくりとそう言った。


『……名前をくれた奴にか?』

意識して言った訳では無いのに,声に刺々しさを持たせてしまう。
先程まで興味の対象であった本がとても憎らしく思えた。


『?何故怒ってる』

『…別に,怒ってない』

これじゃあ,怒っていると言ってるようなものだ。


『まぁいい。これは確かに自分に名付けた者から貰った』

椿の指先が表紙を滑る。まるで,愛しさを込めるかのような手つきで。

俺はその動きを見つめながら,その経緯を知りたいと思った。また逆に知りたくないとも思う。

過去は美しく残り,今はそれには勝てない。今は過ぎてこそ輝くのだから。

椿は俺の複雑な感情など知る由もなく,続ける。


『国を捨てた日に,記念として貰った』

『……捨てた?』

『この国のある時代は外の国との交流を禁止していた。たが,当時の皇子はそれを破り国を出た』

信じられない。名付けたのが皇子で,そして国を捨てたなんて。

俺は耳を疑う。

歴史は詳しくないが,今まで聞いた事などない。








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