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無駄な足掻き
 「ハルーッ!!」

 「……レイッ,…ンさん………!」


 生きたいと,ただそう思った。

 こんな欠陥だらけの人間を救ってくれようとする姿に,腹を括った筈の彼女の心が大きく揺れた。

 こんなこと,思っていいのだろうか。

 こんな自分にも言う資格はあるのだろうか。

 彼との距離は随分と遠いけど,目に見えない何かは繋がっているようだった。

 悪魔の牙で絶命するであろう自分が最期に悟ったのは,あまりにも単純で呆気ない言葉。


 「助け,…て―――」


 口からは血を,目からは涙を流しながらハルは気を失いかけていた。


 「―――ル?ハル?おーい,ハルってばぁ」

 「…………………」


 どうして痛みが襲ってこないのだろうか。

 自分はまだ生きている?

 そんな馬鹿な。

 だったら何故,目前にまで迫ってきた悪魔が止まっているのか教えてほしい。

 有り得ない,こんな光景など。

 人間を見れば反射的に噛みつく本能を持っている悪魔が,それを必死に押し留めているなんて。


 「大丈夫,ハル?」


 柔らかい声が霞む視界の外側から聞こえた。

 レインでも,ウェイドでもない。

 自分を知る人物など限られているのに,一体誰が?

 少しだけ頭を上にすれば,そこには思ってもみなかった顔があった。


 「ハル,久し振りだね。ボクのこと覚えてる?」

 「……!」


 あの下水道で息を引き取った筈ではなかったのか。

 どういった経緯で今,この場に立っているのだろう。


 「……カヤ,…ル…?」


 カヤル。

 数日前,フィルディア国辺境の地サリマンドラ砂漠地帯にてファーストの悪魔を呼び寄せ,殺戮を企てたセカンドの悪魔。

 銀術師と戦闘の後,同国の城にある下水道にてハルが発見し,そしてひっそりと看取りをした。


 「……な,…どうし……て…」

 「ボクのこと覚えてるよね?ねぇ,ハル〜ったらぁ」

 「え,あ……っと…,も,勿論です……」


 喋ることはおろか声を発する際に使う腹筋が悪魔によって損傷を受けた為,実際は唇の動きだけで意思を伝えているも等しい。

 とは言ったものの,やはりサードという悪魔の能力は人間を遥かに凌駕しているが故,彼女が出す微かな発声音さえもカヤルの耳には確実に伝わっていた。

 彼女が自分のことをしっかり覚えていてくれたことにカヤルは八重歯をにやりと見せ,嬉しそうに手を叩く。

 周囲の悪魔は彼等のやり取りをただ単に見つめ,レインとウェイドからすれば不可思議な光景そのものでしかない。

 それもその筈。

 傍から見れば数えきれな大勢の悪魔の中心に飛び込んできた,何も知らない小さな男の子にしか映っていないからだ。


 「……ッどっから来たんや,あの子!?」


 ウェイドはそこから離れるように大声で叫んでいるが,当の本人は涼しい笑顔でその指示を無視する。

 何を言っているの?

 そう言っているような気がした。

 どうしてか余裕さえ伺わせた,幼い男の子の緩んだ口元。

 すぐに少年とハルの姿は悪魔に飲み込まれてしまって一瞬しか前方を向けなかったウェイドは,その異様なまでの雰囲気を脳内に焼き付けずにはいられなかった。


 「何なんや,あの子……………ッてうわ!?」


 戦いの最中に考え事など以ての外。

 事実,レインがこちらに気を向けなければ危うく悪魔に喉元を噛みつかれていたのだから。

 数が減らないどころか,むしろ増えているような,そんな鼬(いたち)ごっこに終止符を打つべく銀髪の少年の感覚が鋭さを増しつつあった矢先の事で,気を取り直したウェイドも彼と同じ域に入った。

 意を決して殺気のこもった銀を差し向ければ,その気に当てられたかのように悪魔は物凄い勢いと共に毒牙をギラつかせる。


 「バァアアーーーッ!!」


 寸胴な体格に似合わない俊敏さに一体,何人もの人間が対応出来よう。

 世界中に存在する銀術師の中で,誰が複数の敵を前に瞬きをすることなく立ち向かえよう。

 ウェイドは巨大な銀のブーメランで嵐の風を起こし,レインは研ぎ澄まされた銀の刃で空を切る。

 彼等の目には恐れなど宿っていない。

 互いが互いの力を認め合い,双方の能力を相殺することなく銀を操るその様は正真正銘,銀術師たる風格そのもの。


 「あの二人はハルのお友達?」


 二人の銀術師による戦闘が烈火の如く巻き起こっている側で,カヤルは穏やかに問い掛ける。

 その瞳は本当に温和な赤色で,ハルの頭は皆目見当が付かなかった。

 と言うか,悪魔の巨体に囲まれて正気でいられる人間などいないに決まっている。


 「あの銀術師達はハルのこと助けようとしてるの?それともボクを殺そうとしてるの?」


 はい,と答えればカヤルは間違いなく二人を殺しにかかるだろう。

 今でこそ自分に敵意が無いように感じるが,果たしてそんな奇跡のような時間がいつまで持つか。

 何かを言いたげにしきりと瞳を揺らすハルにそっと耳を傾けたカヤルには,間違っても彼女を殺めようという意図など毛頭ない。


 「ハル,どうしたの?」


 すると,いきなりハルの口から大量の血が吐き出された。

 吐血だ。


 「あぁ…が……!ゥッ―――痛い………!」

 「ハル!?」

 「…ッ痛い……身体が……熱…ィ……!」


 途端に頭を抱え込むようにして激痛に耐えようとするが,引くばかりかむしろ痛みの度合いは更に増していき,遂には地面に頭部を打ちつける始末。

 口の中には鉄の味がじわりと広がり,瞳からはあまりの痛覚に涙が零れ落ち,そして悪魔に噛まれた腹部を力無い手で必死に止血しようとする。

 不意に,遠くから耳鳴りがした。

 同時に,今まで苦しみ悶えていたハルの身体活動がピタリと止まる。


 「……ッ…」


 ドクン,と心臓が大きく波打った。

 嗚呼,呼んでいる。

 人間を捨てて,我等の仲間になれと手招きしている。

 残酷で,それでいて愛らしい。

 まるで新たな家族を迎え入れるような温かさに,ハルの心は闇に支配されつつあった。


 「ハル,苦しいの?悪魔研究者に何かされたの?」


 虚ろな瞳で宙を見つめる彼女に問い掛けるが返答もなく,カヤルは仕方なく顔に付いた血を拭き取る。

 すると何かに気付いたのだろう。

 その血を見た途端,カヤルの口元に笑みが零れた。

 嗚呼,願ったり叶ったりだ。


 「ハルは悪魔になるんだね」

 「……………!」


 打たれた注射は恐らく悪魔化する為の増長剤か,又はただ単に悪魔の血か。

 この症状もきっと,悪魔化する段階を経ているに違いない。

 頭が急にすっきりしたように悟る自らの運命の行き着く先は,なんて単純明解な地獄なのだろう。

 ハルの唇は次第に震え始め,人間としての自分が徐々に消え失せる悲痛を味あわざるを得なかった。


 「ハル,無事か!?」

 「そこの少年も大丈夫か?怪我とかしてへんか?」


 次から次へと湧き上がってきていた悪魔をやっとの思いで一層したレインとウェイドが白装束の服にべったりと悪魔の血をこびり付かせながら駆け寄ってきた。

 二人の背後には数多の同族が死体の道を作り,カヤルは今ここで銀術師を殺してやろうかと殺意を抱く。


 「ボクは大丈夫だよー。でもハルが大変なの。悪魔になっちゃうの」

 「は…!?」


 すぐに彼女の元へと駆け寄ったレインは,事の異変の重大さに愕然とした。

 今まで何度も目にしてきた光景なだけあって,今のハルがどんな状態なのかすぐに分かった。

 いや,分かってしまった。


 「ハ,ル……?」


 手が震える。

 何故なのか,そう考えることなどとっくの昔に止めてしまったというのに。

 悪魔の血を体内に入れれば,人間が悪魔化することなど既に納得している筈だった。


 「…ッ何,で……?」


 彼はそう尋ねた。

 あの銀術師が,だ。

 どうして人間が悪魔になるのかと,そう口にした。


 「…ハル……」

 「―――レイ,…ンさん。………わ,わたしを殺して,……くださ…,い……」


 突きつけられたのは今までと何ら変わりのない,当たり前の展開。

 悪魔になったから殺す。

 ただ,それだけ。

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