二次小説 駿河倫太郎の三つの英単語(弟俺!) 1.manageable 駿河倫太郎は、天才という生き物を吐き気がするほど嫌っている。 隣にいる金崎勇以外の天才、全てを。 「俺、イサミが、よかった」 「は?」 金崎が、沈痛な面持ちで、おにぎりをかじりながら何を言うかと思えば、全く脈絡のない言葉だったので、駿河は聞き返した。 「イサミの方が男っぽくてかっこよかった」 駄々っ子のような、しかし小さな呟きに倫太郎は頭を巡らせ、日本史の授業が幕末にさしかかったことを思い出した。 「昔の奴妬んでも仕方ないだろ」 その妬みで少しは日本史の成績が上がるなら俺の手間が減るな、と倫太郎は軽口を叩いて、ハムサンドを口に運ぶ。 ピッチング以外、本当に取り柄と言っていい取り柄がないこの天才は、倫太郎が一から押し上げてきた存在だ。原石から磨きあげ、誰もがその輝きに目を留めずにはおれなくした宝石だ。宿願のための手駒だ。中学は同じシニアチームに入ってひたすらにピッチングの技術と心構えを鍛え、二人が所属する明京大附属の野球部のセレクションのために、面接対策を行ったことも記憶に新しい。勉学面は駿河に比べ覚えが劣るものの、駿河の手伝いもあって、赤点による補習の憂き目に遭ったことはなかった。 駿河にとって望外のことがあるとすれば、この年齢で知るにしては珍しい、育てる喜びを知ったことだった。 (ま、他のことは俺が面倒見てやるから、頼むぜ?) 三年以上、傍らに置いてきた天才だ。人柄を掴めるようになってからは、誘導することも易くなってきた。実際の「インフラ」を支えている割合からすればとても対等とは言い難い、歪な間柄である。 それでもいい。いつか来る勝利のためならなんだって耐えられる。だからそれまでは、 俺だけの、俺のためだけの天才だ。 2.noble 「リン、そんなに嬉しかったのか?」 「え?」 輪郭のはっきりしない声が、駿河の耳に届く。 「すごく、嬉しそうな、顔してる」 駿河の声を、滑るような軽やかな声とすれば、金崎の声は重く、地面に落ちる声である。 「だってしのさんに勝ったんだぜ?嬉しいに決まってるだろ」 下馬評を完全に覆し、昨年の甲子園優勝校を破ったという喜びはある。同学年の女子すらときめかせる笑顔も、当然ながら、男相手には通用しない。 「嬉しいのは分かる。でも、なんか違う気がする」 「違う?」 「うん」 迷っているようだが、その首肯は小さいながらも確信の伴ったものだった。 「どう違う?」 「どうとは言えないけど…」 金崎が口ごもると、駿河は敢えて待たずに「とっとと挨拶しよーぜ」と、チームの列の中へ金崎を引っ張った。 倫太郎の喜びは別にある。愚鈍なように見られがちだが、金崎はなかなかどうして、他人の感情の動きには敏感だ。この点で金崎の違和感は当たっていたと言える。 まさか、あんなのになってるなんてなあ、という呆れが、駿河の胸を満たしていた。笑いたい。腹を抱えて笑ってやりたい。けれどそれは、マウンドでは許されない行為で、もし実際に行ったとしても、チームメイトに意図すら誤解されるのが明らかな行為だった。 駿河の知る篠ノ井という「天才」は、孤高という言葉がよく似合う先輩だった。比類ないバッティングの才と、人を寄せ付けない態度。篠ノ井の前では、等しく全てのピッチャーが打たれるための存在であり、どれだけ精魂を込められた玉であっても、等しく空へ舞い上がった。 そんな男が『何で勝負しなかった』と、顔と声に怒りを露にするなど、誰が想像できただろうか。 まるで誰かに見られているかのような口ぶりだった。 昔の篠ノ井なら、あのスローボールは間違いなく打った球だろう。策を跳ね返す才能を存分に振るっていたのが、昔の篠ノ井だ。 孤高の天才が普通の天才にならなくては、敷けなかった策であり、勝てなかった勝負ではある。 しかし自分たちは勝ったのだ。甲子園への道が近付くのが半ば当たり前となっている学校に。 これで来たるべき復讐のときに一歩近づく。その時までは決して油断せず、全力で、跡形もなく潰してやれたなら笑ってやろう。 そう思っていたのに、やはり笑いをこらえきれなかった。 3.shameful 何で伝わってると思ったんだろう。 何で、分かっていないと思ってたんだろう。 「リン、お願い増やしていいかな」 「…何?」 「リンのピッチングが見たい」 枚鷹に敗北した翌日、軽めの練習が終わった後に、金崎は駿河に切り出した。 あのような負け方をしたことは悔しい。来年は必ず勝ってやりたい。復讐の炎には及ばずとも、駿河の中でそれに等しい燃え方をしている。 しかし憎しみが伴うものではなかった。 長年すれ違って、見ていたと思い込んで、その実見えていなかったものを突きつけられることになったからだ。 金崎の望む範囲のことは叶える気でいた。強い野球選手――自分にとってより有益な駒になるための投資なら、時間も金銭も惜しまない覚悟はあった。 でも傍にいるエースピッチャーが本当に望んでいたものは、一番初めに見過ごしていたものだった。 「俺は捕手だ。ピッチャーじゃねえよ」 「一回シニアの監督に聞いた。リンはどんなピッチャーだったのかって」 余計なことをするな、と声を荒らげそうになったが、金崎の真っ直ぐな、誤魔化しを許さない目が、駿河の口を閉じさせた。 続きを促されたと解釈して、金崎は絞り出すように言葉を吐く。 「リンは、嬉しそうに投げてた、って言ってた」 駿河が金崎にピッチングを見せていたのは、最初の三ヶ月までだ。グローブの嵌め方も知らなかったズブの素人に、野球とは、投球とは何かを教え、プレッシャーに打ち勝てる精神を育てていた。教本ではどうにもならなかったところを、見せて覚えさせるときに已む無く実演していただけで、金崎がピッチャーとして仕上がったときにはシニアに入団させ、監督に事前に口利きをしていたこともあって――何より、「魔球」と称される球を投げる金崎の実力あってのことだったが――金崎は誂えたエースの座にすんなりとおさまった。 以前、その座に誰がいたかを明言したことはない。 「リンの球が見たい」 「俺はもう、投げねーよ」 「俺が捕るから」 「バカ。キャッチャー舐めんな」 彼のために変えたポジションではあったが、今となっては捕手としての矜持があった。変わり身が早いもんだ、と自分で自分に呆れる。 やはりどんなことがあっても、野球がやっていたかったのか。 投手のポジションと同時に、何もかも捨てた気でいたのに。「楽しい」という気持ちさえも。 周りの称賛も意味のない言葉へと変わり、心の表面で受け流すだけになった。 風が駿河と金崎の髪をなぶる。風で簡単に形を変える駿河の髪と、揺らぐだけの金崎の髪。このまま根比べを続ければ負けるだろう。強情さでは、金崎は駿河の敵うところではない。 「分かった。サインのやりとりはなし。全部ストレートで三球だけ投げる。いいな」 金崎は喜色を満面にして頷いた。 適当な河川敷に移動して、キャッチボールで肩を慣らす。金崎は慣れないキャッチャーミットの感触に気を取られて、いつもよりコントロールの精彩を欠いていた。 「おらどーした。いきなりノーコンになりやがって」 「……キャッチャーミットってぽふぽふしてるんだな」 そういえば、こいつはキャッチャーミットの感触も知らないのだ、と思うと、改めて同じ場所に居ながら違う道を歩んできたことを思い知らされた。 運命と呼ぶに相応しいかは分からない。しかし、金崎との、あの時の一球が繋いだ出会いは、今までのどれとも違う特別だった。 金崎にしゃがむようジェスチャーを出し、金崎はぴょこんとしゃがんだ。 「サインはー?」 「やんなくていーよ。真っ直ぐな」 いつもより地面から遠い感覚に少しだけ遠近感が狂った感覚に陥る。 左足を大きく踏み出し、腕を大きく振って、右手からボールを、金崎の構えるミットに真っ直ぐ投げる。 空に響いた音は、金崎のより凄みにに欠けるな、と駿河は自分の球に呆れた。 数年は投げていなかったはずだが、昔取った何とやらで要領だけは覚えているもんだ、と自分の記憶の都合のよさにも。 整地どころか草が生えており、マウンドがあるわけでもないのに、キャッチャーとあの距離を取ったときのどうしようもない昂揚だけは、駿河の心臓がはっきりと、覚えていた。 「おい」 ミットに白球を埋め込んで、しゃがんだままの金崎に呼びかける。 「帰るぞ」 金崎は立ち上がり、駿河の持ち物であるキャッチャーミットと白球を手渡す。 「はい」 普段通りの、ぼそぼそとした口調で、金崎はこう続けた。 「リン、いつもありがとう」 「……はいはい」 この一球はこれでおしまいだ。強豪から三振を取れる球でもなければ、才能にあふれたものでもない。何も生み出さない、普通の球だ。 明日になればまた、駿河は金崎の球を捕る。その関係は変わることはない。 それでも、復讐ではなく「野球」を続けようと、確かにそう思えた。 圧倒的短さ。こういうのは十こくらい連作短編でやってはじめてサマになるのに、三つで音を上げるというこのありさま。 駿河君の頭のよさがにじみでているといいなあと思います。超細かい設定を言うならば、これらの単語は駿河のクラスの朝の英単語テストで出た単語です。もちろん駿河君は100点満点です。 20160930 前次 [戻る] |