ES21 理解不能(鷹と花梨) 分からない。分からなかった。 どうしてああも熱心になれるのか。 基礎メニューの後のトレーニングは日によって異なるが、今日は紅白戦だった。くじ引きで俺と花梨が同じチーム、大和が敵チーム。 ヘルメットを脱ぎ、頭を揺らしてこもった熱を散らす。外気との温度差に、こもった熱は相当だと知る。 すると、未だ慣れないイントネーションで彼女が挨拶してきた。 「鷹くん、お疲れさまです」 慣れないのはイントネーションだけでない。 『お疲れ様です』という挨拶。こんなに柔らかな挨拶をしてくるのは、彼女だけだ。大和との挨拶なら二秒とかからない。大和がきびきび喋り、俺が返事をする。 彼女と目を合わせ、軽く目礼すると唇が笑みの形を描く。時間をたっぷり使って、彼女と挨拶を交わす。 ほとんどが全国からの引き抜きで構成されている帝黒アレキサンダーズには、さまざまな地域からの転入者が所属しており、皮肉なことに地元の言葉――大阪弁を使っている人間は少ない。 彼女はその数少ないうちの一人。 小泉花梨。正確無比なボールコントロールで、帝黒アレキサンダーズの一軍クォーターバックに就任した。 しかしそれは、大和の熱烈な勧誘によるものだ。俺も彼女の才能に目を見張り、大和の神輿を担ぐの手伝った。 正直、いつやめてもおかしくないと思っていた。過酷な練習。体力だけでなく、頭脳面でも高度なものが要求される。いくら才能があるとはいっても、運動部経験がこれまで一切ない人間が、下に控える数百人の人間を押し退け続けて一軍に居るのは、そう長い期間ではないだろうと、俺は勝手に思っていた。大和もそれを見越して、何、二軍以下に落ちたならまた這い上がればいい、と彼女をフォローしていた。その時は大和、それはフォローになっていないと言うのはやめた。 しかし彼女はやめなかった。 練習中に今にもくじけそうな顔をしながら、今にも泣きそうな顔をしながら、それでもやめず、一軍の地位を守り続けて、現在に至る。 だから、分からなかった。 俺ですら無表情なのに――これはこれでいろいろな人間の反感を買っているらしいが――そんなに嫌な顔をしながら、何故続けるのかが。 俺がうなじに張りついた髪を剥がしながら汗を拭いている横で、有象無象のボトルの中からピンクの花のシールが貼ってあるボトルを取り(ここはほとんどが男所帯なので回し飲みくらい平気でやっているが、このボトルに手を付ける猛者はいないだろう)、花梨は水分補給をしていた。汗を拭き終わってタオルを惰性で握ったまま、俺も彼女のようにいっそ三つ編みにしてしまえば楽だろうか、と今思えば悪魔の誘いのような考えが頭に忍び寄っていたとき。 「いつも練習大変ですね」 手からタオルが滑り落ちる。 彼女はきわめて冷静に爆弾を投下した。 「お疲れ様です」はただの挨拶だと思っていた。 しかしだとしたら、今までのは全部。 「……どうして、そう思う」 タオルの感触がなくなった手を、知らず軽く握っていた。 「ええっ!いやあのいつも大和君と練習頑張ってはるし、って私なんかが言うてええことと違いますよねすすすスイマセン!!」 「花梨、謝らなくていい」 謝罪のために声を張り上げた彼女を制して、より正確に問い直した。 「君は、僕が練習をしてこの領域に辿り着いたと思ってるのか?」 僕の周りには、二種類の人間しかいない。 練習を見ようともせず、才能に恵まれた雲の上の存在とラベリングして済ます人間。 練習を暗黙の了解として、フィールドでも私生活でも対等に接してくる人間。 僕を羨望の眼差しで見る人間は前者、帝黒一軍のチームメイトや、父親が後者に該当する。どちらの人間も、練習を自明のもの、口に出すまででもないこととして練習を「認識していない」点では同じなのかもしれない。 だが彼女はどちらでもない。 チームメイトとして同じ目線に立った上で、俺を労ったのだ。「大変ですね」なんておめでたい言葉で。小学生のスポーツ同好会みたいな、場違いな平和さで。 恐る恐る頭を上げて桃色の髪を揺らし、僕の問いに対して似合わない渋面を作り、彼女が出した答えは。 「それは、いっつも近くで練習してるの見てますし、才能とかいうんもちょっぴりはあると思いますけど……いえ鷹君に才能がないとかそんなんと違いますよ!全然!私もピアノや絵描いたりしてますけどやっぱり練習せんと上手なりませんし……ってあああやっぱり私なんかがスイマセン!」 「……いや、いい」 目の前が白い闇で暗くなった。 彼女も間違いなく数少ない、天から愛された人間なのに、そうと気づいていない。 それは無理のないことなのかもしれない。彼女はアメフトを初めて一年と経っていない素人であり、自分の才に無頓着でここまで来た、無知な天才だ。 そこに自分の類い稀なる才能への自覚と、葛藤と、責任感はない。俺のように有り余る才に退屈を覚え腐ったり、大和のように爽やかな傲りに陥ることもない。 常人どころか才も志もある者でさえ血ヘドを吐いて立とうとする、進もうとする、それでも道半ばで倒れる者がいる戦場に、散歩でもするように来てしまった。彼女の才が来させた。 そして彼女の才は、彼女がそこにいることを許した。 だからこんなに柔らかい言葉が吐ける。 ここでのアメフトを「ちょっと大変な」日常として呑み込んでいる。そして俺達のことを、「選ばれた人間」ではなく、「部活で一緒に頑張る仲間」だと思っているんだ。心の底から。 念のために、質問をもう一つ重ねた。 「花梨、君は何で辞めない?」 「辞めへん?何をですか?」 「アメフト。いつもあんなに苦しそうな顔してるのに」 「……『怖いです』やら『私には無理です』って言うたら、大和さんが笑顔で守備の強化に務めはるので」 「それは知っている。けど、いくらあの大和でも君の口から『アメリカンフットボールをやめたいです』と言えば、考えないことはないよ」 「――アメフトはまだ怖ない言うたら嘘になりますけど、私、何かに向いてる言われたん生まれて初めてやったんですよ。好きで始めたこととかは、向いてる向いてへん考える前に始めたことやしで、正直大和さんにああ言われた時はびっくりしました。やったら折角やし続けよかな、って」 「ああ…」 「折角だから」。 ……バーゲンセールで買い込む主婦と同じ心理だったとは。 前に、花梨の家族の話を訊いた。家族は自分だけがこのような性格で、自分以外は皆、言うなれば関東の人間が抱くステレオタイプの「関西人」の性格なのだという。なので家族で喧嘩が起きれば真っ先に仲裁に入らされ、自分に矛先が来ることで、喧嘩が収まるのだということを、いつもの薄幸そうな顔で話していた。三つ編みを揺らしながら、双方の意見に右往左往させられる花梨は、明確にイメージ出来た。 アメフトは専門職のゲームだ。野球のようにバランスの取れた運動技能を要求されることはない。何か一つさえ出来ればいい。帝黒という名のジグソーパズルの中で唯一欠けていたピース、それが彼女。帝黒の中で引き抜きによって全てが埋められた結果、コントロールにのみ重点が置かれた特異なクォーターバック像が浮かび上がった。 チームの地力が全国一を誇るからこそ必要とされた、おそらく全国一身体能力の低いクォーターバックで、そして彼女は全国一のクォーターバックだ。 他のチームに行けばまるで使い物にならなくなる、それでも全国一のクォーターバックなのだ。 「鷹君と話してると、つい色んなこと話してまいますね」 驚いた顔を戻せもしないでいると、花梨は名前に冠した字に違わず、花がほころぶように笑った。つい十分前まで男達が泥まみれで這いずり駆け回る中、一人厳しい表情を保っていた人間とは思えない。 俺にとって彼女は、話せる人間ではあるようだ。大和はいい人間だが、空気を読む能力がやや欠けており、彼女のように察してもらって初めて会話が成立するようなタイプとは会話だけで上下関係が生じてしまい、心労が絶えないのだろう。 そのポジションには居続けようと思った。 彼女が葛藤して、あんな言葉を吐けなくなる瞬間を俺の目で見届ける、その日まで。 彼女のことは分からない。 エリート集団の中の紅一点の孤独も、類稀なる才を己の中でどう位置付けているのかも。この全ての天才に突きつけられる命題を彼女はどう処理しているのだろうか。 いや、していないのだろう。自覚がないのだから。 さすがに彼女自身に嫉妬を燃やす男はいないが、彼女の「後釜」に座らんと実力を磨く男はたくさんいる。恋愛感情以外で一人の女が多くの男の思いを翻弄しているというのは、今まで読んだどんな本にも該当しない筋書だ。 「花梨、君は、」 「花梨!ちょっと来てくれないか!」 「はい!」 声が出かかったところで花梨は大和に呼び出され、三つ編みを一瞬靡かせ、俺に背を向けて行ってしまう。戦慄した。 何てフィールドに相応しくない、華奢な背中だろう。 分からない。何故ああも頑張れるのか。 ――不愉快だ。 何故こんな気持ちになるのかも。 本当は鷹花って書きたかったけど(字面綺麗だから)恋愛関係と勘違いされる方がいるといけないので正確を期しました。 どうしてこうなった。 私は話の筋を全部決めてから書くので、話が変わるわけなかったんです。書き始めにあとがきかいても大丈夫な位には。 『こひのめばえ(鷹→花)』的なものを書こうと思ったのに、「自分の才能を自覚しないままに何となくってだけでここまで来ちゃった花梨ちゃんってスゲー葛藤してなくていいなー」という鷹の独白(嫉妬)になりました。読んで訳が分からないと思った貴方、正解です。 クォーターバックは何よりチームの看板というかカラーを表すものだと思いますが、そうすると花梨ちゃんに一番近いクォーターバック像は原尾になるんですかね? 20130211 前次 [戻る] |