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ES21
鴻鵠は空に羽ばたく(水町と筧)
「筧ー、お疲れ」
校門から出たところで、筧はあるはずのないプリン頭に出迎えられ面食らった。遅くなるから先に上がるよう言っておいたはずなのに。
「……待っていたのか。待たなくても良かったんだが」
「そりゃないっしょ」
プリン頭――水町はからりと笑い、筧の隣へ並んだ。梅雨も終わりかけ、いよいよ夏になろうかという時季なのに、水町の格好はランニングに短パンと、一足先に真夏だ。
水分子の一つ一つまで肌で感じとれそうなじっとりした夜の中、二人は並んで歩く。水町はこころなしか機嫌がよさそうだが――まさしく“水を得た”ように――湿度の低いアメリカから帰ってきたばかりの筧には重く感じられた。自分の生まれた国なのにな、と筧は複雑な気持ちにさせられた。
「その……大丈夫か? まだ慣れないだろう」
無言で歩くのも気まずいので当たり障りのない話題を振る。
「ンハッ、心配してくれてんの? だーいじょうぶだって、体力には自信あるし」
「そうか……ならいいんだが」
生返事をして、筧は思考の海へと潜行していった。

筧が心配していたのは水町の体力面ではない。

いくら一つの種目を窮めたとしても、競技を変えれば技術面では素人になり下がる。水町は体力面では申し分ない。しかし年月という埋め難いハンデがある。一部の天才でない限り。
故に筧は、水町は技術面で苦労すると思っていた。自分がテクニックタイプの選手である以上、その思いはなおさらのことだった。
だが、水町は筧の予想をいい意味で大きく裏切った。
水町はスポンジは水を含むように恐るべき速さでアメフトの技術を吸収し、己のものとしていた。彼の中で「水泳」から「アメフト」へと身体の情報が恐ろしい速さで書き変わっていく。
恵まれていたのは才だけではない。水町は自分から厳しいノルマの練習を提案し、達成しよ
うと踏ん張る。自分で自分の加減も分からない馬鹿、と言ってしまえばそれまでだが、「達成出来る目標」ではなく「達成出来るか分からない目標」を立てる水町の奔流のような向上心を、筧は水町の才能の一つとして数えていた。

筧は驚きを隠せなかった。
筧はアメリカに留学し、さまざまなタイプの人間を見てきた。
「天才」と呼ばれる人間も。
筧の中で最も鮮烈に残っているのは言うまでもなく『本物の』アイシールド21だが、水町もまた違ったタイプの、紛れもない、「天才」に類される人間だった。
驚愕は希望へ変わった。

――いけるかもしれない。

筧は、クリスマスボウルへと近づいた手応えを確かに感じていた。
「――けい……かーけいーー!!!」
「うおぁっ!!」
耳に水町の大声が飛びこんできたかと思えば、次の瞬間には水町の顔のアップが筧の眼前にあった。二連続でかまされた攻撃に、さしもの筧も叫ぶ。
「ンハハー、驚いてやーんのー」
「近所迷惑考えろよ……」
普段の落ち着いた言動からは想像もつかない情けない声を上げた筧を見て、水町はカラカラと笑う。思い切り笑われているはずなのに、あまりにも無邪気に笑うので怒る気も削がれるほどだった。筧もばつが悪いので目を反らして注意する。
「だっていくら呼んでも返事してくんねーんだもんよー」
笑い声から一転、今度はぶー、と幼い子供のように口をとがらせる。
「それは悪かったけどよ……。で、用は何だ?」


「ありがとな、筧」


思ってもみない言葉に足を止めた。
いつもの行動といいさっきといい、全く心臓に悪い男だ。
「……何がだ?」
「あん時ああ言ってくれて」
水町は筧の目を見る。
当然ながら今は夜で、明かりは街灯と心もとない月明かりしかない。だからなのか――筧は今までの付き合いの中で水町の目を見て、初めて不安を覚えた。
自分を映す相手の目には最も不似合いであろう感情――悲しみが浮かんでいたからだ。それは極めて微量なものだったが、あの水町故に否が応にも際立ってしまっていた。
筧の中で蒸し暑さが意識の外に追いやられていた。

「俺水泳部にいたじゃん? 結果出さないと部が潰れるっていうからカナヅチから必死で必死で頑張ったんだけどよ、後から部が潰れるのはウソだって分かって、ってそれはどうでもよくて……」
悪り、俺馬鹿だから言葉上手く使えねーや、と水町は笑った。
笑っているのに、いつも陽気なカーブを描いている眉が少し下がっていた。
「部活やるからには上目指さなきゃソンだろって練習してたら、先輩とかが俺のことよくわかんねー生き物を見る目で見ててさ」
いつもはたくさん光を取り入れるように大きく開かれた目も、少し細められる。

「それだけは、ちょっとヤだったかな」

知らず、筧の掌に爪が食い込んでいた。

「だから嬉しかったぜ。俺が目標訊いたらお前のマジな目で『全国制覇』って言ってくれて」

そうして水町はまたいつものように笑った。
見ているだけで湿っぽい気持ちが吹き飛びそうな、そんな顔だった。

どれだけ辛かっただろう。
努力したい人間がその努力自体を否定されるなんてこと、想像もつかない。事実を理解するのに時間さえ要した。怒りで唇が震える。顔も知らない水泳部の同級生や先輩に怒りを通り越して憎悪を覚えた。
竹のように真っ直ぐな向上心を、訳の分からないもので汚した人間に。
良くも悪くも子供のように純真なこいつに、あんな顔をさせた人間に。

「……燕雀いづくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
無意識に口をついて出たのは、古典の教科書に載っていた格言。
自分達に重なって、特に印象深く残っていたものだ。
中学時代留学していた筧には古典の授業は新鮮なもので、何事にも真面目な筧はたとえ面白くない授業でも水町のように堂々と「面白くありません」のポーズ――鉛筆を鼻の下で挟んで遊んだり場合によっては熟睡――をとることなく真面目に聞いているが、古典は興味本位で聞いているところがあった。
「広告?」
授業でやっただろうが、と突っ込みたいのをぐっとこらえ説明を続ける。
「燕雀ってのは燕や雀、小さい鳥のことだ。鴻鵠ってのは中国の伝説上のバカでかい鳥のことだ」
言葉の真意が分からず、首を傾げる水町。
「意味は『小人には大人物の志は分からない』」
とぼけたような顔をしていた水町も、正面から筧の目を見つめる。
「お前は何も悪くない」
筧は叱責する勢いで、自らの感情を吐露した。普段は諌めるように、諭すように話すことが多い筧には珍しいことだった。
「志が高いことは罪でも何でもねェ。志が低い奴のことは分からないが、お前がそんな風に扱われる理由も扱われていい理由もねぇ!んな事する奴はただの人間として最低な奴だ!だから……」

「『俺らはデカさで全国を獲る』だろ?」

先手を取られ、筧の頭が冷まされる。
「さっきも言ったろ? 俺、水泳楽しかったし泳ぐの好きなんだよ。だから水泳は辞めなかった。
でも、おんなじ目標持ってる奴と一緒に1コのことやる方が楽しーんだよな。どうやっても。
だから、お前を選んだんだ」
泳ぐのは一人でも出来るしな。
この自分が、目の前の呑気でその癖ギラギラした男の救いになっているのが分かって、むず痒くなった。真っ直ぐな好意を向けられると、赤くなるしかない筧である。
「よろしくな、筧センセー」
「ああ……って誰が先生だ」
水町が指の腹の大きな手を差し出す。
苦笑しながら、筧はその手を握る。
かつてよりあったものが、より鮮明になる心地がした。
その挨拶の仕方にかつて居た国のことを思い出して、筧は気がつけば湿気を不快に思わなくなっていた。
夏の夜のことだった。










原作での水町の「お前がいうから水泳からアメフトに転向したんだかんな」という台詞を読んで、どうしても。絶対感謝してるだろ水町、と思いながらこれを書きました。あの台詞っきりだから男の友情のいい意味での乾きと妙味があるのだと思いますが、感謝の言葉をまっすぐ何処かで言ってると面白いなあと思って書きました。時系列ではあの台詞の後のある日の練習終わりと想像しています。努力そのものが否定されるエピソードってそうそうないと思うんですよ、二次元でも三次元でも。アイシはこれが初作品です。数々の到らないところは習作として大目に見て頂けると幸いです。

20120821


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