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「それは猫かのう」
「厭違え、犬畜生だ」
「儂には猫に見えるがのう」
宵闇が空を覆い、松明(たいまつ)の明かりが灯る。
人々の営みは外から中へと移り、日輪が照らす間賑わう通りも静けさを保っていた。
見回り兵の草履が擦れる音と伝達の声、風が鳴る音に虫の音。
甲斐の虎、武田信玄公の住まう躑躅ヶ崎館もそれ以外は襖の内側から起てる音のみとなっていた。
襖の外に虎の若子の張りのある声が聞こえないことも相俟って一層闇夜を濃いものへと成す。
武田信玄が、とある人物を持て成していた部屋にも灯台が持ち込まれて火が燈ろうかとしていた。
「趣がねえなあ」
持て成されていた人物、甲斐まで訪れていた伊達政宗が一言漏らすと信玄は手をあげて小姓に明かりを燈すことを止めさせ襖を開けさせる。
それと共に付近の松明を見回りの兵が鎮火した。
墨で画いたかのようなほの暗い闇。
その中から輝く月明かりが畳みを照らす。
「こうでなくちゃな」
「まだ酒ならたんとあるが、寒くなって具合を悪くしては敵わんな」
「ん、じゃあ何処かにやってくれ」
月から眼を離した二人は猫、または犬と云っていたそのものへと視線を向けた。
そのものは畏れる者何もなし、伊達政宗の膝を堂々と拝借して枕にし、躯を丸めて眠っていた。
伊達政宗が珍しい阿保者と云って連れてきた異国の娘だ。
武田信玄から見て、何も掛けずに寝ている姿は寒いことこの上ない様子であったが政宗氏は気にしていないようだった。
「ううむ、佐助」
「――喚んだかい、大将」
天井裏でずっと様子を窺っていた真田幸村が忍、猿飛佐助はさっと信玄公の後ろに現れて見せると、分かりきったことを一応聞いてみた。
「その娘を客間まで運んでもらえんかの」
「はいはい、大将の頼みとあらば」
ため息をついて、すっと伊達政宗の隣へ移ると軽々とその娘を抱え、一度政宗公と眼を交わしてまた音もなく応接間より退いた。
――全く、こんな歳頃の娘を独り放っておいてよく酒盛りが出来たもんだよね。
歳頃と云うより食べ頃だと考え直すと、襖一つ分濃さが増した闇に降り立ち部屋に敷かれていた蒲団に彼女を横たえた。
琥珀色の髪に和の者とはまた違った整った顔立ち。
眠っているため長い睫毛に隠れてしまっているが若草色の人を射抜くような強い瞳を持った娘。
「厭だねえ、大将たちに付き合ってないで暇なら俺様を喚べば良かったのに」
彼女の甘い香と共に酒の匂いが漂ってくる。
酌でもされたのだろう。
ほんのりと頬も染まり、何とも気持ち良さそうに深い呼吸を繰り返している娘。
寝返りをうって小さく丸まる姿は可愛らしく佐助は唇だけで笑った。
なに、やっぱり素敵な仔猫ちゃんじゃないと信玄公に一票を投じ、屈み込んで滑らかな頬に指を滑らせると娘も笑みを返した。
「あれ、起こしちゃた」
「元々起こす積もりだったのでしょう」
薄目を開けて首を傾げて見せた娘は白く長い肢体を広げ、妖艶に佐助を誘う。
抑揚のある流暢なこの島の詞を用いた彼女の声は闇に甘く響いた。
「久しぶりに二人きりになれて嬉しいよ」
「まあ日ノ下で云われたい詞ですわ」
佐助はちらつく宝珠のような瞳に魅入って覆いかぶさり、瞼へと口付ける。
確かにこんな臭い詞は日ノ下で云うのは恥ずかしい。
本来、忍が陰から出ることなどないのだからおちょくられているのだろう。
愛しい娘と詞遊びをするのも愉しいかもしれない。
しかし、佐助は今までの隙間を埋めるように手っ取り早く躯の繋がりが欲しかったのだが、気位の高い猫は易々と触れることを許してくれないのだ。
毎度、何等かの儀式の様に繰り返されるそれ。
佐助が娘の首筋へ唇を落とそうとすると彼女は脚を振り上げて膝で佐助の大事なところを蹴ろうとする。
素早く横へ避けると彼女はゆるりと起き上がり、蒲団の上でくすくすと笑った。
「そんなに軽くはありませんわ」
「……可愛いこと云って、どうなっても知らないよ」
佐助がまた顔を寄せようとすると脳天を揺らす積もりなのか今度は直接顔に脚を向けてきた。
確かに彼女は誰にでも攻められて堕ちるような玉ではないのだろう。
それを崩落させることが出来るのは今のところ佐助しかいないのだと自負している。
何故なら、まず厭であれば逃げるからだ。
以前そんな話を彼女から聞いたことがある気がする。
迎え撃つのにも体力がいるからだ。
それで、この中々良い動きを封じられるのは並の漢には難しいことだろう、と白い弾力のある太股を捕まえた。
「仔猫ちゃん。君が生きていると知って嬉しかったと云ったら笑うかい」
「忍に心は要りませんわ。いえ、意思が要らないのでしたか」
まあどちらにしても貴方を少しでも忍から唯の人へと私が還したというのなら嬉しいですわ、と彼女はころころ笑った。
確かに忍が感情を露にすることは命取りとなる。
忍でないとしても真田に仕える身であり、真田を自らの命より重く感じる立場の己にとって感情など二の次。
――でも、たまには自分に直になったって良いじゃないの。
特に領土内に居るときなど己以外にも真田の忍が旦那を観ている。
何かあったら直ぐに報せが届くし、周りから観れば手が早い一忍の、唯の戯れ程度にしか映らないだろう。
何とも己にとって都合の良い状況下なのだろうと笑って佐助は娘に取り付いた。
「お慕い申し上げております、位云ってくれたら俺様盛り上がっちゃうんだけどねえ」
「……私は、」
むっとした彼女は、躊躇って眉根を寄せた。
あれ云ってくれるの、と期待をして顔を近付けると光を放つ美麗な瞳が己を貫く。
「私は、貴方になら殺されても良かったと思っておりましたのに」
その詞に躯が痺れ、佐助は歓喜した。
戦忍として佐助が認められたような感覚。
殺されても良かったということは、もし彼女が使えていた城で敵陣営として逢うことになったら対等に刃を向けてくれたかもしれないということ。
何者にも易々と己を渡さない彼女のことだ。
それを含めた詞なのだろう。
わざわざ今、佐助に向かって云ってくれるというのは褒美以外の何物でもない。
「それ、殺し文句じゃないの」
嬉しいじゃない、と呟き今位は意志の強く賢い孤高の女に一時心を奪われて仕舞おうと、彼女に溺れるために唇を逢わせた。
桶の中の湯はもう既に温くなってしまっている。
手ぬぐいで躯を拭き、新しく着物を着た娘は佐助に桶を返すと未だ闇が濃い襖の外を見遣り、そして立ち上がった。
「貴方は今から任務なのでしょう」
「まあねえ。でも素っ気ないじゃない仔猫ちゃん。ちょっと位余韻残してくれても罰は当たんないよ」
情事が済むと直ぐに手ぬぐいと湯を頼んできた娘に佐助はため息をついたものであったが、この真夜中に娘は部屋から出ようとしている。
首を傾げつつ云うが、まだ憂いの残る瞳を佐助に向けて娘は笑うのみであった。
「厠とかならそう云ってくれれば」
「いえ、もう休むだけですわ」
そう云う彼女は眠そうに目元を擦って佐助に可愛いと思わせるのだが、掛け布団を手繰りよせて引きずりつつ襖を開けて出ていくのには慌てさせられた。
「着いてこないでくださいまし。私が斬られますわ」
眠気から憂いを帯びたような笑みを向けられ佐助は怯む。
その間に彼女は掛け布団を両手で抱えて、するすると廊下へ出た。
――え、まさか、ねぇ。
暫く佐助が動けないでいると、何部屋か隔てた向こうから苛ついた低い声がしてきた。
「てめ、この糞犬、入ってくんな!」
「……私は別に一緒の蒲団に入りたいなどとは云っておりませんわ」
「あたりめえだ雌犬。部屋に入ってくんなって云ってんだ」
厭な予感がしつつ一室を覗くと大将との酒盛りが終ったらしい伊達政宗が宛がわれた部屋にて蒲団に潜り込んでいたところだった。
その蒲団の隣に、掛け布団に包まり丸まっている彼女。
政宗公の蒲団に寄り添っているが触れてはいないといったところだろうか。
苛々しながらそれを怒鳴り付けている伊達政宗。
罵られても彼女は眠気が勝るのか気にした様子が観られなかった。
さて面白くないのは佐助なのだが、大将に頼まれた用事を済まさなければならない。
ため息を付きつつ、気配で己がいることが分かっているであろう伊達政宗に何か云われる前に佐助は渋々その場を後にした。
確かに政宗公が彼女を犬畜生と云ったのも分かった。
彼女は現主人に忠実なのだろう。
主人の近くで寝たい仔猫のようでもあり、伊達政宗にとって要らぬ――夜ばいや刺客を防ぐための――番犬でもあるのだ。
伊達政宗とて鬼ではない。
暫くしたら根負けして皮肉を云いつつ彼女を蒲団へといざなってあげることだろう。
「別に気にする事でもないんだけどねえ」
でも気に入らないね、と直に詞を漏らすと佐助はもう唇を閉じて任務へと戻る。
まだ奥州へ戻らないだろうと踏みつつ、早めに還ることを決め館を後にした。
end
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時間軸としてFirst contactの続きになってます。
佐ナタというよりも仲良し政ナタが強くなってしまった観がありますね。
自称番犬ナタリアを目指しました(笑)
佐ナタみたいと言ってくれた方、こんなんですみませんっ。
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