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「――…この愚か者!」

「それは酷いですよ、ナタリア様」



今日も変わらず、天高く輝く日の光りがキムラスカ王国都市バチカルを照らしている。

商人が行き交い旅人が骨休めに訪れる活気に溢れた町並み。
その上層部には天空客車によって向かうことのできる、王族に連なる者が住まう屋敷が門を構えている。

その一角、ファブレ公爵家で外出したガイの帰りを待っていたナタリアは、バチカル六番街の救護室まで急いで出向く羽目になり、息を切らして入った一室の先、そこで座っていたガイへと息を整えて冷たい目を向けた。

薬品の臭いが立ち込める白を基調とした清潔な部屋。
椅子に腰掛けていたガイがナタリアを見上げている。


正直なところナタリアは自分に苦笑いを返してくるガイを怒りくるって殴り飛ばしてしまいたかった。
そんなことを道徳的にしてはならないことは分かっていたし、まず自分にそんなことが出来るとは思えない。

それよりも先に自分はこのファブレ公爵家の若き使用人に聞かなれけばならないことがあったのだと心を改める。


「幼子が客車近くの階段から落ちそうになっているのを見つけたので助けて自分だけ落ちた、と」

いま目の前にいる男はそのためにこの救護室に入っているという。

「はい。何かナタリア様にいけないことをしたでしょうか」

確かに情けない話ですが、といくらか疲れた様子のガイがため息をついたので、ぐっと唇を噛んだ。
肯定したということは、ナタリアが聞いてきた話に偽りがないということ。
ルークの使用人は本当にそんなことで怪我をしたのだという。


「私は貴方が出掛ける際、お前に何と言いましたか」

「……紅茶の葉はダージリンが良いと。ああ、そうですね。まだ葉を買ってないので怒っていらっしゃるのですね」

すみませんでした、と首を傾げながら頭を下げるガイ。
ナタリアへ謝る気などさらさらないのだろう。



――その金髪を、思いきり殴り付けた。



「……ッこの馬鹿者!私を侮辱するのも大概になさい」


ガイが女性恐怖症だということなど忘れた。
出来はしないと思っていた拳は意識する間もなく目の前の男へと振り下ろされていた。


そんなことで、紅茶一つで私が怒っているのだと本気で思っているのだ、この使用人は。


ナタリアは痺れて赤くなっている手を腰に当てて息をつく。
悔しくて、もっと罵って殴り付けてやりたくて、冷静にならなければいけないのだと理解しているのに睨み据えることしか今のナタリアには出来なくて。


――この男は、表へ出ることの出来ないルークに、表へ出て安否の確認も出来ない彼に、心の底から心配をさせたのだ。


彼の名誉のために言わないが、この愚かな使用人には理解してもらわなければ困る。
それに自分だって、とナタリアは思う。


ガイが頭を押さえつつ驚いた顔で見上げてきたがそんなことには構っていられなかった。


「私はお前に『いってらっしゃい』と言いました。お前は『行ってきます』と応えたではありませんか」

「は……い」

そのほうけた顔を見たら馬鹿者、ともう一度言うしかなかった。

「だったら、ちゃんと帰ってこなければなりません。『ただいま』と言って、行った時と同じように帰ってこなければなりません」

「……あの、ナタリア様」

「いい年して心配を掛けさせないで下さいまし」

「ナタリ、」

「私もルークもガイが階段から落ちたと聞いて、ガイなら受け身くらい取れるだろうと思っていたら救護室にいるって」

「あ、あの」

「急いで来てみたら、やっぱりただの擦り傷ではありませんか!」

「ちょっとすみ、」

「人をこんなに走らせておいて!」

「ナッナタ」

「ふざけているとしか思えませんわ!」

「ナタリア様」

「何ですの!」


人が真剣に話をしている最中に何度も口を挟もうとしてくるガイに苛々しながらナタリアが答えるとガイはあの、と口ごもりながら呟いた。


「一応、左腕骨折……と、いえそうではなくて、」

「だから何です!」

「……あの、何故泣いておられるのですか」


そのガイの言葉を聞いた時につうっと頬を涙が伝うのを感じた。

ナタリアは腹立たしいと思いながら汚いと分かりつつ袖でそれを拭う。


「お前のために流す涙など、私には持ち合わせておりませんわ!」

「はぁ……」


気の抜けた返事にまた腹立たしくなりながら言葉を紡ぐ。


「ただ、何ともなくて安心して緊張の糸が解けただけです」

「……はい。ご迷惑をお掛けしてすみませんでした、ナタリア様」


やっと申し訳なさそうに笑ったガイに、ナタリアは顔を背けて唇をわななかせた。


「……ふぅ…ッ」

「心配して下さり、ありがとうございます」

「馬鹿ガイ」

「はい」

「馬鹿ガイ」

「はい、ナタリア様」

「馬鹿ガイ」


それきり口を開かず、しばらく目許を被って沈黙していたらガイも何も言わずにいてくれた。
赤くなっているのであろう目の下を見せないようにしてガイへと目を向けると、じっと座ってこちらを見据えている相手が複雑な表情をする。

落ち着いてガイを見てみたら腕は確かに包帯で固定されていて痛々しくもある。
それを態度で表さないのはナタリアに気を使ってだろうかと少し寂しくもあった。
やっぱりこの使用人は自分を苛々させるのが得意なのだと思ってしまう。
もっと頼ってくれても良いと思うのだが、そんなことを言っても身分が違うのだからと一蹴されておしまいなのだ。


「その、殴ってしまったことは謝りますわ」

「そんな怒りながら言われても」


別に良いですけど、とガイが言った時に部屋の扉が二三度ノックされたのでナタリアは振り返って小さく返事をした。

救護所まで共だって来ていた白光騎士団の団員が二名。
敬礼をして口を結びナタリアの指示を待っている。


ナタリアはそっとガイを見据えると眉間にシワを寄せて団員を振り返った。


「お前たちは先に帰っていなさい。私はガイと買い物をしてから公爵家へと戻ります」

「……はい」


一瞬目で会話をした団員たち。
ナタリアは気付いていたが何も言わずにそれを見ていた。

ガイは優秀な剣客であったが所詮使用人である。
使用人に任せるのは兵士として釈に障ることであろうが、どうするかと思ったが頷き合っただけですんなりと引き下がった。

そっと息をついてナタリアは自分の周りに張り巡らされているのだろうキムラスカの兵士を思う。
つかず離れずの距離を保って着いてくるそちらに今を持ってナタリアは引き渡されたのだ。


「この者に心配させられたことについて謝ってもらうばかりでは私の気持ちは収まりませんわ。ルークにはガイについて何も話さなくて良いです。一人で心配させておきなさい」


退出する兵士にナタリアは笑顔を向ける。


「ナタリア様、それはあんまりなのでは」

ガイが肩を竦めたのを横目に見てどっちが、とむくれて見せた。

「お黙りなさい。酷いのはお前の方ですわ。だから私も誰かに意地悪したい気分ですの」

「はぁ……」


笑うしかないといった表情をするガイに、ナタリアもそっと頬を緩めて笑みを浮かべた。


「それで、ガイ。お前はちゃんと帰って、ルークに『ただいま』と言わなければいけませんわ」


目を見開いたガイは瞬きをした後何故か少しだけ顔を赤くして、いつも公爵家のメイドたちを魅了させている表情でナタリアに向けて笑った。


「はい、ナタリア様」


誰に心配を掛けていたのか気付いたのか、それとも気付いていたのか、ガイはゆっくりと噛み締めるように返事をして立ち上がった。






end
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優しい人に触れたと思っただけ。

バチカル三人組が好きで、淡い、強くない恋も美味しいんです。

















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