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鳥のさえずりに風がなぜた木々のざわめき。
廊下を翔け抜ける裸足の踏み締める音に人々の息を潜めるような微かな声。

己にとって心地良い空間に飛脚の異質な匂いが混ざっている日常のそれに真田幸村は耳を傾けまどろんでいた。



――風を切る音。



意図的に発せられたそれは、音を起てずに空中を舞う忍が微かな葉鳴りをさせてその存在を知らせたに過ぎない。

使いに出ていた佐助が帰ってきたらしい。

異質色が濃くなり、それと共に正門が開く音がした。
幾人かの足音。一寸留まった異質な気配は脚をこちらへと向けてくる。

幸村はそれを捉えながらも身構えずに躯の力を抜いていた。


何人(なんびと)たろうと、関所を通りこの躑躅ヶ崎館の門が開かれたということは客人である。
館の主が許したのなら幸村がとやかく云う必要はない。


「……Heyそこの若虎、昼寝にはまだ早いぜ」


まず、飛脚より先に鬼門の方角の山々から狼煙を通じて連絡が入り、彼の者が真田の忍を伴い訪れることは聞き知っていた。


草履の擦れる音が手前で留まり、南蛮語を操る相手が袴着であることが伺えた。

――戦意は無し。

来客である相手は己に話し掛けており、迎え入れる側としては無下にすることも出来ない。
近場にはよく知った忍も部下も他の武田軍兵士の気配もしない。


嫌々ながらもすっと眼を開けると、果たしてそこには奥州筆頭伊達政宗がいた。



――そのことを視界で確認したのは暫くしてからで、幸村は人の陰になった薄暗い光の中、澄んだ宝石を見据えていた。


「……美しいでござる」

「こんな所で寝ていたら、お風邪を召されますわよ」


抑揚のある女子(おなご)の声に眼を見開く。

よくよく見ればそれは石などではなく瞳の輝き。
澄んだ薄緑色の眼に外来の整った顔が幸村を心配そうに覗き込んでいた。

白粉(おしろい)を塗ったような白い肌に熟れた桃のような唇。
べっ甲色の肩で綺麗に切り揃えられた髪。
眼を上方へ向けるとほっそりとした白い足首が着物の裾から覗いていた。

幸村はごくっと唾を飲み込むと勢いよく起き上がり転がる様にしてその場から離れた。


「はっ破廉恥でござるう!」

「おいおい。汚ねえ庭先で寝てたのを仮にも起こしてやった奴に破廉恥はねえだろ」


キャンキャン騒ぐなうるせえ、と耳を掻く伊達政宗を認めて幸村は動揺しながらも幸村を覗くために座り込んでいた女子へとまた眼を向けた。
女子は壊れた塀を眺めており、足元に転がる瓦礫に気を付けながら立ち上がる。
町娘の和装をしているがやはり外来の者である。
かすがのように女子にしては背が高く、強い意志の持った輝く瞳が印象的であった。


「……美しいと、そんな真っ直ぐな眼の方に云われたのは初めてですわ」


ありがとうございます、とその女子は頬を桃色に染めて笑い、幸村はまたごくっと唾を飲み込む。
知っている声たちよりもこの娘の言の葉は一寸だけ低く、耳に優しく響く。

何を己は口走っていたのだろうかと口許を押さえて、ほてり出した顔を判らないようにと隠した。


それに幸村は決して午睡を行っていた訳ではない。
この館では既に日々恒例となっている武田信玄との組み手基殴りあい――南蛮語でいうpersonal contactというものらしい――を先程まで行っていたのだ。
塀まで飛ばされた後、お館様が政事で去ったために倒れたまま何をしようかと考えを廻らせ、気の流れを愉しんでいただけである。


焦りで幾らかぐるぐると廻りだした頭に、どうもこっちの話題は脳足りんだね、とせせ笑った配下の忍びである佐助の顔が浮かんだ。
武田下臣たるものいつ何時でも冷静な判断を持っていなければならないと考えているため、ぐぬぬっと思考を廻らせる。

事実武将としての能力は自他共に認める信玄公の片腕的存在であり、兵からの信頼も厚い幸村であったが、その他の事柄については佐助曰、からっきしである。


――そう、佐助だ。


「して、政宗殿。如何な用向きで参られた」


眼の前にいる二人の人物は確か佐助を連れとして館へと参っていた。
訝しむ幸村に伊達政宗は首を傾げて横にいるべっ甲色の髪の乙女に視線を向ける。


「この雌犬を見世物に甲斐の虎と酒でも交わそうかと思ってな」

こんな辺地には外来は珍しいだろ、とにやついた政宗に娘が苦笑してから幸村を見据えてきた。

「この方、人を遊びに来る口実にしておりましたのよ」

「適当なことを云うな」

「本当可愛らしい方ですわよね」

「おい、聞いてんのか」

「此処へ馬を走らせている間も酒サケ五月蝿いったらありませんでしたわ」

「Hold your tongue!」


政宗が娘の額を叩くと、娘は小さく唸ってから小走りに幸村の方へと近寄ってきた。
そのまま幸村の背中へ隠れると顔を政宗へ覗かせてベッと舌を出す。


「この暴力漢!」

「へっうるせえよ無器用女」

「そ、それは食べ物をこしらえることに関してだけです」

「そんだけで充分じゃねえか役立たず」

すっと政宗は二人に背を向けると信玄公が暇になるまで一室借りて休ませてもらうぜ、と去っていく。

「ああ、その雌犬の扱いには気を付けろよ。弓矢持って噛み付いてくるからな」

「貴方こそお黙りなさい!」


そのやり取りをただ傍観することしか出来なかった幸村は館の角を折って消えた政宗からそっと後ろにいる娘へと視線を移し、あからさまに動揺して見せた。


「むむむすめ殿、如何した!」


その乙女は紅を擦って塗ったように鮮やかな頬を膨らませて瞳を潤ませていた。
慌てている幸村は何をしてやれば良いのか解らず、廻る頭で考えて咄嗟に相手の眼を掌で被った。

驚いたように唇を開いた娘。
泣いている子、または泣きそうになっている子がいたらまず抱きしめること、と佐助に云われていたため間違えたと思いつつもそんなことは出来はしないと思い直す。
女子の気持ちを理解して上手いこと云い慰めることが出来るのは佐助たちである。

――己は相手の気持ちを汲み取ることは出来ず、己の思いを伝える術しか持ち合わせていない。

幸村は口を開くと掠れた声が洩れた。


「そ、その美しい石が零れてしまったら困る故!」

「…………」

「某は、それは人が生き生きとしている時しか輝かぬことを知っているでござる!それ故、哀しみの涙は流さぬよう頼むでござる」


若干何を云っているのか判らなくなりながらも言の葉を吐き出すと、娘はふふっと口元を綻ばせた。


「困った殿方ですわね」


小さな顔から手を離すと、その娘は綺麗に眼を細めて笑っており、幸村はまた己の顔が熱くなるのを感じて顔を下へと傾げた。


「……娘殿は政宗殿の親しい者でござるか」


相手が女子というだけで幸村はどのように接してよいか判らない。
それに加えて娘が己のどの位置に値するのか計りたかった。

娘はふっと笑顔を潜めてこちらを探るように見上げてくる。
不思議な色の澄んだ瞳は何処か愉しそうに瞬きをした。


「私は、伊達政宗に仕えている者でも彼を慕う者でもありませんわ」


それを聞いた幸村の掌は意識するより先に娘の胸倉を掴んでいた。
娘は気にする様子も見せずに幸村を見据える。


「お主は間者でござるか」

「……違いますわ。私が居た城は甲斐の虎に攻め取られてしまいましたもの」


鷹の目のような瞳を細めて探る若虎に娘は少しの怒気を含めて誠を継げた。


「何と。悪いが武田に仇なす者は捨て置けぬ」

「私が君主の子に見えますか。でしたら光栄ですが、生憎と違いますわ」

「では……、」

「武士の子であったとしても、肝要は己の家柄を護ることであり元君主の仇討ちなど狙う者など多くないと思いますが、貴方は違うのですか」

「某は……」


代々受け継がれてきた己の家柄を護るため統領である者は仕える武将を変え、主君を変えて家系を紡いで行く。
生涯を捧げることの出来る主君に出会えたとしても仇討ちをするより、共に命を絶つ者が多い。

暗に娘は敵対する者ではないと云うだけではなく幸村に普段考えないようにしてきた畏れている事柄を突き付けてきた。
そのために怯んでしまった幸村の眼の前でつむじ風が起こり、強張った表情が少しだけ緩んだ。


「やれやれ仔猫ちゃん、うちの旦那虐めるの止めてくんないかな」

ざっと娘の後ろに真田の忍である佐助が現れ、娘が首を竦めてみせた。

「この状況を見て私がこの方を虐めているように判断するなんて忍の眼は明るい処では役に立ちませんのね」

「俺の眼はいつだって真田の旦那のために在るわけよ」

悪いね、と笑った佐助を娘は眼だけで確認すると胸倉を掴んでいた幸村の手をそっと掴んだ。
それを見た佐助は幸村へと顔を向けて旦那、と声を掛ける。


「この子の身許は判らないけど、安全性は俺が保証するよ」

「そ、そうか」

「それよりも俺様また大将にお使い頼まれたから出掛けてくるね」


くれぐれも客人に粗相ないようにね、と片目を詰むって見せた佐助は現れた時と同じように素早くその場から消えた。

――粗相ならもう充分過ぎるほど冒している。
鎮まり返る庭先にて幸村は途方に暮れながら、恥ずかしい想いをし続けている己に叱咤して唇を動かした。


「すまぬことをした」


その娘に手を握られたまま衿から指を離すと幸村はうなだれてそう云った。
娘は空いている方の手で口元を覆ったのだろうくぐもった笑いを漏らして幸村の手を幾分か強く握る。


「猪突猛進、という言の葉があるそうですわね」

何事にも真っ直ぐに物事に接し見極めようとする殿方で素晴らしいと思いますわ、と娘は微笑んで幸村を見上げてくる。

幸村は幾度か瞬きを繰り返して言の葉を理解すると顔を朱く染めたまま握られていた手を握り返した。
胸の内側が疼いて、お館様に誉められた時とはまた幾分も違った想いにさせられる。


「某よりも、そなたの方が誠に真っ直ぐで澄んだ美しさを持っているでござる」

そう拙い言の葉で懸命に伝えるとありがとうございます、と嬉しそうに娘が顔を綻ばせる。

「馬鹿宗様はがさつだとか、髪が短いから萎えるだとか、しとやかって言の葉知らないだろうとか女子に対して礼儀がなっておりませんから嬉しいですわ」

「そう、でござるか」


幸村は首を捻らせると、掴んでいた手を離して日輪に照らされた淡色の髪へと手を伸ばした。


「某は、短い髪は好んでいるが」


うなじへ掛かる髪がしっとりと指へ絡まる。
長い髪は掴んでも手から離れて散らばり統べてが己の物にならない気がする。

柔らかいそれを武骨な指で梳いてみるとその新鮮味に戸惑いを覚えてしまった。

そっと娘へと視線を向けると大輪の鮮やかな華が咲いたように綺麗な笑みが幸村へと向けられており、見えぬ鏃(やじり)で胸の辺りを突かれた気がした。
伊達政宗が危惧していたのはこのことであったか、と幸村は感じて躊躇いながら一歩後ずさった。


その時、幸村を喚ぶ声が耳を掠めた。
ばっと後方を振り返り、煌々とした気持ちで次に発せられる言の葉を待つ。


「幸村ァ!何処におるか」

「お館様ァア!!幸村は此処にござります!」


幸村はすっと気持ちを切り換え、声を響かせる武田信玄の下へ参上しようと脚を向け、改めて娘の方へと顔を返した。


「某は武田信玄が下臣、真田源次郎幸村にござる」


それでは失礼致す、と頭を下げる。
また後ほど、と鈴が鳴ったように笑った娘の言の葉を耳に容れて幸村は信玄に摩訶不思議な気持ちにさせられる娘に出会ったことを報せねばと脚を急がせた。



幸村にも春の訪れが来たかのう、と信玄に笑われるのは数刻もしない先のこと。






end
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カプは違いますがとかげのしっぽきりの続きを書いてみました。
幸村はウブな感じかなと思います。そして忠犬。
なっちゃんは若虎ではなく「わんちゃん」または「わんわん」と呼びます(嘘)



















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あきゅろす。
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