リクエスト作品
ラブイズフリー
※現代パラレル
ナタリアはお気に入りのワンピースを着てパンツとブーツを履き、いつも通りの時間に鏡の前に立つと、どこもおかしなところがないかと一回りしてから前髪を整え、行ってきますと絨毯生地の階段を駆け降りながら言って家を出た。
――今日は快晴。
春の陽射しに頬を緩めながら狭い路地の石畳を歩く。
赤煉瓦の壁の群れから覗く空を遮るようにして紐で吊してある色とりどりの洗濯物を見上げると、今日も窓から顔を出して皆が元気に挨拶をしてくれる。
それにナタリアも頬を緩めつつ挨拶を返した。
ヴァンは彼溺愛の妹であるティアの下着を何時ものように干していたし、アリエッタのママはアリエッタお気に入りの人形まで干していた。
アニスのママなどはナタリアに林檎を投げてくれて、昼ご飯の節約をしなさいとにこやかに手を振ってくれたし、ああシンクは暢気にこちらを見下げているが寝起きだから今日も遅刻のようだ。
この辺りの人々は皆顔見知りでナタリアも皆がとても好きなので、学校の生き返りのこの道が何年も楽しみの一つになっている。
「やあナタリア。今日も美人さんだね」
「あらピオニー陛下、おはようございます。洗濯を干しているってことはまた浮気が恋人に見付かったということですの」
二階に住んでいるフリングス夫妻宅の洗濯物と洗濯物の間からひょこりと三階に住んでいる料理人のピオニーが顔を出して洗濯紐を手繰り寄せていた。
ナタリアの言葉に苦笑したピオニー。彼もナタリアの顔なじみで、小さい頃は幼馴染みたちと共に彼に着いて遊んだものだった。
大体は人気の海水浴スポットや治安の良い都会に連れていかれ、ピオニーが女性をナンパしてナタリアたちは放置されるというパターンであったが、それでも彼の人の良さから嫌いになることはなかった。
「まあ、そういうことになるな。ただ一つ違うのはこれは罰ではなく、干してくれる相手がいなくなったってところかな」
「プレイボーイに皇帝陛下と讃えられる程の浮気性男が今まで愛想尽かされなかったことが不思議でしたものね」
ナタリアがくすくすと笑いながら返すとピオニーもへらりと笑った。
「そう言ってくれるな。ナタリアならいつでも歓迎してやるぞ」
彼はいつまでたってもナタリアを近所のガキ、というように扱う訳ではなく成長するにつれてしっかりと女性として接してくれるようになった。
そこはやっぱり大人だな、とナタリアが惚れ込む瞬間でもあるのだ。
「あら昔の女性にナイフで刺されたら大変ですわ」
「ほう、逃げるのが上手くなったな。まあいいさ、遅刻するぞ」
「そうですわね、行ってきます」
「ん、行ってきな」
ぷらぷらと手を振って欠伸をするピオニーに手を振り返すとナタリアは路地を横に曲がって大通りに出た。
表通りの靴屋のショーウインドーに映る自分を見てナタリアはまた髪を整える。
この前学校の教員であるリグレット先生にいつ素敵な出会いがあるかなんて分からないから、いつでも自分を魅力的に見せていましょうと言われ、休日にヴァンの隣で笑っていた彼女を見てナタリアも心掛けようと思ったのだ。
そんな素敵な出会いなんて中々ないけれど、もしかしたらと思うとワクワクする。
それが他のスクールの学生だとか、他の街だとか、国が違っても素敵だとナタリアは思うのだ。
その時、ナタリアなんかよりも、リグレットを崇拝しているティアなんかは洗礼でも受けたかのようにその言葉に聴き入っていたのだが、リグレットの巡り逢えた素敵な相手が自分の兄だなどとは気付いておらず、そんな彼女を思い出してナタリアはくすりと笑った。
ショーウインドーから顔を外すと、汽笛を鳴らして道路の中央を通り過ぎようとする市街電車の方を見る。
すると、調度その反対側の道に知り合いの姿を見付けてナタリアは顔を綻ばせた。
他の人々と同じように左右を確認して車と車の間を擦り抜けるように渡ると背中を見せている相手へと近付いていく。
細い男の身体はしかし並より高い身長のためすらりとした体型に見せ、胸を張ってすっと伸びた格好がその人物をまた誰もを見惚れさせるものにした。
しかし、この市街で彼をそのように見る女性は稀だ。
「サフィール、おはようございます」
声を掛けた瞬間、素敵に見せていたそれがびくつき丸まった。
人前では澄ました態度をとっているが、根は暗い若干小心者の彼。
残念、勿体ない、と思うのが世の女性たちの心の声であるとナタリアはおばさま方の井戸端会議で聞いていた。
ナタリアがすぐ隣に立って見上げると、サフィールは貴女ですか、と今にも泣き出しそうな情けない声を発して肩をすくませた。
「どういたしましたの、サフィール」
そうは言っても彼が悲観的になり落ち込むことはよくあることだった。
そんなサフィールに、ナタリアは両手を広げて抱き着いた。
ぎゅうぎゅう抱きしめてナタリア気持ちの良い朝から辛気臭いですわ、と背中を摩る。
それに私の気持ちも沈んでしまいます、と笑顔を向けた。
サフィールはすみませんナタリア、と言いながら顔をあげると朝の挨拶とばかりに頬にキスをした。
「…おはようございます」
「おはようございます、サフィール」
どんなにおどおどしている彼でも優しく知識もある彼は兄弟のいないナタリアにとって何かと頼りになる存在であり、彼が周りの人たちから煙たがられている分街を歩いている際にナタリアと行動してくれることが多くて嬉しいと思っている部分もある。
そうは言っても研究者には人気のある彼だから構ってくれることはやっぱり少ないし、出会う機会も少ない人物なのだが。
サフィールはナタリアに軽く抱きしめられたまま後ろの方を沈んだ声であれですよ、とだけ言って釈ってみせた。
ナタリアがひょいっと見るとそこにはサフィールにはあまり縁のない年頃の女の子たち、に囲まれている街一番の優男の美男子とされるガイがこちらを射殺さんばかりに睨み据えていた。
ガイはナタリアの幼馴染みである。
幼馴染みはそれ以上でもそれ以下にもなりようがなく、皆が声を揃えて言う格好良いがナタリアにはいまいち分からなくて、でもナタリアは誰にだって優しいガイが大好きだ。
彼が何故怒った表情をしているのかナタリアには分からなかったが、サフィールに抱き着いていた腕を放して片手でガイに手を振るとガイは少しだけ表情を和らげて手を振り返してくれた。
ガイとは、彼のファンが出来るくらい学校でも人気なので普段近くで話すことはできない。
そのため少し寂しくもあるのだが、心優しいガイはナタリアのことも気にかけてくれているようで一度家に帰った後で遊んでくれたりするのだ。
「サフィール。ガイに嫉妬してもどうしようもありませんわ」
「……それはどういう意味ですか、ナタリア」
ピクリとサフィールの顔が引き攣る。
「だってこの街内では、サフィールとガイでは天と地との差が、」
「何、なんですって。嫉妬する資格が私にはないって言うのですか」
悔しそうにナタリアの頬を抓るサフィールにナタリアは涙目になりながら謝った。
「いはい、いはいれふ。しゅいらへん」
「んん、良いお返事です」
手を放すとサフィールは微かに化粧崩れをしてないか気にしてくれる。
優しい彼に恋人が出来ないのは不思議である。
まあ、何処にでも恋愛下手な者はいるものである。
特に、とナタリアは未だ女の子たちに囲まれている幼馴染みをちらりと見る。
ガイは実際女性好きである。
フェミニストの気もあるため彼女たちを振り払えないというのもあるのだが、何故か恋人がいないのだ。
ナタリアが鏡をよく見出し、必要以上に身嗜みを気にするようになったのを一番に気付いてくれたの彼だし、事あるごとに可愛いなど欲しかった言葉をくれるのも彼である。
これだけ完璧な彼ならばいてもおかしくないはずなのに、恋愛とは難しいものなのだとナタリアは思うのだ。
「仕方ないのでナタリア嬢で我慢してあげますよ」
サフィールが頭を掻きながらもう一度ガイたちの方を見たのでナタリアは意地悪い表情を作ってみせた。
「あら、こんなに素敵な子を捕まえてよく言いますわね」
「ふふっ、それは失礼しました。途中までまでご一緒願えますか素敵なお嬢さん」
「勿論ですわ、サフィール」
ほら、付き合えばそういう返しもしてくれるちょっと憎らしい彼なのだ。
そこまで言って笑い会うとサフィールはちょいっとナタリアの前髪を調え、歩き出した。
今のは故意にではなく気になっただけの無意識なのだろう。
どこで女の子がどきっとするのか本当に分かってないとナタリアは思う。
「女の子の勉強もしたらいかがですか」
「だまらっしゃい」
窘めるように睨んできたサフィールにナタリアはため息だけついた。
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