リクエスト作品
愛は知っていた


パンッという小気味よい音と共にガイは左頬を叩かれた。


先程まで言い合っていた空間もどこかへ消え去ってしまったかのように静まり返る室内。

ガイを右手で叩いた相手ナタリアは、目元を潤ませ頬を染めてガイを睨み据えている。
それをガイもゆっくりと頬を抑えながら見返せば、彼女は悔しそうに、肩を上下させて唇を噛み締めた。


「最低ですわ、ガイ」


そのままこの場を走り去ろうとする彼女。
その華奢な腕を掴むと、ガイは強引に引き寄せた。


「……最低ってなに。それは君だろナタリア」

「貴方が浮気をするなんて思いませんでしたわ!」


悲鳴の用に甲高い声をあげる彼女の、その反抗的な態度にこちらも頬を差し出せと言ってしまいたくなる。


「ねえ君。自分が何やったか分かっているの」


至近距離で睨み合いながら相手に言葉を紡ぐ。


ガイは浮気などしていないし、何を誤解されたのかも解らない。
しかし、今のガイにとってはそんなことは全くどうでも良いことだった。



――そんなことよりも、もっと重要なことがある。



「なに、ってガイが悪いのですわ!殴られて当然のことを貴方は、」

「違うだろ!その前に君は、彼女から貰った林檎を投げ付けたんだ」


そう言うと、彼女は傷付いたような顔をしてガイから顔を逸らした。


ナタリアがまったく分からない。


「そ、うですか。私よりも新しく出来た彼女の林檎の方が、大切ですか」


言い訳すら致しませんのね、と彼女は顔を歪める。


「君は一国の姫だ。食物一つをとっても、その重みを理解しなければならない立場にあるんだよ」

「そんなことで…!」

「そんなこと。君はずっと理解していなかったと言うのかい。これは彼女が、彼女たちが時間をかけて作ったのが解らないって言うの」

「随分沢山頂いたようですものね。さぞ重みがありましたでしょう」

それを口実に彼女のところに通ったのではありませんか、とナタリアは掴まれた腕を引いて逃れようともがく。

彼女はガイの伝えたいことを全く理解しても、理解しようともしていない。
ただ自分の身勝手な意思を通そうと、ガイの紡ぐ言葉さえも拒む。


「よく考えてよ。君はそんな人じゃないはずだ」


彼女の腕を掴んだまま、もう片方の手で林檎を拾うとテーブルに乗せ、よろめく彼女と共に部屋を出た。


「な、今更、どこに連れていこうというのです」

「彼女のところだよ。君は彼女たちに謝る必要がある」


それとも本当に自分がした愚かな行いが解らないの、と批難の目を向けながら言えば、やっとナタリアは息をつめて、そう、解らない訳ではありませんわ、と返してきた。



「私だってそれらが、生きるための大切な恵ということは解っております」









「それで、素直に謝りに行って、相手の女の人が許したらナタリアはどっか行っちゃったんだね」

「……そうだけど」


ガルディオス伯爵家屋敷の応接間。
その広いソファに踏ん反り返ってアニスはため息をついた。


「それで、追おうと思ったら貴方は追い掛ける資格がない、と林檎の女性に言われた訳と」

「うん。で、なんで俺は追い掛けてはならなかったんだ、アニス」


目の前でソファに頭を埋めているアニスにガイは手を組みなおしながら問い掛けた。


アニスに眉根を寄せて睨まれても、身の潔白を証明することにしかならない。

己は一切悪いことをしたという気持ちはない。

ナタリアが大切に想っている事柄を、たった一度の衝動で打ち壊したら、後で苦しむのは彼女だ。
彼女は王族であり、何よりも民を想うことを支えにしてきたのだし、これからだって考えない日は、例え姫でなくなろうともこないのだ。



アニスはガイの思いを読み取ったのか、ただ静かに馬鹿とだけ呟いた。



今日はガイの屋敷で軽い茶会が催される日であって、ルークやティア、アニスが呼ばれ、そしてガイの恋人であるナタリアは前日から屋敷に滞在していた。
因みにジェイドは宮殿に呼ばれて缶詰状態らしい。


――事の起こりはその茶会の当日。

散歩がてら朝市にナタリアと二人で出掛け、ちょうどナタリアが傍を離れた時に顔馴染みの女性が声を掛けてきたのだ。

確かに己の知っている人物の中でも彼女はスキンシップの過剰な部類に入るのかもしれない。

こちらを見付けると彼女は後から抱き着いてきて頬にキスをしてきた。
しかし、彼女にとってはそれが普通であり、彼女を知っている人物なら当たり前のように受け入れている事柄である。
それに彼女には恋人がちゃんといて彼女のことについても一任していた。


いつも伯爵家には良くしてもらっているからと彼女に袋いっぱいの林檎を貰い、その一部始終をナタリアが見ていたということだ。



今思えば言葉が足りなかったのかもしれないと思う。


此処は彼女にとっては他国であり、文化の違いから何に対しても少しばかり神経を張り詰めることがあるだろう。

やっと皆にも認められる恋人になれ、二人でいれる時間が何よりも幸せだった。
だから、彼女の、キムラスカに育まれたパーソナリティに何か触ることがこちら側にはあり、ガイとは違うことを日々感じ、彼女との間に何らかの感情の擦れ違いが起きているのかもしれない。
そんなとは今まで一度も考えてこなかった。


「ガイってまともに喧嘩もできないんだね」

「……どういうこと」


思考を中断してアニスへと顔ごと視線を向けると、アニスは可哀相って言ってるの、とゆっくりと返してきた。


「ガイとナタリアが正式に付き合えるようになるまで沢山苦労はあったと思うよ」

だってまずは王様に認めてもらわなければならなかったし、とアニスは息をつく。

「だから二人で一生懸命になって二人の、二人で一緒にいるという幸せのために頑張ったんだよ。でもさ、それはある意味あまり普通の人たちが通って来なかった道なんだよね」


やっぱり話した方が良さそうだね、とアニスはソファから頭を離して用意されていたお茶に口を付けた。
ぎこちないが、それだけが彼女の幼さを示しているようで、逆におかしな気持ちにさせられる、とガイは思う。
何せ未だ若いこの導師守護役に相談しているのは自分だから。


「親とかね、そんなことを気にするのは結婚の段階に入ってからだよ。その前に皆は違うものを乗り越えてきてるんだよ」

「……それはなに」


アニスは眉尻を下げて悲しそうに笑う。


「相手に対する不安とか心配だよ」


アニスの静かな言葉に、えっとガイは唇を薄く開けた。


「安心が欲しくて業と相手を怒らせて本音を聞いて喧嘩して分かり合って、そうやって愛を育んでいったりするんだよ」

ねえガイ、とアニスが首を傾げる。

「社会的な不安がなくなった今ナタリアは、それはもう王族としての彼女じゃなくて普通の一般的な女の子としての不安をガイにぶつけたの」

「……でも彼女は、」

「だから、王族としての立場なんてどうでも良いと思うほど、女としてガイに向き合ったってこと」

「…………」

「あーもう、今回はナタリア側に回るから言わせてもらうけどね、ガイはそれをくだらないことだと言って退けたの。ガイはナタリアのこととか立場とかを想いすぎてナタリアの気持ちを分かろうとしなかったんだよ」


アニスが苛々と足を揺すりそうになっていて、それを見詰めながらガイも落ち着かない気持ちになってきた。


「…………」


何を言い返して良いか分からないのだ。
何か反論して自分の正当性を保とうと思うのに何も浮かばないのだ。


「……あーもう」


アニスと同じように声を荒げるとガイは立ち上がって彼女に背を向けた。


「やっぱりナタリア探してくる」

「うん。行ってらっしゃい」


所詮ナタリアが此処に戻ってくるためにはガイが連れてくるしかないのだ。
それなのに一度林檎の彼女の言う通り素直に戻ってきちゃってさ、とアニスはガイのことを本当バカと思いながらまたソファに頭を埋めた。







――ガイはその気持ちを知っていた。

ナタリアが衝動的になってしまったその不安定な気持ちを本当は知っていた。


でも、分からなかった。
自分の事なら分かるのに、彼女の事になると全く違ったように見えてしまう。


それが似た形のピースだとは思いもしなかった。


ガイはナタリアに対して崇拝とまではいかないが、どこか健全たる自分とは異なる者であるように思ってしまう時がある。
彼女をとても高潔に思うのだ。


だからそんなドロドロしたような気持ちを彼女が持っているなんて考えもしなかった。



本当、自分に降り懸からないと分からないのだ。




頬を染めて宝石商の若い男と笑い会っているナタリアを見付けると、商人が彼女の手首にリングを嵌めようとする前に彼女を引き離した。
驚いて声も出ない二人に何も言わずそのままナタリアの手首を掴んで走った。


こんなことは数え切れないくらいあった。

こんな、彼女の周りの人に対して、彼女に対してとても苛立つことなど数え切れないほど沢山あった。


そう、だからアニスに言われなくてもガイはずっと知っていたのだ。


「何時だって君の近くにはルークがいて、離れたと思ったらピオニー陛下がいた。社交界では君の隣を取ることは誰もが望むことだし、君は誰にだってキムラスカ兵だって、特定の人とは普通に話したりして、」

「ガイ!ガイ、どうしましたの」

「何時だって、付き合ってからだってそんなことに嫉妬したりして分かってたはずなのに」


それなのに、と裏路地へ回ってナタリアを壁に押し付けると衝動のまま彼女にキスをした。


「ごめん、ごめんね」

「え、やっ、ガイッ」

「最低とか、俺のことだったね」


あの言葉たちで彼女をどれほど傷付けたのだろうかと考えると苦しくなる。

手首を放して強く抱きしめようとするとナタリアにガイ、と固い口調で言われた。


「私が知りたいのはあの女性が貴方の新しい恋人なのか、ということですわ」

「違う!君だけだ!君だけだよ、ナタリア」

「……なら、それで良いのです」


ナタリアはふっと力を抜くとゆるりと笑った。笑ってくれた。


「何をそんなに真剣に悩んでいるのか、必死になっているのか存じ上げませんが、私にはそれだけで充分ですわ」


そう言って触れるか触れないか程のキスをくれると、くすっと彼女本来の笑顔を向けられた。

酷いことを言った。彼女はそれに耐え切れなかったから逃げようとした。
それなのに捕まえて、彼女の恋人としてではなく、彼女に誤ることを強いたのだ。


そんなことをしたのに、彼女はたったそれだけだと許してしまうのだ。



本当、彼女には敵わないと思う。



腕に力を込めてナタリアを抱きしめると彼女の耳元で小さく呟いた。


「あーもう、ちょっと今俺の方見ないで」


顔が赤くて仕方ない。

暫く彼女から、この場所から離れられそうにもないので茶会はアニスに任せようと思う。






End

----------------
浮気の誤解はガイの天然タラシの名の元に、でしたが少し違う感じになってしまいました;
なっちゃんに対して余裕のないガイは大好きです。

志結さま、リクエストありがとうございました。



[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!