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転移陣。簡単に言うと、魔法陣による移動手段だ。

僕はカイリみたいに、派手な攻撃呪文ができるわけでも、エドみたいに高位召喚魔法が使えるわけじゃない。
けれど、こういう細々とした魔法の練成は得意だった。落ちこぼれな僕でも、一つぐらい取り柄があった。
決して簡単な術じゃない。
少しでも間違えると、見当違いの場所に出てしまったり、異空間に閉じ込められたりとそれなりに危険も伴う。

失敗は許されない。

ふぅっと息を吐きだして、僕は右手をかざした。
そして指先で、中指に嵌めていた指輪をなでる。

「解呪」

むやみやたらに魔法発動ができないように、学院内では特別な封印が施されていた。けれど、それを強制解除させる。
幾重にも張り巡らされた光の帯を、指先で解き放っていく。
1分もかからないうちに封印を解くと、僕は指輪をかざして、空中に円陣を描いた。
僕の手の動きに合わせて、緑色の淡い光が放たれていく。
僕一人に被害をこうむるだけならいい。でもこれは大切なユーリも使う陣だ。
慎重に、正確に描かなければいけない。

入り組んだ幾何学模様を円陣に書きこんでいく。

「転移、発動」

書きこみ終えて、発動呪文を唱えると、声に応じて、円陣が眩いばかりに光り輝いた。
ほっと息をつく。成功だ。

ユーリが戻ってきたら、どんな反応をするだろう?
少しでも喜んでくれるといいんだけど。

そんな想像をしていると、くらっと眩暈がした。
魔法陣の練成には体力と精神力を使う。
転移陣は高位レベルの魔法だ。気がつかないうちに、精神力と体力を一気に持って行かれたのかもしれない。少し休まないと。
ユーリが戻ってきたときに、笑顔でいられるように。

ふらつく足取りで、座れる場所に行こうとしたところで、僕の身体を力強い腕が支えた。

「全く、貴方と言う人は。無茶をする」

「エド……?」

よく通る低い声。
馴染みのある今はもう懐かしい声が、僕の身体を受け止めていた。
ちゃんと言葉を交わしたのは、久しぶりだ。

そのまま、抱き寄せるように腕の中に捉えられる。

「俺がいなかったら、この場で倒れていた」

「あ……ごめん。もう、大丈夫」

すぐに離れようとした僕を抑え込むように、力が強くなった。
痛いぐらい強く抱きしめられる。

「エド? もう大丈夫だから、放して」

「ダメです。このまま休んでください。顔色が悪い」

このまま?
出来るわけない。
こんなの、抱きしめられてるとしか、思われない。
黒い瞳が僕の顔を覗き込んでいる。エドの顔が思いのほか近づいていることに気づいて、僕は顔を背けた。

「大丈夫だから。放せ」

命令口調でいうと、エドは渋々ながらも、僕を解放した。
自由になった途端、ふらつきそうになった体を、ぐっと腹に力を入れて立たせる。
今、エドの前で倒れるわけにはいかない。
エドは、いつでも支えられるようにか、僕の傍を離れない。だから、僕が一歩後ろに後退して、距離を取る。

「カイリはどうしたんだ」

「カイリ様なら、執務室で書類と格闘していますよ。俺は、足りない資料を取りに図書室へ向かっている途中です」

嘘だ。
カイリがエドを一人で行かせるはずがない。エドも執行部の一員だ。その手を必要としている。いや、なにより、カイリはエドに惚れている。
資料が足りなければ、他の奴に行かせるはずだ。
こんな風にエドが自由に歩き回れるなんて……エドとカイリの主従関係はすっかり逆転してしまっているんだ。
その思いの強さを表すかのように。

「そんなことはどうでもいい」

忌々しそうに吐かれた言葉に、思わず眉間にしわが寄る。

「どうでもいい……?」

カイリのことをどうでもいい、なんて、何を言っているんだ、エドは。
大切な主のことなのに。

「転移陣を練成するなんて無茶を…。ユーリのミスを貴方が被ることはない。時間に遅れたら、ユーリに責任を取らせればいい」

「ダメだよ、そんなの」

「甘いな、貴方は。そんな甘さがこのバカげた提案を受け入れてしまう弱さに繋がるのか」

「……弱さ……?」

一体何を言ってるんだ、エドは。
提案を受け入れたのは、僕が弱くて甘いから?
まるで、なにかに脅されたから受け入れたような言い回しだ。

脅されてなんかいない。僕は自分でこの選択をしたんだ。
もう、エドの主人は僕じゃない。一年経っても、そこに戻る気は僕にはなかった。

「早く、カイリの元に戻れ。カイリが待ってるはずだ」

「俺の本来の主人は貴方だ。貴方の身を心配する権利が俺にはある」

射抜くような強い視線がそこにあった。
引いた距離を詰められて、再度、その胸で支えられる。息もかかるほど近くにエドの秀麗な顔があった。
この国では珍しい、黒髪に黒い瞳だ。瞳に吸いこまれそうになる。
冷たい指先に、ゆっくりと優しく、頬をなでられた。エドの右手にある指輪が冷たく当たった。三連リングだ。

そのうちのひとつの輪が視界に入った途端、僕は目を見開いた。

「それ……」

「ロスからいただいた指輪です。貴方のお傍にいられないので、せめて気持ちだけは常にお傍にいるという誓いです」

忠誠の儀式ではお互いにペアとなるものを分け与える。僕とエドは指輪だった。
エドの主人を外れてから、僕はその指輪を嵌めるのをやめた。当たり前だけど、僕はエドの主人じゃないから。
エドも当然そうであるはずなのに。
ぱっと見、わからないようにはできるけど、それは確かに僕との契約の指輪だった。




「一年の交換です。あと280日経てば、俺は今まで通り貴方の元に戻る」




「その日を指折り数えてますよ。貴方の元に早く戻りたくて、仕方ない」




「俺の忠誠はロス、貴方だけのものだ」




僕の右手を手に取り、触媒の指輪にキスを落とす。忠誠の儀式のままに。
新たにそれをペアのリングにするかのように。








二つ、僕とカイリは見落としていた。



ユーリはカイリのことが好きで、


エドは僕のことが好きだということを。





タイムリミットは、あと280日――







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