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「ただいまー」

「柊星、ハガキが届いていたわよ。弥君も参加するのね! 久しぶりに会いたいわー」

 帰宅したと同時に、リビングから母さんの声が届いた。リビングのテーブルの上を見れば、俺の名前が書かれた往復はがきが置いてあった。裏面を確認すると、S中学同窓会のお知らせと書かれている。幹事の三島が自分で考えたらしい砕けた文章には、母さんの話していたように、朝倉も参加するということがご丁寧に添えられていた。俺に対して送られた文章ではなく、クラス全員に向けてのメッセージだ。

 今となっては会うことすら難しくなった朝倉と再会したいというクラスメイトはかなり多いんだろう。人を集めるには実に有効な文句だ。

 朝倉は中学を卒業したあと、関西の高校へと進学した。今は高校に付属している寮で生活しているはずだ。はずだというのは高校生になってから、一切の連絡を取っていないからだ。翔馬に交流がないと言ったのは嘘じゃない。

 俺はすぐさま近くのペン立てにあったボールペンを手に取ると、欠席に大きく丸印を付けた。朝倉が来るのなら、尚のこと行きたくない。あいつだって俺と会いたくないと思う。思い出すのは、最後の泣き顔だ。



 ――朝倉弥とは小学五年ではじめて同じクラスになった。

 仲良くなったきっかけは、確か朝礼で倒れた朝倉を介抱したことだった。背の順で俺の前だった朝倉は炎天下の中で続けられる校長の話の途中で倒れた。今思えば熱中症だったんだろう。たまたま後ろに立っていた俺は、朝倉を保健室に運ぶ役目を手伝った。そこから妙に懐かれた。直情型な朝倉の性格は、意外と俺に合った。五・六年とクラス替えがなかったこともあって、親しくなるのに時間はかからなかった。

 当時朝倉は陸上はやってなくて、俺と一緒にサッカークラブに入っていた。そのころから朝倉は目立つ存在で、サッカーも飛びぬけて上手かった。MFとして試合を引っ張っていく朝倉とプレイするのは楽しかった。話も合い、クラブも一緒。自然と一緒に過ごす時間が増えていく。家族よりも傍にいた日もあった。毎日が楽しくて、新鮮で、いくら一緒にいても飽きることはなかった。それは朝倉も同じのはずと、愚かにも俺は思っていた。――中学三年の秋まで。



「柊星は俺の下僕なんだよ」

 突如話題としてもたらされた自分の名前に、引き手に手をかけたまま、俺は固まった。そのまま中に見えないようにその場にうずくまる。この数年間、自分の傍にいる耳慣れた声。姿を見なくても誰が話しているのか、わかる。

 中学に入学してから、弥は陸上部に所属している。いつもなら校庭を走っている時間だけど、今日は生憎の雨で部活は中止になっていた。

 ――柊星が終わるまで待ってるから。せっかく部活がないんだし、今日は一緒に帰ろ!

 そう言って、弥は俺を委員会へと送り出した。教室で待っていると言っていたし、この中にいるのは、弥で間違いない。

「便利な駒だから、俺の傍に置いてやってんの。そうじゃなかったら俺と柊星は釣り合わないだろ」

 教室のドアは薄い。少し大きな声を出せば、廊下にまで聞こえる。ざぁざぁと降り注いでいる雨も、教室の騒がしさを打ち消すほどじゃない。だから、聞きたくなくてもしっかりと音声は伝わってきた。

「確かに、なんで弥があいつと付き合ってんのか、不思議に思ってたんだよなあ。タイプ的に全然違うし」

「雰囲気全然違うよな、お前と橘じゃ。あいつ地味だしさ」

 中のメンツは俺がこんなに早く戻ってくるなんて、全く思ってない。俺だってそうだ。本当なら今頃、一年の教室で体育祭についての発言をしているころだ。弥たちもそう思っているからこその会話だろう。俺が机の中にノートを忘れさえしなければ、絶対に聞くことがなかった内容だ。

 下僕。便利な駒。釣り合わない。

 一言一言が胸に突き刺さる。言っているのは弥だ。親友だと思っていた弥が、俺のいないところで心情を吐露してる。

 鼻の奥がツンとして、視界がぼやけてくる。

 絶対に泣きたくない。こんなことで泣きたくなんかない。

「お前ら柊星に余計なこと言うなよ。自分が下僕だって気付いてない頭の緩さが、扱いやすいんだから」

 笑い声が重なる。積み重ねてきた思い出と気持ちに大きな亀裂が入った。

 弥がこんな発言をしたのには、何か理由があるのかもしれない。会話の一部分しか俺は聞いていない。そこだけを切り取っての判断はしたくない。だけど、さっきの言葉がぐるぐると頭をめぐる。

 ――本当に思ってもいないこと? 俺がいない場で話すからこそ、本音じゃないのか。

 それに嘘は半分ぐらいの真実を混ぜると信憑性が増すという。だとしたら、さっき話していたことの中に真実が含まれている可能性だってある? いや、そもそもこれは嘘なのか?

 そんな風に考え始めたら止まらなくなった。

 それは弥を信用してないように思えて、怖くなる。

 これ以上聞くことを恐れた俺は、そのまま逃げるように委員会へと戻った。目的だったノートなんて、もうどうでもよかった。



 委員会のあと教室に戻った俺を、弥は普段と同じ態度で出迎えた。そこに俺を下僕のように扱う態度は一切感じられなかった。あの時の会話は夢だったんじゃないか、そう錯覚してしまうほどに。

 弥は奴隷と言っていたけど、俺をパシリとして扱うことはほとんどなかった。あったとしても、このぐらいならお互いさまと思うような範囲でしかない。この間のことは何かの間違い、例えばたまたま虫の居所が悪かっただけで、少し口悪く言ってしまっただけなのかもしれない。弥の性格を考えればよくあることだ。喧嘩だって今まで数えきれないぐらいしてきた。だから今回のことだって――、そう思えたらよかった。でも、どうしてもできない。

いつもの喧嘩と違うのは、俺がいない場で話をしていたという事実。弥の本音かもしれないという疑惑は、不信感となって、水に落ちた黒い水滴のように波紋を起こし、ゆっくりと静かに俺の心で広がり続けていた。

 ――そして弥が全国大会で優勝したことから、環境は一変した。

 中学新記録で優勝した弥はそのルックスと合わさって、一躍時の人となった。テレビや雑誌でも取り上げられ、学校には弥の追っかけという女子まで現れ始めた。有名人になると親戚が増えるという話は昔テレビ番組のトークで聞いたことがあるけど、弥の身にも同じようなことが起きていた。学校側はマスコミや追っかけの一時的な対策として、弥の登下校時間をずらした。変則的な登下校時間となったことで、一緒に登下校することはなくなった。

クラスでも常に弥の周囲には人が集まり、話しかける機会もない。そんな日々が続けば、自然と弥と過ごす時間は減る。それを少し寂しく思う気持ちはあっても、事態を変えようとする積極性は俺の中に存在しなかった。

 そんなある日。

 次の授業場所である音楽室に向かおうと、立ち上がった俺の腕を弥が掴んだ。引っ張られるようにして動きを止め、突飛な行動をした弥を見やる。他のクラスメイトも遠巻きに俺たちを見つめていた。

「弥?」

 苛立ちを抑えきれないのか、名前を呼んだ俺に舌打ちを返す。それから怒りを落ち着かせるためなのか、大きく息を吐きだした。

「なんで、俺に話しかけないんだ」

「用事がないからだけど」

 弥に用事はなにもない。どうして怒りを放っているのか理由がわからず、困惑する。

「もう二週間も話ししてねーのに!?」

 日数の意識はしてなかったけど、もうそんなに経つのか。ほとんど毎日のように一緒に過ごしていたことを考えれば、こんなにも弥と話さなかった期間ははじめてかもしれない。だけど、毎日教室では顔を見ているし、元気なのも知っている。

「朝倉くーん、早く行かないと遅れるよお」

 教室のドア付近で佐久間が手を振り上げて、弥を呼んでいた。俺が距離を取り始めたと同時に弥に近づいた女子だ。弥のことが好きというのを隠してない佐久間は積極的に、弥にアプローチしている。

 その佐久間の存在なんて全く目に入らないのか、弥は俺を見据えたまま視線を逸らさない。掴まれた腕に力がこもる。

 振り返ることもなく、返事もしない。全く反応のない弥に、佐久間が肩を落として立ち去って行くのが見えた。佐久間を無視してでも、俺と話をしたいのか。

「柊星は俺から動かないと――……」

 不意に弥の口から小さく紡がれた言葉に、逸れた視線を弥に戻した。語尾は小さく空気に消えていき、聞き取れない。弥からは一気に覇気が失われていた。でも掴まれた腕の強さだけは変わらない。

「橘ァ、弥、困ってんじゃん」

「お前がいないと、弥は大変なわけ。ちょっとは空気読んでくれよなー」

「なー、俺たちじゃムリだわ。うらやましー」

 あの委員会の日、弥と話をしていた深海と金木が会話に入ってくる。ケタケタと笑う二人からは嫌な印象しか受けない。

 困る。大変。だから俺が必要。その裏に隠されているのはなんだよ。

「弥は困るんだ? 俺がいないと」

「っ、困る! お前がいないと、すごくっ」

「わかった」

 これは友達としてなのか、それとも。

「弥って俺のこと、どう思ってんの」

「えっ」

 本人に聞くのが一番手っ取り早い。そう判断した俺は単刀直入に弥に問いかけた。不自然なぐらい弥が動揺する。

「ど、どうって」

 弥の視線が俺の背後――深海と金木に向けられた。周りには他のクラスメイトたちも残っている。こんなにわかりやすい動揺をすれば、いくらなんでも俺だってわかる。友達と思っているだけなら、こんな挙動不審になることもない。

「行こうか。授業始まる」

 俺がそう促せば安堵したのか、きつく結んでいた唇を緩めた。

 結局、弥は俺を便利な駒としか見てないんだろう。友達には頼みにくいことでも、奴隷である俺には頼みやすい何かがあるのかもしれない。

 それならそう付き合うまでだ、俺も。

 卒業まであと半年。おそらくスポーツ推薦をもらえるだろう弥とは高校は確実に離れる。弥とはそれまでの付き合いだ。卒業式の日に全部知っていたと弥に伝えて、この友達ごっこに終止符を打つ。

それがお互いにとって一番いい方法だと思った。




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あきゅろす。
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