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「ごめん! 秋山っ!」

部室に入るなり、工藤部長が椅子から勢いよく立ちあがり、姿勢よく頭を下げた。どうして部長が謝罪しているのか、心当たりもなく、困惑だけが支配する。奥に座っている狭山先輩に縋るように視線を移しても、先輩から返ってくるのは沈痛な表情だけだ。他のみんなの姿はまだ見えず、どうして部長が僕に謝っているのか、説明できるのは先輩たちしかいない。

「ど、どうしたんですか、とりあえず部長、頭をあげてください」

現状把握が全くできないままに、部長に走り寄りそれだけは伝える。
また掃除をサボっているせいで、少し走っただけで室内に埃が舞う。今日、時間を見つけて掃除しよう。

「俺を許してくれるのか、秋山。お前は本当にいいやつだな!」

前後に揺さぶられるようにして、力強く両肩を掴まれた。ずり落ちそうになったバッグの肩ひもを慌てて握りしめる。前にもこんなことあったなと、どうでもいいことを考えながら、頭を上げた先輩に向かって問いかける。

「まずはなんで謝っているのか、理由を教えてください」

「そ、そうだな、うん、何から話したらいいのか。……あれは今から15分前のことだ。俺たちが部室でまったりとしているところに」

「溝口がやってきて、秋山をこれから情報処理室に呼びだしてほしいっていう言伝を受けたんだ」

長くなりそうだった部長の話を遮って、狭山先輩が手短に起きた出来事を伝えてくれた。

「部室にやってきて秋山を呼び出し、なんてどう考えてもあの予算関係だろうなって工藤を責めていたところだ」

「本当にすまない!!」

「部長、僕なら大丈夫ですから」

再び頭を下げようとした部長を慌てて止める。実際、部長たちは何も悪くない。予算関係の作業は既に終わっているはずだし、溝口自身だってそれを認めていた。だとしたらこれは僕を呼び出すために、溝口がわざと回りくどい方法をとったと言える。逆に僕のほうが先輩たちに迷惑を掛けてしまったのだ。僕が断れない状況のためなら、バレー部の皆に迷惑をかけることすら溝口は厭わないんだ。ふつふつと湧き起こる怒りに、拳を握りしめる。

「予算のこととは関係ないと思いますし、きっと大した用事じゃないです」

努めて笑顔で答える。部長と狭山先輩が心を痛める要素はなにもない。

「いや、しかしな」

それでも部長の表情は晴れやかにならない。もしかして伝言以外にも何か言われたんだろうか。そんな僕の考えが伝わったのか、狭山先輩が苦笑する。

「まあ、ちくりちくりというかねちねちというか。嫌味を言われたよ。それも反論も一切できないような痛いところを突かれた。全く恐ろしい後輩だな」

「そうなんですか……」

僕もまた苦笑いで返すしかない。言葉を濁しているけど、辛辣なことを言われた気配が漂う。

「情報処理室に行ってきます」

憤る気持ちをため息として吐き出して、気持ちを切り替える。
部長たちの視線が一層憂いに帯びた。部長たちに気にすることはなかったです、と告げるには、早く溝口の用事というものを済ませてしまうのが一番だ。
またすぐ戻ってくるという意思表示のために、スクールバッグをパイプ椅子の上に置いて、僕は部室を後にした。


***


理広に連絡するのを忘れてしまった、と気付いた時には、目の前に情報処理室の扉があった。携帯電話はバッグの中に入れたままだ。連絡するには一度部室に戻らないといけない。
腕時計で時間を確認して、少し逡巡してから、ドアを開いた。
溝口は入り口の傍にある回転椅子に腰を掛けていた。何か作業をしていたみたいだったけど、僕が開けた音でその手を止め、こちらを愉しげに見やる。そして入口で溝口を睨む僕に、ふっと鼻で笑った。それからゆっくりと右手を上げる。

「随分遅かったな。伝言もまともに伝えられないのかと思った」

「用事があるなら、直接僕に言えばいいだろ」

「お前に直接会いに行って快く対応してくれるならいくらでも? 俺も手間だからな。春寿が嫌な顔一つせず、呼び出しに応える。その確証が持てたらしてやるさ」

先輩経由じゃなかったら、絶対に断っていた。それを見通しての溝口の作戦だ。嫌な顔一つしないなんて、難易度の高い無茶な要求だった。溝口とはもう関わりたくないのに。

「先輩たちに迷惑をかけたくない」

「だとしたら、春寿が俺に対して取る態度は一つしかないな」

「溝口が僕を呼び出さなきゃいい。もう関係ないだろ」

中に足を踏み入れたくない。溝口と二人っきりの空間なんて嫌だ。ただでさえ重かった身体が鉛のように感じられる。

「関係ないと思っているのはお前だけだ。それより、早く中に入れ。それとも無駄に時間を引き延ばして、俺との時間を少しでも長くしたいのか?」

そう言われてしまえば中に入るしかない。何もかも溝口の言う通りになっているようで気分が悪い。けれど、そもそも貴重な部活の時間を削ってここにいる。時間の引き延ばしはしたくなかった。早く戻って部長たちを安心させたい。

「用事はなんだよ」

教室の中に入り、問いかける。中に入ったことで、溝口との距離が縮まる。
用件を聞いてすぐに部室に戻ろう。溝口と世間話をする気はない。
僕の頑なな態度に、溝口は苦笑を洩らした。

「体育祭のチーム分けだ。お前、どこのチームになったんだ」

そんなことのためにわざわざ呼び出したのか? ――そう言ってやりたい。チームだって教えたくもない。でも、無駄に話を引き延ばすだけだ。それに、チーム分けの書類はもう提出されている。隠したところで、他の体育祭実行委員に聞けば僕のチームはすぐに判明する。何よりこれだけの用事なら伝えれば終わりだ。すぐに部活に戻れる。

「A」

一言、短く告げる。理広から田之上がA、溝口がCだだと聞いている。でも学年で三つに分けたとしても、一チームあたり百人いて、さらにそこから細かい種目分けがある。同じチームだとしても、僕が田之上がマコトだとわかっている以上、同じ種目にならないよう調整ができ、接点は限りなく低く抑えることができる。

「そうか。松前とも離れたな?」

「っ」

理広の名前を聞いて、咄嗟に繕うことはできなかった。溝口が理広の名前を出す意味、つまりジェイクだと知っているという示唆に動揺が隠せなかった。
溝口は僕の表情を以前と同じく、観察するように眺めている。

「真は間違いなくお前の名前を見たら、接触してくる。そんな風に動揺していたら自分で正体を言っているようなものだ」

呆れたようにため息をついてから、中指で眼鏡を押し上げる。僕を見上げるその視線は、鋭いままだ。

「だが、名前だけでは疑念だけだ。お前の振る舞い次第では繕える。まずはその一人称」

「え?」

溝口がなにを言っているのか、よく理解できなくて思わず問い返してしまう。一人称?

「真の前で『僕』と言うな、と言ったところでお前のその様子じゃすぐにボロがでるか。極力、真の前では一人称を使わないようにするんだな」

「何を……言ってるんだ」

突然の溝口発言に面食らう。

「それと、そうだな。真にはいつも媚びていろ」

「わけがわからない。どうして、溝口がそんなことを言うんだ」

溝口がなぜこんなアドバイスを僕に伝えるのかが全くわからない。リアブレから見るマコトとハクは仲が良かった。そもそもハクが仲間になったのだって、マコト繋がりだった。現実でも二人は親しい友達のはずだ。
それなのに、これじゃあまるで田之上に僕の正体がバレてほしくないように聞こえてしまう――――まさか、そうなのか?

「決まっている。今、真にお前がフユだとバレるのは俺にとっても都合が悪い。その利害が一致しただけだ」

すぐに溝口は肯定した。

「溝口に都合が悪い?」

「そう。例えば、――真?」

座っていた溝口が突然立ち上がり、僕の背後に向かって呼びかけた。紡ぎだされた名前にびくりと身体が震える。
ドアを開ける音なんて聞こえなかったのに……!
溝口の背後を見やる自然な動作に、つられるように背後を振り向く。けれど、ドアは開かれておらず、しっかりと締められている。勿論田之上の姿は見えないし、人影もない。騙されたと認識するまでに数秒を要した。

「今のままなら、こうやってお前を簡単に翻弄できる」

いつの間に近づいていたのか。溝口の腕の中に抱きすくめられる。頬が触れ合い、吐息がかかるほどの距離に詰め寄られていてた。それに気付き、渾身の力で抵抗する。僕の抵抗は予想済みだったのか、簡単に溝口は身体を引いた。

「お前は自分の頭の悪さを自覚しろ」

「なっ!」

「今、俺の前にいることがその証明だ。本気で拒絶したかったのなら、俺の前にいるわけない」

溝口の表情からは揶揄するような笑みが消え、真剣さが増していた。

「それは、先輩たちに迷惑が」

「巻き込むのが悪いからって? お前とあいつらの付き合いは短くないだろう。俺に会いたくない、断ってほしい。その頼みを無視するような奴らなのか」

「それは」

そう告げれば部長たちはきっと断ってくれるだろう。でも、……できなかった。

「自分のせいで迷惑を掛けるから嫌だ。そうやって悲劇のヒロインぶって、満足するのはお前一人だ。もしこの場に真がいたら、お前はどうしたんだ?」

――てか、俺は春寿の危機感のなさが本気で心配

理広は僕に足りないところを教えてくれていた。
そうだ、もしかしたらこの場に田之上だっていたかもしれない。
僕自身、田之上と溝口は仲がいい、そうさっきまで思っていたじゃないか。田之上がいるケースだって0%じゃなかったのに。
理広に相談もしないで一人でここにきている浅はかさに、自己嫌悪に陥る。理広が一人じゃないって言ってくれたのに、考えなしに行動してしまった。溝口に言われたとおり、頭が悪すぎる。携帯電話を置いてきてしまったから、なんだというんだ。取りに戻ればいいだけだったのに。

「少しは頭が悪いと自覚できただろう。いいか、真と同じチームということを甘く見るな。俺も、松前もお前のフォローはできない」

「……」

溝口は本気で田之上にバレないためのアドバイスをしてくれているんだろうか。
……溝口の考えがわからない。困惑、戸惑い、不信感、さまざまな感情が僕を支配する。

「まずは一人称か。日ごろから、練習しておいたほうがいいかもな。言ってみろ、『俺』にキスしてくださいってな」

「言うわけないだろ!」

考えなんてわかるはずもなかった。
溝口はくつくつと笑っている。

「つまらないな。ここまでアドバイスしてやったんだ。借りを作りたくなければ、礼をすべきだろう?」

「知らないよ、溝口が勝手に話したんだ。これで用事は終わりだよな、もう戻るから」

色んな意味で限界だった。言いたいことだけ吐き捨てると、溝口に背中を向け、ドアの引き手に手を掛けた。

「そうだ」

そんな僕に、溝口の愉しげな声がかかる。

「部活経由じゃなくても、お前に会う方法はいくらでもあるからな、春寿」

恐ろしい一言を背に、僕は部室へと駆けだしていた。

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