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side-rihiro2
眠気を誘う暖かな日差しが窓からリノリウムの廊下を照らしていた。
今日は一日睡魔との戦いになりそうだ――理広は寝不足の頭を緩く振り、少しでも眠気を追い出す。
登校時間の渡り廊下は人々が忙しなく行き交い、喧騒に包まれていた。まだHRまで時間があるせいか、教室の前では何人かが輪になって話しこんでいる。
彼らの横を通り過ぎながら、理広はアルファベット表記のクラス表示を見上げる。
もう春寿は教室にいるだろうか。HRまでは少し時間がある。顔を見るぐらいならできるかもしれないと考えたところで、理広はまだ春寿のクラスを聞いていなかったことを思い出した。
昨日、閉店時間まで話していたというのに、理広が春寿について知っていることはほんの一部しかない。それが寂しくもあり、それ以上にまだ知らない春寿の一面を知るのが楽しみとも思える。
リアブレでは親しくしているが、現実では出会ったばかりだ。当然話し足りないし、春寿と話していたいという欲求は尽きない。
春寿と話ができたという興奮からか、昨夜も興奮して眠れなかった。おかげで今日も寝不足だ。

(もっともっと仲良くなりてーな)

足は自然と止まっていた。渡り廊下から見上げた空は雲ひとつない快晴だ。
理広はスクールバッグからスマホを取り出すと、廊下の窓から見える爽快な景色を写した。そして朝の挨拶とともに、木々と青空が映し出された写真を添付ファイルにして送信する。
窓枠に持たれて景色を眺めていると、春寿からの返信はすぐに届いた。

『Re:快晴ヾ(o゜v゜o)ノ゛

おはよう、いい天気だね!
今、朝練が終わって体育館から出るところ。
僕もちょうど空を見上げてた。
理広も同じタイミングかな。ちょっと嬉しい』

春寿の返信を読み、頬が緩む。

「なんか、こーいうのっていいよな」

思った以上に甘さに満ちた言葉は周囲の騒々しい空気に溶けた。


******


「理広、おはよっ! これ引いて」

教室に入った途端、理広に駆け寄ってきた中田は、おもむろに紙袋を掲げた。クラフト袋には赤字で駅前のパン屋の名前が印刷してある。

「悪ィ、今日は学食にしようかと」

「ちっげーよ! 誰がお前に飯をやると言った! 中にくじが入ってんの」

中に入っているものは決して食料ではない――そうアピールするかのように、中田は理広の目の前で紙袋を上下に振る。確かに袋からは紙のぶつかり合う音が聞こえてくる。

「一枚引いて」

中田に言われたとおりに、袋の中から一枚四つ折りの紙を取り出す。乱雑におられた用紙を開くと、ゴシック体で印刷されたアルファベットが一文字現れた。

「……B?」

「理広はBかー。分かれちまったなー」

理広の指先から紙を回収し、中田は手元にあったリストらしき用紙に文字を書き入れる。

「何してんの?」

中田の行動が全く分からず、疑問を口にする。

「体育祭のチーム分けだよ。めんどくせーから、抽選にしてんの。これなら平等だしな」

そういえば中田が「体育祭実行副委員長選出おめでとう俺! さすが俺!」と悪人面で高笑いをしていたのを思い出す。実権を握ったと喜んでいたようだが、それから数日、中田の作業は委員長から丸投げされた事務作業がメインである。

「去年までは学年混合チームだから、クラスごとに組み合わせてたけど、今年は学年対抗だからさ。って言ってもさすがに300人でのチームはできないから、クラスごちゃまぜで三つにチーム分けしてんの。最終的には学年ごとにポイント足して、結果出すけど」

――学年対抗。
その言葉を聞き、咄嗟に浮かんだのは春寿だ。学年内の混合チームとなれば、田之上や溝口と同じになる可能性が高くなる。
昨日会った春寿はこの体育祭のチームについては何も話していなかった。ということは、春寿のクラスでもまだチーム分けの話は出ていないのだろう。思考に伴って視線が教室中心に注がれる。
そこにはクラスメイトと談笑している田之上真がいる。綺麗な笑みを浮かべている田之上からは、リアブレで窺い知れた底しれぬ闇は一切感じられない。理広自身、マコトと接したことがなければ未だに表面上だけを見ていたはずだ。
――君にフユはあげないよ
優しさにあふれ、周囲に対しての気遣いも忘れない完璧な性格の下に隠された、異常な執着心。
春寿の話からも、田之上がフユを諦めていないことははっきりと伝わってくる。フユのリアルもわからず、リアブレで触れ合うこともできない日々は、田之上にどんな影響をもたらしているのか。

「随分と能力差ができるチーム編成案が出たものだ」

考え込んでいた理広を呼び戻したのは、フユのかつての仲間――ハクである溝口だった。いつの間に傍に来ていたのか、溝口が会話に介入する。フレームの奥から、切れ長の瞳が理広を捉えた。
理広と視線がはっきりと合うと、溝口は挑戦的に目を細めて笑った。
対する理広もそれを真正面から受け止める。
二人の間に一瞬だけ漂った冷ややかな空気に気付いていない中田が、一瞬にして苦虫を噛み潰した表情になる。そういえばこの友人は溝口を苦手にしていた。

「今年も1年から3年までの混合チーム案があったんだけど、先輩後輩差――つまりは3年が何もしないで命令ばっかりするっていう不満が続出したわけ。体力差とか経験値の差はハンデをつけてチャラって方向でバランスを取る」

「ハンデとは面倒なシステムだ。今から混乱するのが目に見える。体育祭実行委員の中には、使える委員が一人もいなかったんだな。かわいそうに」

溝口が鼻で笑う。それを受け、中田の口がむずむずと動いている。きっと言葉を出さずに、口の中で罵詈雑言を放っているんだろう。友人の強く握られた拳でそれを悟る。

「フッ、俺は大人だから? そういう面倒なシステムも受け入れますよ? 大人ですから?」

「運営上、支障が出るシステムを受け入れてまで得る価値がほとんどないな。そもそも混合チームは学年の垣根をなくした人間関係の構築が目的だっただろうに。結局学年の格差という問題が解決できず、立ちふさがってる」

バチバチと火花が散りそうな険悪なムードに、理広は頬を掻き思案する。
どう止めたものか。
それ以前にこのタイミングで溝口が話に加わってきたことには、何か意味がある気がする。

「なぁ、松前だってそう思わないか」

話の矛先が理広に逸れた。理広の様子を溝口は注意深く観察していた。こんなときに、感情が表に出にくいと言われる自分の表情が頼もしくなる。表情から思考を読み取ることは難しいだろう。

学年が異なることで起きた人間関係の問題がもとで学年対抗へと変わった。けれど、それにより今度は基本的な体力差によるハンデが必要となった。溝口の言うとおり、格差の問題は付きまとう。しかし、決まったことを今更言ったところで事態が打開するわけでもない。

「すでに学年対抗で話が動いている以上、これからどうするかのほうが大事だと思う。人間関係の難しさは、学年別対抗のチームでも同じことが言えるんじゃねーのかな。普段、他のクラスとは関わりがあまりないわけだし。体育祭は個人競技じゃない。大切なのは、チームみんなで協力して助け合うことだ。チームの意味ってそこにあると思うから。今回のチーム編成で得たことを来年生かせばいい」

「なるほど? そういえばこのチーム分けは下手に画策されないよう、時間を合わせて全クラス一斉に行っているらしいな」

この体育祭のチーム編成において気にかかる点。
それは春寿が田之上か、溝口と同じチームになる可能性がある。そこに尽きる。
それさえなくなれば、学年混合だろうが、学年別だろうが、大した問題ではない。
今この瞬間にも、春寿のチームは決定しているかもしれない。ここに理広の力は及ばない。だが、ただチームが一緒になっただけだ。警戒する必要はあっても、絶望的な窮地に追い込まれたわけじゃない。
例えば、溝口に春寿がフユであると知られているだろう今の状況が絶望的か、と聞かれたら理広は否と答える。それと同じだ。
溝口に春寿の存在を知られたことで、結果として理広は春寿とこんなにも早く出会うことができた。ピンチはチャンスに変えられる。

(春寿が俺と会ったこと、良い方向に思ってくれてるかは自信ないけど)

少なくとも、そう思ってもらえるように努力したいと理広は思ってる。

「そっか。だから突然くじ引けなんて言ってきたんだ。朝からお疲れ」

「おう。もう時間なくて大変だっつーの」

「抽選とはいえチーム決め、大変だもんな。俺、どんなチームでも、精一杯自分のできることを頑張るから」

中田と溝口に向け、放つ。
どんなチームになっても春寿の手助けをしたいという気持ちは変わらない。それに、春寿は守られるだけの存在じゃない。危なっかしさを漂わせるが、自分で考え行動できる。協力プレイと話したように、理広は自身のできることをしていくだけだ。
理広の強い視線を受け、溝口が笑いを含んだ息をもらした。

「松前にとって、チーム決めは大して問題にはならないようだな」

「そうだな。うん、全然問題じゃない。そこで俺がどう行動するか、それにかかってるから」

「なるほど。お前と同じチームにならなかったのは残念だ。Bだったな?」

先ほどの中田とのやり取りを溝口は聞いていたようだ。隠すほどでもない。理広は問いかけに頷く。

「俺はC。あと中田がAだったか。真も大変そうだ」

「はぁ!? 俺と一緒なら無敵だっての!」

喚く中田を冷ややかな目で一瞥して、溝口はあからさまに息をついた。その行動がますます中田を煽る。

「無敵……ああ、確か去年の体育祭、大活躍してたよな!」

「そうだよ! この俺は100M走も騎馬戦も実にいい仕事をしたんだよ! 理広、大きな声で言ってくれ!!」

中田のフォローを口にしながら、先ほどの言葉を反芻する。
『残念』とはどういう意味なのか。
溝口だけでなく田之上の所属チームまでわざわざ口にしたことは、意図は読みにくいが、この抽選後すぐにわかることだ。隠している意味はないと判断したんだろう。
理広がジェイクだということは、勘のいい溝口は確信しているはずだ。もちろん、気付かれるように振る舞ったこともある。アンフェアな状況は好きではない。その理広の思惑通り、溝口は『狙った獲物は必ず捕食する主義だ』という物騒な言葉と腹立たしい行動を残した。
だから尚のこと、意図がつかめない。だが、教えてくれたものはありがたいと言わんばかりに頭へ叩き込む。田之上がA、溝口がC、そして理広がB。綺麗にバラけている。

「中田君、三島君が登校したよ」

田之上に肩を叩かれ、中田の表情が瞬時に焦りに染まった。

「やべっ、この時間に終わらせなきゃいけないのに! ありがとな、田之上っ。お前と一緒でホント嬉しい! 頑張ろうな!」

「うん、俺も中田君と一緒で心強いよ」

「田之上、もっと言ってくれ! 俺もお前がいればぜってー負ける気しねーし!」

田之上がふわりと微笑む。柔らかな雰囲気が空気を和らげた。中田も嬉しそうに田之上に向かって手を振り上げて、三島のもとへ向かっていった。
田之上は中田が三島のもとへ向かうのを見届けると、残っていた溝口に向かって告げた。

「溝口。中田君はよくやってるよ」

「聞こえていたのか。お前にしたら、中田はよくやっているだろうな」

溝口が呆れたように肩をすくめた。

「聞こえるだろ? あ、ごめん、松前君。行く手を塞いで」

二人の会話を聞いていた理広に気付いたのか、田之上が身体を動かし、スペースを作った。
溝口はもう理広の存在を気に留めなかった。田之上も理広に対して、それ以上の行動はない。
田之上は、ジェイクが理広であることに気付いていない。そう判断したくなる態度だ。
思えば溝口が話を切り出してきたのも、中田経由だ。普段なら関わりあいがない理広と溝口が話していても、不自然さはない。
それに――

(そうか、『残念』は田之上の不信感をなくす)

三人の会話が田之上にまで届いていたことは、先ほどの田之上自身の発言からもわかる。
理広がジェイクであるという疑いを田之上が持ったとしても、溝口の好意的な行動を見れば払しょくされるだろう。ハクがジェイクに対して、好意的な行動をとれるはずがない。それを逆手に取れば、田之上が気付く可能性は格段に減る。

何故そんな行動をとったのか。
今、田之上が春寿の存在を知れば、確実に春寿を追い詰め、手中にしようと行動する。
溝口にとっても春寿は欲しい『獲物』だ。
そうなれば溝口にしても、理広と田之上二人を同時に相手することになる。溝口は理広とのやり取りで、それは得策ではないという結論に落ち着いた。

(って、推測するのが一番可能性高いかな)

理広は促されるようにして二人の間を抜ける。席に着くと、理広はスマホを取り出した。そして春寿にメールを送る。
春寿の返信はすぐに届いた。

『Re:体育祭(´・ω・`)
僕はAだった。
大丈夫、バレないように気をつけるから。
それより、理広と違うチームになっちゃったのが寂しいな。
できたら一緒にやりたかった!』

『Re:俺も(・∀・)人(・∀・)
俺も春寿と一緒が良かったー!(´;ω;`)』

そこで指先の動きを止める。
田之上と同じチームは考えられる限り最悪のチームだ。けれど、溝口に話した通り問題じゃない。だからこそ乗り越えなければいけないとも思う。このまま逃げていても解決はしない。
――春寿の前に道がないなら、作るだけだ。
そう決意して、理広は止まっていた指先を動かした。

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