番外編(二周年企画設定/300万ヒット御礼)
「あっ」
「どうしたの、ハル?」
思わず出てしまった声に、迅速な反応を見せたのは真だった。すぐに僕の傍まで近寄ると、肩口から覗き込むようにして僕に尋ねる。
熱が感じられるほど近くに身を寄せられて、僕は少し身体を引きながら真へと向き直った。
「リアブレサイトのカウンターがぴったり300万だったから、思わず」
ノートパソコンに表示されるリアブレの公式サイトのカウンターを指さして、恥ずかしさを誤魔化すように笑う。
リアブレの公式情報をまとめるためにたまたまアクセスしたけれど、こうも気持ちのいい数字だと少し嬉しくなる。
「いちいちその程度のことで騒ぐな」
そんな僕に対して、辛辣な響きをもった声が正面から飛んでくる。
「300万って凄い数字だと思うけど? ……ハル、大輔の言うことなんて気にしないで」
「狭い範囲の、それも重複するカウンターで、か? たかが300万、大したことないだろう。そもそも強制的にアクセスを命じられている公式の数値に意味なんかない」
「本当、大輔ってつまらないな」
真は呆れるように、溝口に向かって肩をすくめた。
「別に、面白いことを言おうとしてないからな」
溝口は低く言い放って、一時止めていた手の動きを再開させる。そんな溝口の態度に慣れているのか、真は僅かに苦笑すると、また僕の顔をじっと見つめた。
「まあ、確かに秒数へと置き換えたとしたら300万って少ない数字なのかもしれないけど」
「秒? ……300万秒?」
1分が60秒だから、えっと。うう、瞬時に計算ができない。
「1日が86400秒だから、約35日かな。ハルと35日しか会えないって思ったら、凄く少ない。でも、これが例えば愛を囁く回数だったら、全然違うよね?」
「あ、愛って……」
真から身を乗り出すように問われて、口ごもる。
「ハル、大好きだよ」
至近距離で真に囁かれ、動きが固まる。そんな僕を面白がるように、真は緩く笑みを深めると、僕の耳元に顔を寄せた。
「……愛してる」
吐息と共に、熱い言葉が耳に吹きこまれるように囁かれ、背筋が震える。冗談にしては、熱が入りすぎていた。
「また始まったか」
正面にいた溝口は露骨に眉を寄せると、ため息を吐きだした。
「またって、酷いなあ」
溝口の反応は想定内だったのか、真はただ笑うだけだ。
「お前は病気だ」
「うん、ハル中毒ではあると思うけど」
「あの、真、パソコンが打てないから」
いつの間にか背後からぎゅっと抱きつかれたままのその体勢から、逃れるように身体を動かした。その動きに真はくすりと笑うと、ゆっくりと拘束を解いた。
「そっか、そうだよね。なら近くで見るだけ」
「見るだけ、って言われても」
今度はあからさまに視線を浴びて、居心地の悪さを感じる。どちらにしろ、真は僕の傍から離れる気はないらしい。……どうしよう。このままじゃ仕事も進まない。
真に離れて貰うよう言おうと決意したところで、僕より少し早く溝口が口を開いた。
「真、時間だろう」
「えー、もう? というか、なんで大輔が知ってるのかな」
「担任から念押しされたからな。行かないつもりだったのか?」
「うーん、出来れば行きたくないと思ってたんだけど。ハルより優先すべきことってあると思う?」
「山ほどな」
「真、用事があるなら行った方がいいと思うんだけど」
「そう? ハルがそういうなら行ってくるかな。担任に頼まれごとされていたんだ。ね、ハル、俺が戻るまで待っててくれる?」
「あ、うん」
待っているというよりも、多分今抱えている仕事が終わらない。ちらりとパソコンの横に積み重なる資料の山を見て、息を吐く。真と溝口から託された仕事はどう考えても今日一日で終わる量じゃなかった。
真が生徒会室を後にしてからは、カタカタとお互いのキーボードを打ちあう音だけが室内に響く。不機嫌な溝口と二人だけの生徒会室の空気は重い。
「追加だ」
いつ横に来ていたのか、ばさっと音を立てて溝口の手から書類が離れ、パソコン横に積み重なった。
その動作に思わず見上げた溝口の顔は、唇の端だけ持ち上げ、楽しそうに僕を見下ろしていた。
「もう仕事終わったんだ?」
手にバッグを持った溝口は、もう仕事が終わったということなんだろう。僕より遅く来て始めたはずなのに、悔しいけれど仕事が早い。
「お前たちがくだらない話をしている間にな。……なんだ、不服そうだな? 私語をする暇があるぐらいだ。この程度簡単に終わるだろう?」
さっきのことを揶揄されて、僕は何も言い返せなくなった。確かに仕事が終わってないのに、話はしてたけど。
「わかった。やるよ」
これ以上溝口と話していても、機嫌を損ねるだけだ。――そう気持ちを切り替えて、僕は手を動かす。
これで溝口も何も言うことはないはずだ。今のところは。
そう思った僕の肩に何かが触れた。それを確認するように顔を向けたところで、身を屈めた溝口の顔が視界に入る。
「っ!」
迫ってきた顔を寸前で防ぐ。溝口の唇を抑えた手のひらを、ゆっくりと温かい舌が這う。
「溝口…っ!!」
「愛の囁きなんかくだらない」
唇を離し、僕の手首を抑えつける。
「気に食わないんだよ、お前」
「それなら……!」
文句を言おうとして、途中で口をつぐんだ。キスですら、溝口にとってそれは嫌がらせの手段でしかないんだ。だったら真面目に取り合うことすらバカバカしい。
「もういい。仕事しなきゃいけないから」
いくら力が入っているとはいえ、本気で抵抗すれば溝口の手から離れることはできる。勢いよく振り払うと、溝口の積み上げた資料を手に取った。
こんな想いをするなら、あの時騒ぐんじゃなかった。ちょうど300万だったから、なんだというんだろう。特別な何かがあるわけじゃないのに。
真っ直ぐにパソコンだけを見つめ、視界に他の何かを入れないようにする。
「春寿」
「何」
振り返らずに、声だけで応える。
そんな僕の頬に突然柔らかな感触が押しつけられた。
「お前はそれで完結かもしれないが、俺はそうじゃないからな」
満足そうにそう言うと、溝口はくるりと背中を向けた。
仄かに唇の感触が残る頬を手の甲で抑え、僕は溝口の出て行った扉を呆然と見送った。
***
「疲れた……」
待ちあわせのファミレスに着いた途端、僕の口から出たのはそれだった。相手の顔を見たら、張りつめていた気持ちがすっかり緩んでしまったのかもしれない。
「お疲れ様。お前、頑張りすぎじゃねえ?」
テーブルにうつぶせになるよう突っ伏していた僕の頭上から、柔らかな声が落ちてくる。
「理広こそ。バイト頑張りすぎだよ、全然会えないし」
「そんなに俺に会いたかった?」
顔だけ上げれば、楽しそうに僕を見つめる理広の姿がある。普段はほとんど表情が見えないのに、僕をからかう時は悔しいぐらい、表情が崩れる。
「会いたかった。だから、今は嬉しい」
「……いやもうさあ、なんつーか、春寿さん破壊力半端ないっつーか」
「破壊力?」
「あーいや、こっちの話。うん、俺も会いたかった。クラス違うと、会おうと思わなきゃ会えないよな」
理広とは行動を共にする機会がなく、事前に約束しない限りは校内で会うことすら難しい。
だから、こうして会える日がどれだけ貴重なのか、僕は身をもってよく知っている。
メールよりも、電話よりも、会って話すのが一番だ。
「よーし、今日はどんどん食べて、色々話すか! 最近リアブレでもあんまり話せねーしな。戦闘イベント多すぎなんだっての」
「リアブレのトップに最新ニュースで載ってた。2週間は戦闘強化するんだって。そうだ、今日」
「ん? 今日?」
思わず口走ってしまったものの、今日の生徒会室の出来事が過ってしまい、そのまま言葉を止める。そんな僕に、理広は優しく先を促した。
「ああ、えっと、今日リアブレの公式にいったらカウンターがちょうど300万で」
「へえ、スッゲーな! 今日、いいことあるんじゃね? あ、俺と会うのがいいことか」
「いいこと?」
「や、ちょっと真顔で聞き返さないで! つか、今からいいことになるように心掛ける!」
「それは理広の奢りで頼んでいいと」
「えっ、望むのそっち!?」
冗談、と笑いながら理広を見る。
ここに来るまでは疲れていた心が理広に会うと癒されていく。話したいことはたくさんある。時間が足りない程に。
今日のいいことを存分に楽しむためにも、理広ともっともっと話したいと思う。
理広と二人なら、きっと楽しくなる――そんな予感を抱きながら、僕は理広に向かってゆっくりと口を開いた。
end
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