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side-rihiro
「ありがとうございました」

「あのっ」

釣銭を渡し終えても目の前の女性客は立ち去ろうとしなかった。
彼女が今日最後の客だ。彼女が店の外に出るまでは、閉店作業をすることができない。
このレストランの閉店時間は21時半である。
高校生である理広――松前理広(まつまえりひろ)は22時までしか働けないため、あまり長引かれると閉店作業に支障をきたすことになる。
それとなく促すために声をかけようか理広が迷っていると、少し顔を赤くした女性がカウンター越しに身を乗り出すように話しかけてきた。

「はい」

何か忘れ物でもあるのだろうか、と思いながら理広は営業用の笑顔を浮かべた――つもりだ。どうも意識していないと理広の表情は表に出にくいらしい。接客業でその弱点を克服しようとしているのだが、なかなか成果は表れない。今もどの程度笑顔として表れているのだろうか。

理広が笑むと目前の女性客の態度がますます落ち着きのないものになった。口をパクパクと何度も開閉させて、何かを紡ぎ出そうとしている。それが何であるのか推測できず、理広はただ女性客の顔をじっと見つめた。それに比例して、女性の動きがさらに挙動不審なものになっていく。

「お客様、当従業員に何か不手際が御座いましたでしょうか」

いつの間に傍に来ていたのか、店長である森川勝(もりかわまさる)が理広と接客を代わるようにして進み出る。オールバックに銀縁眼鏡という出で立ちの森川からは、物腰穏やかな印象が漂う。女性客も森川の顔を見て、少しだけ困ったように視線を彷徨わせたものの、すぐに繕うようにふふっと笑いを零した。

「いえ、そう言うわけじゃないんですけどぉ」

「私が代わりに承ります」

「でも」

「私が責任者です」

にっこりと笑顔を浮かべた勝の一言に女性客は押し黙る。ちらりと横目で理広を確認するように見た後、「また来ます」と理広に向けてはにかんだ。カツッとヒールを鳴らして踵を返す女性に、勝と理広は深々と頭を下げた。自動ドアの締まる音を耳にして、ゆっくりと頭を上げる。

「ありがとうございました、店長」

「ったく、モテすぎだろお前」

ばしっと頭を軽く叩かれる。客がいなくなったと同時に森川の口調が気安さがにじみ出た砕けたものに変化した。

「よーし、本日の営業はこれで終わりだ。お前ら閉店準備するぞ」

店内に向かって大声を張り上げると、威勢のいい返事がキッチンとホールから聞こえてくる。
森川は理広にレジの閉局作業を指示すると、眠いのかあくびをしながら店内巡回へと向かっていった。もう見慣れた光景となったが、客が店内からいなくなった途端に森川の態度はやる気のないものへと変化する。清々しいまでにオンオフの切り替えがはっきりしていた。

理広がレジの閉局作業を終え、バックヤードに向かっていると、パタパタと足音を立てて同僚の芦田(あしだ)せりかが駆け寄ってきた。芦田は小柄な体も相まって小動物のような動きを見せている。

「りっちゃん、お疲れさまー」

「お疲れ。今日は忙しかったな」

「大変だったよー。もう腰痛い」

腰に手を当てて軽く叩く動作をする芦田が何ともいえずおかしくて、理広が吹きだす。
笑い上戸なのか、理広の笑いのツボは限りなく広く浅かった。

「りっちゃんの機嫌、良くなってきてるっ」

「ん?」

芦田の意図が解らず、理広は首を傾げた。

「今日のりっちゃん、ピリピリしてたから」

「マジで?」

指摘されるまで自覚が全くなかった理広は芦田に問い返した。
芦田は首を縦に何度も振ると、びしっと人差し指を理広の前に突き出した。

「うんうん。りっちゃんの様子が変だとみんなも心配するんだよ? てんちょーもりっちゃんのこと気に掛けてたし。フォローに素早く入ったのも、ずっと見てたからだよ」

「そうなのか。後でお礼言っとかなきゃな」

「りっちゃん、何かあったの? 嫌なこととか」

「嫌なことっつーか。……あー、嫌なことなのかな。なんかスッゲームカついて」

腹が立つ原因は溝口大輔との会話だ。
挑発する気はなかったのだが、フユを精神的に追い詰めたのかと思ったら止まらなかった。
おそらく勘のいい溝口なら、理広がフユとどういう繋がりなのか気付いただろう。
それでいい。自分だけ相手の正体を知っているのはフェアじゃない。

そう思っていたのだが、時間が経つにつれ、溝口を挑発した行為は浅はかだったと思えてならなかった。理広が取った行動で溝口が抱いていた疑念を確信へと変化させたかもしれない。

理広はフユのリアルが誰であるかは知らない。
理広からフユにたどり着く可能性は限りなく低いと思われるが、それでもゼロではない。
フユに繋がるものを理広が一つでも手にしている時点で、絶対などということはない。

自分の行動がフユへ迷惑をかけてしまうことだけが、理広は気になって仕方なかった。
フユのリアルを知らないということは、逆にいえば理広自身もフユを100%の力で助けることはできないのだ。

「正攻法の相手じゃねーっての、忘れてた」

「え?」

「ああ、うん、えーと、俺としては正面から戦いを挑んだんだけど、相手が同じ方法取るとは限らなかったって話」

「りっちゃんの例え、よくわかんない〜」

「ごめんなー、あんまり詳しく言えなくて」

「言えない話なら仕方ないけどっ。でもあんまり溜めこみすぎると身体によくないよー。ぱーっと発散させなきゃ!」

「そうだな。ありがとな、心配してくれて」

話を聞いて貰えるだけでも、気持ちは軽くなるものだ。
理広自身、悩み事を抱えている友人がいたら話を聞いて心の負担を軽減させたいと思っている。出来る限りのことをしたい。

フユも内にため込むタイプだ。一人で抱え込んでしまう。今日溝口と対面したことで、また何かフユの身に起きていたりしたら――。そう考えた途端、理広の中に焦燥感が生まれる。

バイト中は考えないようにしていたが、タイムカードの打刻をすれば今日の仕事も完全終了だ。フユの様子を尋ねることもできる。

あと少し。それは理広が急げばさらに縮めることができる。
僅かな時間がもどかしくて、理広は隣でぴょこぴょこっと飛び跳ねてる芦田を見下ろした。

「芦田ごめん、電話したいから先に行くな」

「電話したら、りっちゃん完全復活?」

「になる予定!」

手を振って、タイムカードまで走る。
――早くフユの声が聞いて、自分の心を落ち着けたい。そんなことを考えながら。




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