7 ジェイクに連絡した時間通り、溝口は情報処理室に現れた。 中に入ってきた溝口は、パソコンの傍で待機していた僕の姿を見つけると、無表情のまま眼鏡を押し上げた。それから無言のまま僕の前までやってくると、そこでようやく口を開いた。 「ちゃんと終わっているだろうな」 「終わってるよ、だから伝言をしたんだ」 残っていた2割の作業の仕上げは、思っていたよりもハードだったけれど、それでも少し早めに登校したことと、昼の休み時間を割いたのが良かったのか、なんとか無事にデータを完成させることができた。 僕は予め準備していたパソコン画面を指し示すように、右手を振り上げる。溝口は少しだけその長身を屈めると、キーボードとマウスを使って素早く確認作業に入った。 (どうか大きなミスをしていませんように!) 祈るような気持ちで、僕はその様子を見つめる。 ここでやり直しなんてことになったら、今日の計画が水の泡になってしまう。 極度の緊張感の中、盗み見るように溝口を見れば、パソコンに視線を落としながら僅かに微笑んでいた。 「突貫にしてはよく出来ている方か」 その言葉に僕は張り詰めていた息を吐きだした。どうやら、思った以上に身体に力が入りすぎていたらしい。 良かった、無事完成していて……! 緩んだ体を支えるように、パソコン前の回転椅子の背もたれ部分を握る。 その間にも溝口はテンポ良く打ち込んで、何かの作業を続けていた。よくよく見ると、データを移動しているようだ。別のフォルダへの移動作業を終えて、パソコンをシャットダウンさせると体勢を整える。すらりと僕の横に立つ溝口は、僕より少しだけ背が高い。 最初こそ機嫌が悪いのかと思ったけど、こうして面と向かっている今はいたって普通の態度だ。きっとジェイクが上手く伝言してくれたんだろう。大変な役割だったはずなのに、ジェイクからの返信メールは僕を気遣うものばかりだった。本当に、ジェイクにはいつも助けられてばかりいる。 それにしても、こうしてここに溝口が来たってことは、リアルのジェイクと溝口が会話したからなんだよな。 溝口が特に不審に思っていないのなら、現実での関係は良好なのかもしれない。 僕と溝口の関係も、これでようやく終わろうとしている。 「これで予算関連の作業は全部、終わったんだよな」 確認するように、念を押す。 「ああ、そうだな」 「この後の作業は生徒会に?」 「そういうことになるな」 だとすれば、もう僕ができることはないだろう。 ようやく仕事終了だ。責任という重荷から解放される。 「それなら、僕は部活に行くから。これから先、何かあれば部長に話をまずして欲しい。僕には判断付かないことも多いから」 床に置いていたバッグを持ち上げ、移動しようとした僕の行く手を塞ぐように、溝口が僕の右腕を強引に掴んだ。その強さに、よろめくように身体のバランスが崩れる。 どすっと、再びバッグが僕の手を離れ、床に落下した。 思わぬ形で縮まった溝口との距離に、僕はこの間された行為を思い出し、突き放すように身体を捩った。そんな僕の抵抗を、溝口はねじ伏せる。 「離せ、よ…っ!」 溝口を睨みつける。力いっぱい眼差しに怒りを込めたはずなのに、溝口は笑ってそれを受け流す。 部活をして体力はあるはずなのに……! 力を込めても振りほどけない腕が悔しい。力で敵わないなんて、絶対に認めたくなかった。 「そうすぐに立ち去ることはないんじゃないか。俺は感謝されることはあっても、そんな風に嫌悪感をむき出しにされる覚えはないんだが」 「あるだろ! 僕に……」 無理矢理キスしたくせに。その単語を口に乗せるのが嫌で、語尾を詰まらせた。 それでも僕の意図は明確に伝わったのか、動けないことをいいことに顎を強引に掴んだ溝口の親指が僕の唇をなぞった。その感触に、びくりと震える。 「ああ、またして欲しいのか。この間のじゃ、物足りなかっただろうしな?」 ふっと笑みを零す溝口に一層苛立ちが募る。今のやり取りは僕にとって笑える要素なんてないのに! 「冗談じゃない! 僕は怒ってるんだよっ!」 殴ったのに、溝口には僕の怒りが微塵にも伝わってないんだろうか!? そりゃあのときだって罪悪感のかけらも感じさせなかったけど、それにしたってこの態度は酷過ぎる。 「怒っていても、こうして俺の前に現れる」 「それは、これが僕一人の問題じゃないから、だろ……!」 僕がもし逃げたりしたら、バレー部全体に迷惑がかかるかもしれない。 去年一年も、皆で節約してやっと乗り切った予算金額だった。もし減らされてしまったりしたらと考えるだけで、気持ちが滅入ってしまう。これから先の未来と天秤に掛けたら答えは明白だった。 「そうだな。ここは現実だ。だからこそお前は逃げられない」 突き放すように今まで強く掴んでいた僕の腕を溝口が解放した。自由になった腕を摩りながら、近づいた距離の分だけ離れる。 「なあ、春寿。お前、俺の性格をどう見る?」 唐突に切り出された話題に、僕はぽかんと溝口の顔を見つめた。けれど溝口は真面目な顔を崩さない。 「なにを唐突」 「ああ、聞き方を変えるか? 自分の思い通りにならない行動をとられたら、俺はどんな風に感じてると思う?」 つまり今、溝口はそんな状態だっていいたいわけか。 「腹を立てる、とか」 「そうだな、それもあるだろうな」 「だったら、安心していいから。これから、生徒会には迷惑かけないようにするし」 工藤部長には、これから提出物を指示されたら部活のメンバー全員に伝えて貰うようにしよう。もう二度とこんなことをしないよう、ミーティングで提案だ。 「だが、それは今の俺の答えじゃない」 溝口はもう僕との距離を詰めようとはしなかった。それなのに、なぜか溝口が近づいてくるような威圧感を感じていた。 「お前の後ろで糸を引いている奴に伝えろ。今日は乗ってやったが、俺は『狙った獲物は必ず捕食する主義だ』とな」 残忍な笑いを乗せて、冷酷な声が告げる。 僕はただ、息をのむことしかできない。 「俺は真とは違う。大事なのはこの現実だ。だからこそ、この俺の前に現れた――お前が悪い」 [*前へ][次へ#] [戻る] |