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「汚いな」

部室を一目見た溝口は、開口一番、眉間に皺を寄せて低く放った。
それは呟きというわけではなく、近くにいた工藤先輩と狭山先輩にしっかり聞こえるようにだ。
部室には僕と溝口の他に、工藤部長と狭山先輩のがいる。二人だけなのは、本当なら今日は部活の活動日じゃないからだ。だけど、この予算のために、部長も先輩も部室に来ていた。

声が届いた先輩たちは同時に渋い顔をする。けれど、僕も含めて溝口に反論できない。
それというのも、この部室はどう贔屓目に見ても、汚い(ちなみに更衣室はさらに上を行く汚さだ)。

机の上にはノートや紙、それに空になったペットボトルまで転がっているし、床には部員が持ち寄った雑誌が散乱している。
昨日は予算を組み直す作業に精いっぱいで、掃除までは行き届かなかった。思い返せば、みんなこの現状に慣れ過ぎてて、第三者が見たらどう思うかなんてところまで誰ひとり予想していなかったというか。
乱雑に置かれている物の位置も、慣れてしまえば所定位置だ。

「悪いな、溝口、今日はわざわざ来てもらって」

軽く咳払いをして、工藤部長が無理矢理話をはじめた。
手には昨日まとめた書類一式がある。それを溝口につき出すようにして差し出した。

「ああ……貴方が提出期限を破った挙句、業務を後輩に押し付けた名ばかりの部長ですか」

「ぐっ……そのことは本当に悪いと思ってる」

一発目から容赦のない溝口の攻撃に、工藤部長がすぐに怯んだ。
そんな工藤部長の様子を見て、狭山先輩がぐいっと両手で部長の背中を押す。

「一応、昨日皆で提出書類の見直しをしたんだけど、溝口が改めてチェックするというなら、今日は一日工藤を使ってくれ」

溝口の前に踏み出た部長に、溝口はあからさまにため息をつくと、冷ややかな声で告げた。

「信用できないですね。そもそも後からの提出を認めるのは、他の部活に対して公平さを欠くと思いますが。本来なら、予算削減でも構わないんですが、俺もそこまで鬼じゃない」

去年の部費は夏の合宿で大半使ってしまい、そのあとが大変なことになった。今年、去年以上に削減されてしまえば、待っているのは自己負担。それだけは、避けたい。――部員全員が心の奥底から祈っている。

溝口はゆっくり工藤部長の前に立つと、その手から書類を受け取った。

「これは素案として参考にします。ですが、予算自体は俺自身がやりますし」

そこで溝口は言葉を切って、僕を見た。口の端を僅かに持ち上げた溝口に何か嫌な予感を感じて、顔が引きつる。

「手伝いは秋山に頼みます」

手伝って貰うと僕に告げたことを実行するかのように、溝口が軽やかに宣言をした。
懇願するように工藤部長が、そして気遣うように狭山先輩が僕を見る。

「……溝口。悪いけど、秋山は」

狭山先輩の言葉の先を悟って、僕は強引に遮った。

「大丈夫です、先輩」

心配させないように、力強く頷く。
昨日、予算をもう一度やり直しているときも、先輩たちは随分僕を気にかけて自己嫌悪に陥っていた。確かに大変じゃなかったって言ったらウソになるけど、部活のことだ。僕にも無関係な話じゃない。

「話はついたな」

勝ち誇ったような笑みを浮かべる溝口に、僕たちはただ無言で顔を見合わせた。


***


「ユニフォームの予備は?」

ロッカーの上にある段ボールに仕舞われているユニフォームを少し背伸びして取り出す。
ずるっと引きずり出すようにとれば、埃も一緒に落下してくる。少し咳き込みながら、段ボールを床に置くと中に入っている枚数を確認する。

「っと、5枚ぐらい」

指示を飛ばしている溝口はパイプ椅子に座り、机に肩肘を突いていた。机の上には先輩たちが渡した書類が添えられている。

部長たちは溝口に「作業の邪魔です」の一言で、部室から追い出されてしまった。
部室を出る間際に見た、置き去りにする罪悪感に溢れた表情が忘れられない。
そんなに苦行じゃない、はず、多分……。

「秋山、こっちにこい」

どうして呼ばれているのか解らず、少しの間溝口を凝視すると、

「髪に埃がついてる」

溝口が椅子から立ち上がり、僕の前髪に手を伸ばして埃を取り除いた。その指先には肉眼でしっかり確認できるほどの大きさの埃がある。
さっき段ボールを取り出した時に、落下してきたみたいだ。

「ありがとう」

「何年掃除しなければこんなに埃が溜まるんだかな」

そのまま近くにあったその存在にあまり意味をなさないゴミ箱へと捨てる。

「それは…うん、耳が痛い」

ロッカーの上を掃除した記憶がない。ということは、僕が入学して一年は全く掃除をしていないことになる。
埃もたまるはずだ。

溝口はそのまま僕の顔を覗き込むと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「年間15枚分の金額と試算されているが、不要だな。大方予算が余ったからユニフォーム代で帳尻を合わせたんだろう」

一発で見抜かれてる。鋭い。
予算で最後余った金額は消耗するものに入れとけばいい、って合わせたんだ。足りなくなったら、そこから補えばいいと気楽に考えて。

僕の動きがあからさまに止まったことに、溝口は満足げにゆっくりとまた椅子へと腰掛ける。

「去年一年間のスケジュール表はどこにある?」

「それなら、机の上に」

それ以上突っ込まれなかったことに安堵して、僕は立ちあがって机の上を指さした。
年間スケジュールは昨日見返したばかりだ。山のように物が乗っている机の上のどこかにあるはず。
あの山のような、書類のどこかに……。
溝口が机の上へと目線だけ動かし、ため息を思いっきりついた。

「っと、今、探すから」

僕は苦笑して、机の上を物が雪崩を起こさないように慎重にどかしながら、スケジュールが書かれた紙を探す。
確か昨日ここで見たはずなんだけど、どこに置いたんだろう。年間スケジュールのほかにも色々なプリントがたまっているから、じっくり見ないと探しにくい。

ガサガサと僕が探している音がやけに大きく室内に聞こえる。静かな空気が急に重く感じられて、僕は慌てて話題を探す。

「そういえば、溝口って眼鏡かけてなかったっけ」

昨日会った時につけていた眼鏡を着用していない。
そのせいか、昨日にも増して眼光の鋭さが際立っていた。

「ああ、いつもはな。――なんだ、眼鏡のほうが好みなのか」

「いや、別に、全く、ちっとも、そう言うわけじゃないけど、今日はしてないなって思っただけだから」

「随分と重ねて否定するんだな」

「溝口が変な言い回しするからだ」

「……変な言い回し、か。お前、俺に興味がないんだな」

「興味……?」

「ま、いいけど」

溝口は机の上に置いてあった書類を手に取ると、部員名簿へと視線を落とした。

「お前、バレー部ではレギュラーなのか」

「まさか。ずっと補欠だよ。二年は試合に出れるように頑張る」

実力的にはレギュラーまで程遠い。今はただ練習あるのみだ。

「その割に、頼られてるようだが」

僕が提出する役割になったことを言ってるんだろうか。

「僕がマネージャーも兼務してるからだよ、きっと」

マネージャーというと聞こえがぐっと良くなるけど、やっていることは雑用だ。

「選手希望でこの部活に入部したんだろう。マネージャーで満足してるのか」

「本当は試合に出たいけど……実力不足なのは自分で解ってるから。今は試合以外のことで、少しでも皆の役に立ちたい。だから、マネージャー業務も好きでやってる」

僕がそう言うと、溝口が何か考え込むような仕草をした。

「……溝口?」

黙ってしまった溝口を呼ぶ。

「助けられるより、助けたい。頼るより、頼られたい……そんなところか」




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