加賀美の受難
鷹耶が椅子から立ち、自分の前にゆっくりと歩み寄ってくる。やわらかい絨毯の上を歩いているはずなのに、加賀美の耳には獰猛な獣が牙をむいてガシュガシュッと歩いてくるように聞こえてしまう。



「ぐっ!」

襟元を片手で鷲掴みにされて、喉元の皮膚にも爪が食い込む。肉ごと一緒につかみ上げられ、呼吸できない苦しさと、食い込んだ痛みの両方が襲ってくる。

「うぐ・・」
「もう一度言う。九鬼を呼べ」
「か・ぐっ・・・・幹部は・・ぐぁ・・」

何を言っても鷹耶は話を聞く気はなく、さらに加賀美の首を掴み上げ表情を変えず苦しみを与え続ける。両手で鷹耶の片腕を放そうともがいても、全く外すことはかなわず、ただもがき苦しむことしかできない。
息が・・・・窒息する。
耳元でざわつく血液の音。血は流れをせき止められ行き場をなくしジンジンとしびれ膨れ上がっているように感じた。
ギチギチと骨がきしみ、肉に爪が食い込んでいく。


「社長、九鬼幹部は来られないと思われます。それよりも朝川様のことを伺ったほうがよろしいのでは」


瀬名は首を絞められる加賀美をやはり無表情に一瞥して、鷹耶に進言した。目の前でかつての上司が危険にさらされていても閑却している。

鷹耶は舌打ちをして、首を絞めていた加賀美の襟元を投げて放した。背中から床に落ちた加賀美は、せき込みながら襟元をさすり、呼吸を整える。だれも手を貸すことはない。社長のすることに意を唱える者はここにはいない。

首を擦った手に、わずかであるが血痕が付着した。おそらく肉をえぐられた傷だろう。
自力で立ち上がり、襟を直し、何事もなかったように直立して再び口を開いた。
静が一緒にいた仲間と遊んでいた最中に、族とトラブルになり暴行事件に巻き込まれたこと。その際怪我を負ったこと。警察に補導され身分を隠したことから釈放されず警察署で一晩過ごしたこと。そして今朝、九鬼に連絡が入り、迎えに行くことになったこと。



「おそらく怪我と、精神的なことが原因で、体調を崩されているご様子。発熱もされていたので病院に行かれました」


静が逃げ出してからの行動は鷹耶の想像を超えたものだった。まさか警察にいたとは。



手が、震える。
怒りで・・・



「どこの署だ」


聞いてどうするつもりなのだろう。まさか報復にでも行くつもりなのか。まさかな、いくら何でも。
しかし鷹耶の目は怒りに満ちていて、補導したものや担当者くらいなら葬ってしまいそうな勢いだ。加賀美も先ほど 自分に向けられた容赦ない痛撃を思い出すとそれもあり得るなと、起きてほしくない新たな火種に難渋する。

「代々木警察署です。上原あたりで補導されたようですので」

警察の対応は特に問題はなく、おびえていた静を気遣って女性の警官を付き添わせたことなども付け加えたがあまり効果は無かった。ミサカの社長であると同時に、鷹耶は東雲会傘下の暴力団の組長でもあるので、始めから警察とは相いれない敵対関係にある。
そんなところに掌中の玉である静を一時でも置いていたことが許せないのだ。



「話を進めさせていただきますが」

鷹耶の怒りにいちいち反応していては、警察や静を襲った連中、しまいには一緒にいた友人までことごとく排除してしまう可能性がある。怒りにまかせて事を大きくするのは避けたい。
事件については最小限のことを告げればよい。聞かれて答えに詰まるときは話を先に進めること。それは九鬼の指示だ。
加賀美も補導に関わった警察の末路などには関わっていられない。報復するならすればいい。自分のいないところでそういう話を進めてくれと、次の話に移った。





「朝川様ですが、怪我の治療が終わり次第、しばらく本家でお預かりすることとなりました」





本家という言葉に、鷹耶の目がさらにつり上がる。


「何だと。そんなことを俺が許すと思ったか。もういい。貴様と話すことはない。失せろ」


鷹耶は机に置いてあった携帯電話を取り、デスクから離れようとした。

「社長、どちらへ行かれるつもりですか」

瀬名の声を無視して、そのまま歩き出す鷹耶に瀬名が立ちはだかる。

「まさか、今から本家へ出向かれるのですか。それは承服しかねます」

冷静な目で鷹耶を制し、社長の行動に異を唱えた。

「朝川様の無事は確認されました。社長には心おきなく仕事に復帰していただきます」

昨日からの騒動で鷹耶は仕事を放棄し、昨日は社の定例会と契約先の食事会をキャンセルした。今日は関係会社との懇親会も予定されている。分単位でスケジュールを組んでいるというのに、これ以上予定が変更されるのはさすがに今後に支障が出る。



「仕事?俺がいなくてもそれくらいお前達で処理しろ。そのための人間を揃えたつもりだ。それともお前達はただの役立たずか」
「社長も分かっておいでのはず。公私の区別はつけて付けていただかなければ。あなたはミサカのトップです。これ以上の譲歩は出来かねます」
「俺に指図するつもりならお前はもう必要ない。ミサカのトップの座など誰かにくれてやる。お前達の好きにしろ」


瀬名と秋月を一瞥して傲岸不遜に言い放つ。自分を縛るものが疎ましいとばかりに、何もかも切ると吐き捨てるように言う。静のもとへ行くために仕事が障害になるのなら、社長の座など捨ててやると言うのだ。


海藤社長は今から本家に行くつもりなのか!それはまずい。瀬名が妨害するために苦言を呈するが、鷹耶は全く聞く耳を持たない。それどころかミサカを捨てるとまで言いだした。そして敷居が高いはずの本家になりふり構わず急行するつもりだ。




『若を本家に近づけるな』




九鬼からきつく言い渡された言葉。何が何でもしばらくは東京に足止めをさせろと。

「本家に行かれるのは、許可が・・・」

社長を行かせるわけにはいかず、言葉を紡いだその時、加賀美は目の前の信じられない光景に背筋が凍りついた。社長の手の中には・・・黒く光る冷たい凶器が握られ、その照準先は加賀美の眉間に合わされている。





ガチャ・・・安全装置が外れる音。



「おい、鷹耶・・・」

勤務中は社長と呼べ。そう瀬名に言われていたにも関わらず、西脇は弁護士に拳銃を向ける鷹耶を思わず名前で呼んでしまうほど困惑した。敵ならばいい。だが加賀美は身内であり、組織の上位である皇神会が抱える弁護士。それを私怨で殺したとあれば、いくら海藤家の直系とはいえさすがに無罪放免とはいかないだろう。それなりの処罰は覚悟しなければならない。

銃を向けられた加賀美は驚愕に身を震わせ、数秒後には殺される自分を想像する。社長の暗い瞳を見た瞬間、拳銃を片手に社長は何のためらいもなく引き金を引いた。



パーーン・・・



乾いた銃声が部屋に響き渡る。
硝煙の臭いが後から広がる。
ただの威嚇だと思った。まさか構えた途端発砲するとは、周りの誰もが思っていなかった。

撃たれるとギュッと目を閉じたとき、頬に熱い風が吹き抜けるのを感じた。弾丸は加賀美の真横を通り抜け、後ろの壁にめり込んだ。


「・・・・・っ・・・・・」


生きてる・・・・しかし目を開けると、銃口はまだ自分に向けられたままで、社長は底知れない怒りと冷徹な顔で、自分を見ている。


「やめろ、鷹耶。ここでそんなものぶっ放すな」
「この部屋は完全防音だ。知っているだろう。何も問題はない」
「そうじゃない。弁護士に銃を向けるなと言っているんだ」

相手は皇神会の弁護士だぞと、付け加えるが銃口は動かない。切れた鷹耶は厄介だ。まずはあの拳銃を下させなければ。

憤りを隠しもしない社長にもう冷静に話すことなど無駄だ。ここに来た時点で逆鱗に触れることは覚悟していた。死ぬかもしれない・・・だが最後までやるべきことを、自分の任務を遂行しなければ。たとえ運よく生き残ったとしても、今度は九鬼に殺されかねない。残りの気力を振り絞って銃声に遮られた言葉を口にした。



「本家に行かれるには許可が必要です」

「俺に許可だと。笑わせるな」



再び装置を解除する音に、加賀美の口調も早く強いものになる。





「これは、会長のお言葉です」





加賀美の言葉に引き金を引こうとした鷹耶の指が止まる。



「東雲会会長の、海藤会長のお言葉です。朝川様は後見人の海藤会長の預かりとなりました。静養中の手出しは一切無用と・・・」






加賀美の言葉を遮り、部屋に再び銃声が鳴り響いた。


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あきゅろす。
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