本家
「会長命令は絶対ですからね。了承致しました」
社長がこの後どういう行動に出るのか、会長命令を無視して手打ち覚悟で出向くのか、それともこの話を承諾するのか、この場に居る全ての者が固唾を飲んだとき秋月は社長の言うべき言葉を代弁し、これ以上は鷹耶本人にも口を挟ませないつもりで即断して言い放った。
そしてまだ、加賀美のこめかみに拳銃は当てられたままだ。
「それでは、九鬼に伝えてください。こちらからは一切手は出さないと。後見人の会長にすべてお任せします。それと、加賀美所長もよろしいですかね。私もこの旨を伝えていただきたいのに、この場で代理のあなたを撃つとまた別の者に事情を話さなければなりません。あまり合理的ではないので・・・」
「わ・・分かりました。この部屋で起きたことは一切公言しません」
「傷と・・・うちの社長は口もあまりよい方ではないので・・・」
会長を”殺す”と言ったことも口をつぐめと無言の圧力をかける。
「分かっています。全てです。お約束します」
「そうですか、物わかりがよくて助かりました」
そしてやっと、銃が離れる。
(「九鬼さん。あんたが言ったこと、よ〜く分かったぜ…ここにいる奴にまともなのはいねえ」)
ガツンと固く鈍い音に視線をやると、鷹耶のこぶしが壁にめり込んでいた。
(「承諾したと、受け取っていいんだな」)
その音と共に瀬名が退出を言い渡す。
これ以上ここにはいられない。せっかく幹部たちに助けられた(助けられた相手にも銃で脅されたのだが)命だ。加賀美は礼をした後、逃げるように社長室を後にした。
病院で治療を受け点滴も施したので、本家に着くころには夕方になっていた。
4年ぶりに訪れた海藤家。長く堅牢な壁に囲まれた本家は、重厚な門構えで訪れる者を畏怖させる。しかし静にとってここは幼いころから通いなれた大好きな場所。懐かしさを感じながら車を降りると屋根の向こうに屋敷森の木々が見える。あそこは鷹耶と初めて出会った場所。そう思い出すだけで、静の胸はざわつき後悔の念が押し寄せてきた。
「ごめんなさい・・・」
鷹耶本人には言えなかった謝罪の言葉がおもむろに口からこぼれる。
「どうかされましたか?」
「・・・何でもありません」
「そうですか、お疲れのところ申し訳ありませんが、会長がお待ちです」
「修お爺ちゃんが?」
「はい、静さんにお会いできるのを朝から楽しみに待っていらっしゃったようですよ。元気な・・・とは言い難いですが、顔を見せてあげてください」
東雲会会長、海藤修造は鷹耶の祖父である。若い頃は派手な抗争の先陣を切る血の気の多い武道派で知られた、皇神会きっての猛者であった。老齢ながらも矍鑠とし今もなお、見る者を圧倒する存在感で君臨し続ける。構成員1万人を超える組織の翁頭である。
しかし静にとっての海藤修造は、自分の祖父と交友の深かった“修爺ちゃん”で昔からとても優しくて、まるで本当の孫を可愛がるように静を愛でてくれる人だ。親友の孫が、親を早くに亡くし同情してくれているのだろうと思う。
「おお、静。何年ぶりじゃ、早くこっちへおいで。九鬼にも世話をかけたのう、アレに言うことを聞かすには骨が折れるじゃろうて」
目じりのしわで目がつぶれてしまうくらいの穏やかな笑みで、上座に坐したままの修造は静に両腕を広げ、近くに来るように呼んだ。
「こんにちは。修お爺ちゃん。あの・・」
「どうしたんじゃ、浮かない顔をして、怪我が痛むのか」
「ううん、そうじゃないんだ。その、ごめんなさい」
静はバツが悪いのだ。4年ぶりに来たかと思ったら、警察の世話になっていた。高校生になって頑張っていると、そのうち報告する予定だったのに、暴行事件で補導など、なんと情けない再会であろう。顔を合わせる自信がなく、目をそむけたままでいると、
「何を気にしているかと思ったら、そんなことか。ワシも静にそんな一面があったことには驚いたが、それもまた一興。かわいいお前がどんなふうに噛みついたのか聞きたいもんじゃ」
喧嘩の内容を聞きたがるお爺ちゃんは、全く怒っておらずむしろ今回の事件を楽しんでいるようだった。
目の前に座った静を手招きして、怪我をした手を取る。
「喧嘩も悪くはない。が、怪我はのう・・・」
そして僕の頭をなでながらお爺ちゃんは僕の顔をじっと見つめる。
「4年か・・・合わない間に大きくなった。もうワシの膝には乗せてやれん」
ごつごつしてしわだらけの手でなでられているけど、全然嫌じゃなくてむしろ、死んだお爺ちゃんを重ねてしまい、懐かしさが一気にこみあげてくる。
「本当に、静は母親似じゃ。しかし、春江さんにもそっくりじゃ」
「おばあちゃんに?」
「ああ、春江さんに、娘の佐和子、そして静。お前達3人はよう似とる」
修造も、静を通して何か遠くのものを見つめるように昔の思い出に浸っているようだった。
「会長・・・。静さんは体調がすぐれませんので、そろそろ」
「おお、そうじゃったの」
懐古の念を断ち切り、回復したらまたゆっくり話そうと、早々に静を休ませるように九鬼に指示を与えた。
静も懐かしい人達との再会に心が温まったが、それとは反対にぽっかりと心に穴が開いている自分にも気がついた。
「鷹兄・・・どうしてるかな」
広い和室の布団に寝かされた静は、鷹耶の面影を思い出しながら熱に潤んだ目を閉じた。
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