陽だまり
5歳で両親を一度に事故で無くす。それからは祖父が世話をしてくれて、そんな祖父も6年生のときに亡くなる。中学3年間は父の妹である倫子叔母さんと暮らし、そんな叔母もこの春仕事で渡米し数年は帰らない。だから、現在僕は1人で、他に親戚はいない。



指に着いたのりを舐めとり、おしぼりで拭きながら美味しかったとつぶやくと大女将はしかめっ面になって僕を見ていた。


「お前は・・・1人でつらいこともいっぱいあったんじゃろうなぁ」

僕ってもしかしてかわいそうな子って思われてる?
女将さんなんかは目がうるんでいて今にも涙がこぼれそうになっている。しまった。


「あ、僕ね、全然辛いとかなくて、両親の記憶は元々ほとんどないから死んだときのことも、ほとんど覚えてなくてもう分かんないし、お爺ちゃんも優しかったから全然平気だったし、叔母さんは面白い人で今でもよく電話するし、友達もいるし、親戚じゃないけど親戚みたいにうるさい人がいて、いつもご飯食べに行ったりしてるし・・」

つらいとか違うから大丈夫と、胸の前で手を振り毎日楽しいから心配そうな顔しないでと、精一杯の気持ちを伝える。

でもとうとう女将さんは泣きだし、僕はうろたえるばかり。しまった、やっぱり話すんじゃなかった。
中の良い友達にも、もちろん先生にも家族の事なんて話していない。面倒だし話す必要も無いからだ。でもはま路の女将さんたちに話してしまったのは、多分・・・・



「ごめんなさい。変な事話しちゃって」
女将さんを泣かせてしまって、落ち込む僕に、

「あたしがしゃべらせたんだから、静があやまることはないさ。すまんなぁ。そんなことだったとはなぁ。いやぁ静があんまり美味しそうに飯を食べるし、いつも表情のいい子だと思っておったから、まさかそんな苦労をしているとは」

大女将は下を向いてまな板の上の手を動かし始めた。

僕はハンカチを出して女将さんに渡そうと思ったが今日に限ってハンカチを忘れた。ゴソゴソポケットをさがしハンカチない〜と言う僕を見て女将さんは泣きながら目を細め笑う。

女将さんは割烹着の袖で零れる涙を拭きながら、静ちゃんはやっぱり優しい子ね。いい子ねと僕の頭に手を置くと撫でてくれた。
そして席を立った女将さんは僕を抱きしめて背中をトントンと手のひらで叩く。ふんわりとした甘い香の香りがして、女将さんがグスッと涙をすする音、泣くのをこらえて震えている肩に気づく。
なんて温かいんだろう・・・僕はゆっくり目を閉じる。きっと、きっとお母さんってこんな感じなんだ。



僕が家の事を話してしまったのは、大女将や女将さんに母性みたいなものを感じたからだろう。



「静、お前の飯のことは面倒見てやるから、時間があるときはなるべくうちに来な」

ジメジメした雰囲気を吹き飛ばすように、元気よくしゃべる大女将の言葉に、涙を拭いて立ちあがった女将もそれがいいと賛成する。

「事情を聞いたからには放っておけないよ。まあ、聞かなくても同じだがね。自分の家だと思って遠慮なんかいらないよ。それにその手が治ったら、簡単な飯の作り方くらい教えてやるよ」

大女将はニヤッと笑い、僕ももう前みたいに断らず、素直に返事をした。

だって、ここは本当に居心地がいいから。
ご飯がおいしくて、女将さんはお母さんみたいで、大女将はきっぷが良くて。
懐かしくて・・・
陽だまりのように温かいはま路が僕は大好きだ。





ーーーーーーーーーーー

「ぐわっ!」

頑丈な体躯をした男が、鳩尾に入れられたたった一発の拳で床に膝を折り、顔を苦痛にゆがめ痛みに耐える様を見てこれは内臓がイッているかもしれないと感じた。

隣の男は直立したまま、同僚が殴られる惨憺たる状況を視界にとらえながらもどうすることもできない。なぜならば今自分の目の前に、殺気立つ表情を隠しもせず部下を殴り倒した社長がいるのだから。

戦慄が走り、背筋が凍る。

周りに控える幹部の瀬名と秋月は表情も変えず酷薄な視線で、部下の失敗に自ら処罰を与える社長を見ていた。


やつあたり。

幹部の目にはそう見える。わざわざ自分でしなくても制裁を担う役割の者たちが他にいると言うのに。
子猫ちゃんを簡単に見失ってしまった部下に、はらわたが煮えくりかえっているのだろう。
それにしても、たった1発で床に伏せるとは。社長の拳の威力をたたえるべきか、部下がふがいないのか。どちらにしても鍛え直しだな。



「役立たずは必要ない」


ヒッと喉の奥からかすれた音が聞こえ、ドグァッと嫌な音が室内に響き2人目の男は、社長の蹴りを脇腹に受け、壁に背中を打ちつけズルズルと沈みこんだ。

あの音、肋骨折れたな。しばらく使い物にならないな。
瀬名は秘書室に連絡を入れ、重傷となった男たちを連れだすように指示をする。

新たに入室してきた黒服の男たちが、倒れた部下の惨状に心の中では驚愕し、状況を確かめようとするが、社長室の緊迫した空気に長く耐えられず、仲間を引きずって逃げるように出ていく。



私も逃げたいですがね。
捜索のトップとして、怒り狂っているであろう社長をこれ以上激憤させないように細心の注意を払いながら、瀬名は吉報が届かぬこの憂慮すべき事態に困窮していた。



各駅付近の手持ちのビルに設置してあるカメラが、静の姿を捕らえていた。宇都宮は早い段階で電車に乗った静を把握していたのだ。
駅を中心に追手を手配し、静が降りた駅にももう人員が送られ、捜索の手は近くまで伸びているはずだがまだ発見と確保の知らせが届かない。


そう時間はかからないだろうと思っていた。仕事に大きな支障が出る前に鬼ごっこを終わらせなければ。
本当は既に少し支障がでている。社長の机には秋月がきれいに並べたサイン待ちの書類が長い列を作っている。

部下で鬱憤を晴らしたのだから、少しは仕事に目を向けてくれることを期待していた瀬名は、さっきよりも怒りの度合いが増している社長の表情にハーッと重いため息をつき、子猫ちゃんを逃がしてしまった奴らを、意識がなくても構わないからもう一度殴りに行こうかと本気で思った。

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あきゅろす。
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