懐かしい日々
小学生の時、土曜日の午後はいつも鷹兄と遊んでいた。



高校生だった鷹兄は、かくれんぼやお絵かきとか、僕の稚拙な遊びにも嫌がることなく付き合ってくれた。
一番好きだったのは、初めて出会った、海藤の本家にある小さな屋敷森の中を散歩することだった。

春になると一本だけある大きな桜の木が満開になる。薄紅色の花弁が僕の頬の色と同じだって、鷹兄は来るたびに花弁を僕の頬に当てがって「静は桜の花がよく似合う・・・」と言った。桜の精だなって。
花びらが舞う中、手をつないで一緒に歩く。
ゆっくりと流れる2人だけの幸福な時間。
特にに何もしゃべらなくても、一緒に居るだけで他には何も要らなかった。
小学校を卒業するまで6年間、春が訪れるたびに、必ず一緒にその風景に溶け込んでいた。



(「鷹兄・・・・」)







懐かしい春の景色が一転して、冷たく固い感触が体を襲い現実に引き戻された。




目を開けると、汚れた床。机とパイプ椅子の脚が見える。冷たい床に横たわり、僕はいつの間にか寝てしまっていた。


体を起こすと、固い床の上で寝ていたので、あちこちが痛い。頭も重い。固い所で寝たからかな?
電気を付けたままで寝てしまって、朝か夜か分からないので、入口まで行って電気を消してみた。
擦りガラスの窓から入る明かりに、もう日が昇っていることを知る。

携帯の時計で確認すると、時刻は7時過ぎ。5時間も床で寝てたのか。

廊下に通じるドアを開けて、事務の机がある方を見るとちょうど誰かがこちらに歩いてくる。
目と目が合って、慌てて扉を閉めようとすると、待ってと声をかけられた。



女の人だった。


「ねえ、君、昨日暴行事件で補導された子よね」


制服を着た、婦人警官はドアの隙間から、警戒する僕に気遣いながら覗いて来た。

「パンで良かったら食べる?お腹すいてるでしょう」

「あ、いえ、僕は・・・」

気が滅入っているからか、空腹感を全く感じない。

「そう、じゃ、トイレは?」
「あ、はい・・・行きたいです・・・」

ニッコリ笑った婦人警官に、連れられて、トイレを済まし、また部屋に連れてこられた。
そして、座りたくないのに、アノ椅子に座るように言われて渋々腰掛ける。居心地が悪い。
警官のお姉さんも向かいに座り、両手を机の上で組んで僕に話しかけてきた。




「君ね、何も話さないらしいわね。ちゃんと話したらすぐに帰れてたのに。補導されるの初めてなんでしょう?」


お姉さんが言うには、犯罪を犯したわけではないのだから、すぐ帰れたと言うんだ。保護者にも厳重注意はするけれど、保護者さえ来れば学校に連絡もしないし、違反したのは都の青少年の保護条例だから罰則なんてないし、まあ、暴力沙汰はちょっと問題だったけど、加害者ってわけじゃないし。




「おうちの人に叱られるのが怖いのかな?」

子供に聞くように首を傾けて柔らかい口調で話しかける。仕事柄慣れているんだろうな。

「だって、あなたがケンカとか、暴走族とか何だか似合わないから。もしかして巻き込まれただけなのかな」

「・・・違います。僕は・・・ケンカ・・・しました。人も殴ったし・・・悪いことをしました・・・」


机の下で怪我した拳を握りしめた。何てことをしたんだろうと、今更ながら後悔が襲ってくる。今になって、暴力事件に関って、自分が大人だったら逮捕されていたかもしれないような事をしたんだと、始めてそれが分かったような気がした。




楽しいからって夜更に何度も遊び歩いたこと、考えなしにケンカしたこと、いろんな人に迷惑をかけたこと。そして警察に捕まってこんなことになってしまったこと。




目が熱い。




お姉さんがハンカチを目の前に出してくれていた。それは・・・




僕が泣いていたから・・・・・




涙がとめどなく流れてくる。


動かないまま泣き続ける僕の涙を拭き、お姉さんはやっぱり笑顔で訪ねてくる。

「怖いのは当たり前よ。我慢してたんでしょう」


お姉さんの言葉に、僕は嗚咽混じりの声で泣いてしまった。
お姉さんの言うとおり、誰にも頼ることのできないこの状況に精神的にもうギリギリだった。だから、こんなときに優しくされて、僕はせきを切った様に泣いた。

声を出して泣いたのは久しぶりだった。



落ちついた頃、お姉さんは、

「家族にばれたら、そんなに怖いの」

と心配そうに聞いて来た。




怖い・・・




「すごく怒られるのね。そっか、でも、それだけ心配してくれているってことなのよ。だから怖いかもしれないけど連絡しなさい」


お姉さんに諭されて、ようやく僕はポケットから携帯電話を取り出した。
電源を入れようとしたけど・・・やっぱり駄目だ。連絡するとしたら・・・・・・・・鷹兄しかいない。だめだできない!



携帯を握りしめたまま、はあ、と・・・重いため息を吐いた。



「うーん。じゃあ、おうちの人に直接話すのが嫌だったら、おうちの人の知り合いでもいいわ。近所の人とか、お母さんの友達とか、お父さんの会社関係の人とかでもいいんだけど。以前受けもたれた学校の先生でもいいわ。もちろん免許証とか、身分が分かるものを提示してくれる大人の人じゃないといけないんだけどね。電話番号分かる?会社の番号なら調べれば分かるんだけど」



家族とつながりのある大人の人。






あ・・・・



心当たりの人物が1人だけ浮かぶ。



でも・・・


「誰か思い当たる人がいるのかな?」



僕の表情が一瞬動いたことをお姉さんは見逃さなかった。


「電話、しなさい。そして、怖いだろうけどちゃんと伝えなさい。それが君の責任でしょ」

そうだ。僕は悪い事をしたという自覚がちゃんとある。
けじめを付けないと・・・・・・






昔、しっかり覚えた電話番号を、思い出す。



電源を入れると、パネルが光り、時刻表示がでる。


午前8時前。


出てくれるだろうか。番号が変わっているかもしれない。
連絡を取るのは中学1年の時以来だから、3年ぶり。


090−・・・・・


番号を押し、発信して耳に当てる。呼び出し音がやけに大きく聞こえる。
胸がバクバクして張り裂けそうなくらい緊張している。
もう切りたい・・・怖い・・・



手が震え始めたころ、ピッと繋がる音がした。


一時の静寂。


電話はつながったが相手は一言もしゃべらない。
違う人なのかもしれない。番号が間違ったのか、あるいは3年たって番号の持ち主が変わったのか。

僕は勇気を出して、自分から声を出した。






「あ、あの、・・・僕・・朝、川・・です・・・」




言った・・・それだけで息が切れる。僕は警察に来て初めて自分の名前を名乗った。










「・・・・静さん?」




いぶかしむ声。低くて、でも懐かしい声。




「く・・・九鬼(くき)さん・・」





僕は求めていた人が電話の向こうに居ることに安堵し、泣き声ながら名前を読んだ。

[←][→]

26/47ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!