105円に負ける
■夏休み終盤辺りの番外話■


「起きろ静、時間だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「あと30分で出るぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・む」
「何だ」
「・・・・・・・・・・・・・むり」



夏休みも残すところあと3日。鷹耶のマンションで過ごすのもあと3日の我慢だ。

9時にはマンションを出なければならないのに、8時半になっても静は起きない。ほぼ毎日がこれだ。よくこれで1人暮らしをしているものだと普段の生活が心配になって来る。
仕方が無いのでいつものようにその耳元に唇を寄せそっとささやく。

「起きないのなら・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・好きにするが、いいんだな」


ギシッ・・・

ベッドの端に腰かけた鷹耶は、断固として起きない静の耳たぶをパクリと食んで口に含み舌先で舐め取った。



「・・ん・・・・・・・・・・・・」

それでもさらに猫のように背中を丸めて寝ようとするから、今度は唇をそのまま首筋に這わせてついばみながら、最後は白いうなじに赤い痕を残してみた。

「いっ!・・・ちょ・・な・・」

強く吸われた刺すような痛みにびっくりして覚醒した静は、背後からキスをしかけて来る鷹耶から逃れるように体を前にやると、そのままベッドからずり落ちた。

「いだ!」
「大丈夫か」

ベッドからずり落ちた静は、打った膝を擦りながら恨みがましそうな目つきでベッドの上の腰かけて自分を見降ろす鷹耶を睨んだ。

「おはよう静」
「・・・・・・・・・」

「返事は」
「・・・・・・・・・痛ぃ」

「それは静が悪い」
「鷹耶さんが変なことするからだよ!」

「お前が起きないのが悪い。おはよう」
「・・・・ハヨ・・・・」


本当のところ、朝なかなか起きれないのはそう悪いことではない。毎日好きな場所に口づけをし、その刺激にどんな反応をするのかを想像するだけでもおもしろい。こういった楽しみが増えるのはいいことだ。口にさえキスしなければ約束を破ったことにはならないとこじつけた。逆にあの約束のおかげで堂々と触れることができる。



『キスしないって言ったじゃん』
『口にはな』
『むやみやたらに触らないって言ったじゃん』
『むやみには触ってないぞ。ちゃんと考えて触っているからな』
『はぁ!!なにそれ』



目が点になった静は、驚きに目をぱっちり開いた子猫のようにかわいかった。



「可愛い」や「綺麗」と言う言葉は知っていたが、この世界にそう言ったものが存在することを鷹耶に教えたのはほかでもない、静だった。







「社長、来週も“クラッフトオファー”のランチとディナーをデリバリーしますがそれでよろしいですか」


静と一緒に出社するようになってからはなるべく外食はせず食事を共にしている。自然食材を使った腕のいいシェフがいるその店は、配達も請け負っていて今までも何度か利用していた。
素材は一流、そしてカロリー計算もされた健康志向で飽きのこないメニューにリピーターも多く人気があるのだが、ひとつだけ問題があった。

瀬名から渡された来週のメニュー。栄養バランスを考えた申し分ないメニューだが、鷹耶はそのメニューにマルやバツの印をつけ矢印を引き別メニューを付け加え始めた。

「これで頼む」
「はい」

受け取ったメニューを見てみるとほとんどがバツ。先週も同じだった。これを見たらシェフはいい顔をしないだろう。それでも文句ひとつ言わず注文通りに作るのは客が海藤家だからである。

「あれの偏食は・・・もう偏よると言う言葉の領域を超えているからな」

「そうですね。もう少し食べられるものが多いといいのですが。見ていてかわいそうになります」




静が事件を起こして以来、鷹耶は周りの人間と静の事について少しは会話をするようになった。静の存在が知れた時点で、もう以前のように隠す必要もなくなった。だから瀬名や秋月などともこうやって静の事を話し合う機会も増えた。

静は自分が手放した3年の間に、悪い仲間を作り、無断宿泊、夜間徘徊、パンやお菓子など好きな物ばかり食べるような全く躾のなっていない子どもに育ってしまった。自分が常に目をかけて育てていた間も好き嫌いは多かったが、ここまでは酷くはなかった。


食事に関しての問題は店にあるのではなく、静の方にあった。

静はとにかく食べない。

食事はまず見た目8割で食べるか食べないかを判断する。ご飯には一切箸をつけないが、おにぎりにすると何とか食べる。生野菜も全くだめだ。煮物は小さい頃よく食べさせていたので無理をさせれば何とか食べる。肉は嫌いで魚の方がまだ何とかまし。イカやタコは噛み切れない。でもたこ焼きは食べる。納豆は見ただけで顔をそむけ、豆類などは「箸でつかめない」などと言って食材自体に難癖をつけ始める。フライドポテトやアメリカンドッグは食べるのに他の揚げ物は気持ち悪いと言って臭いをかぐのも嫌がる。

だからまずは見た目を楽しくし、形の工夫と彩のよさを生かした懐石料理ふうにすると「面白い」と言って箸をつけた。・・・・が、箸でつついたり、ひっくり返して見たり、分解したり調べ学習のような食べ方をし出した。そういえば以前も料亭で湯葉を重ねて遊んでいたことを思い出す。そしてやはり一口噛んであとは残す。1/3も食べないうちにおなかいっぱいだと言い出す。

極めつけには「いただきます」と言って一番に箸を付けたのがフルーツ。そうなると全く他の食材に興味が無いと言うことになるのでフルーツだけ食べて食事は終了となる。本当に食べられないものは納豆と餅とごま豆腐だけだ。それ以外はただの好き嫌い。食べさせることにこんなに苦労するとは思わなかった。





今日は一緒に昼食を摂る時間ができたので静のいる部屋に行くと、テーブルの上にはすでに見るからに美味しそうな食事がセットされてあり、静は椅子に腰かけて鷹耶を待っていた。
鷹耶が来ても下を向いたままで何も言わない静に、なぜ黙ったままなのか椅子に腰かけてから声をかけてみる。

「どうした。食べないと冷めるぞ」
「・・・・・・・・・・僕、明日はお昼、自分で買う」

「気に入らないのか」
「だって・・・」

食事の前からもう食べる気がないらしい。巷では人気のランチも静にとってはただの無理やり摂らされる栄養補給のための食事なのだろう。さすがに鷹耶も呆れた顔になりその理由を聞いてみる。

「何なら食べれるんだ。言ってみろ」

「・・・・・言ったら、買って来ていい?」




「まず、聞くだけ聞こうか」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パン。あと・・・・・プリン」



とうとう“クラッフトオファー”のデリバリーは完全に拒否された。



鷹耶は仕事では漏らすことのないため息を吐いたあと、今座ったばかりの椅子から立ち上がった。

「出かけるぞ静」
「え!」

「パンを食べたいのだろう」



自分でも思う。どうしてこんなに甘やかしてしまうだろうと。



その言葉に椅子から飛びあがる静。「本当にいいの?」とぴょんぴょん跳ねながら俺の腕に飛びついて来た。あんなにむやみに触れるなと自分で言っておいてこれだ。やはり静には俺を1人の男として意識するという気持ちはない。それは残念なことだ。少しくらい意識して距離を保とうと警戒される方が見ていて楽しいと言うのに。警戒されすぎるのも問題だが。

「ただし明日はきちんとした食事を摂れ。いいな」
「う・・・・・」
「その代わり明日用意した食事を食べたら、明後日の最終日は好きな物を食べてもいい」
「ホント!じゃ、・・・・明日は頑張ってみる」

そして車の手配をしようとすると静から止められた。

「車なんていらないよ」
「・・・このあたりにパン屋はないぞ」
「パン屋なんてわざわざ行かないよ。僕が行きたいのはそこのコンビニ」

静が指さす方向は、ミサカビルの斜め向かいにあるビルの1階のコンビニエンスストアーだった。

「お前、本気か」
「何が?」

「いや、もういい」



一流店を蹴ってコンビニ。鷹耶が苦心して考えた栄養バランス満点の工夫された彩の良い創作料理はこうやって1個105円のパンに負けるのだ。





昼下がりのコンビニにこの暑い中、三つ揃えのスーツをカッチリ着こなした上品な社長様が、少年を連れて買い物をする姿は目立つことこの上なかった。

「似合いませんね」

「似合わねえな」


瀬名と西脇は、コンビニの袋をぶら下げて歩道を歩く2人を見てそうつぶやいた。



次回はエンペラーの話。静って意外と不器用?おかげで周りが迷惑を被るというお話。



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