嫌悪
押しつけられた唇からは、芳しいコーヒーの香りがした。
「ん・・・」
チュッとついばむ口づけは直ぐに歯列を割ろうとする強引なものに代わり、いつもより性急なキスに臆する静はのしかかる厚い胸を押し返した。
弱い耳元をくすぐるように舐められるとゾクリと泡立つような感覚が背筋を駆け上がり、声を漏らせば易々と口内への侵入を許してしまい、苦手なコーヒーの苦みのある味が広がった。
「う・・・・っ・・・んあ」
今までとは違う荒々しい口づけ。
一方的に与えられるだけの激情に静は為すすべもなく、覆いかぶさってくる鷹耶の重みで体はズルズルと皮張りのソファーに沈んでいった。
怯える舌をすぐに探り出し、絡め取りながら自らの口内にきつく吸い上げる。怖気づいて逃げる舌を執拗に追いたてて貪るさまには、いつもの余裕など感じられなかった。
互いの唇の隙間から呼吸をするのもおぼつかない。それは鷹耶も同じようで、キスの最中に苦しげに息を漏らし恥ずかしい声を上げるのは常に静だけのはずなのに、今は鷹耶からもわずかだが低く喉を鳴らす声が漏れている。
「ん・・・っう、はぁ・・んぁ・・・」
「・・・くっ・・・・・」
キスは夏以来していない。
でもこの口づけはキスと呼ぶには乱暴な、触れ合うというよりも奪うという手荒な行為だった。
触れるどころか会うことすらできなかったこのひと月。
それが鷹耶を飢えさせたのだろうか。
襲いかかるようなキスを受け入れるのが怖くて口を閉じようとしても、激しく探る舌の動きがそれを許さなかった。
執拗に吸いついていた鷹耶の唇がやっと離れると、シュシュと何かがすれる音がした後、首元が急に楽になった。何がゴソゴソ蠢いているのかと思えば、それは、
「ち、ちょっと!何してんの」
鷹耶の指が静のシャツのボタンを一つ、二つと外していく。すでにネクタイは緩められていて、驚いた静はボタンをはずす手を掴もうとするとその手ははたき落とされ、鷹耶は無理やり開いた静の白い胸元に顔をうずめた。
「ひ!」
ペロリと肌を舐める感触は、えもいえぬ嫌悪感を引き出し、血の気が一気に下がるような総毛立つ不快がわき上がった。
はだけた素肌に唇を落とす鷹耶は一度キスした後、鎖骨の上に唇と舌を滑らせ2度3度とそこを繰り返しなぞり上げた。
ねっとりしたものが皮膚を這い唇が吸いつく奇妙な感触、熱い吐息が素肌をかすめるたびにゾクゾクし、初めて味わう我慢できない不快感が全身を襲った。
―――― いやだ、 何これ・・・き・・・気持ち悪い!
「うっ・・・わぁ・・ちょ、何やって・・・・・・やめてよ!」
上にのしかかる鷹耶がそんな言葉でどくはずもなく、鷹耶の両肩を必死に押し上げてみるが大きな体躯はびくともしない。
鷹耶の考えが分からなかった。
どうして急にこんなことを。
やっと和やかな雰囲気になったと思ったのもつかの間、まるで人が変わったように豹変した理由が分からなかった。
「やめ・・・やめてよ・・・も、やめろってば!!」
キスだって嫌だったのに・・・
何度繰り返しても抵抗感がぬぐいきれず、無理やり求めて来るキスに応じていたのも良くなかったのかもしれない。今日だって危ないって思ったのに鷹耶のキスから逃げ出すことに失敗し、流されるままに受け止めてしまった。それでもキスだけならまだ何とか我慢することができたと思う。でも、でもこれは。
鷹耶が自分の胸に顔をうずめて、あろうことか体を・・・・・・・・・舐めている・・・
吸いつくたびにペチャと音が立ち、唾液に濡れた肌は空気に触れると冷たくなった。その場所はどんどん広がり鷹耶の手が更に3つ目のボタンを外しにかかった。
行為を自覚するととたんに全身に鳥肌が立ち、自分の置かれた状況の異常さにこのままではいけないと頭の中で警鐘がガンガン鳴り響く。無駄な抵抗と分かっていながらも必死になって胸や肩を押し戻そうと躍起になった。
――― 何これ・・・何やってんだ・・・この人は!!
「ちょ、ふざけな・・・。いいかげんに・・・」
「ふざけてなどいない」
「じゃ、やめてよ!!」
「やめない。もっと、触れたくなった」
「なん、なんで・・こんなことす・・」
「・・・・・・・そうだな」
鷹兄は笑ったような気がする。表情は見えないけれど、クスリと笑ったその吐息が肌に直接触れたような気がしたからだ。
「嬉しかった・・・からかな」
「なに、そ・・・・、っあぁぁ」
ひときわ強く吸い上げられた場所がチリチリと痛みを発して、ビクッと体がのけ反り耐えきれず声が上がる。
(嬉しかったって、何、何がだよ?!)
静には鷹耶の言葉の意味が何のことだかさっぱり分からなかった。
「や・・・き、気持ち・・わる・・・・から・・・やめ・・・・・・・っあぁ」
固く目を閉じ羞恥に耐え、あえぐたびに開く口からは嫌悪の言葉と熱い吐息が同時に吐き出される。緩めた胸元には自らが印した口づけの証が一つ赤い痕を残し、白い肌に花弁がひとひら散ったような色香さを漂わせている。鷹耶の肩を押し上げようとする両手は震えながらスーツに食い込み爪を立て、力を入れすぎた指先は白くなっていた。
食い込むその細い指に手を当てると、固く閉じていた瞳が薄らと開く。
困惑した黒い瞳は怖いのか、上から見つめる者と視線を交わそうとはしない。
他人を受け入れることを知らない体は胸を激しく上下させ、乱れたシャツの上からでも早鐘のように鳴る鼓動が伝わってくる。
まだ15の少年だというのに。
己の下に屈するこの子は何と扇情的なのだろうか。
かわいらしい笑顔も反抗的な態度も、嫌がるそぶりさえも、何もかもが自分を煽ってならない。
何もかもを貪欲に貪り尽くしたくてたまらなくなる。
自制心など、この姿を目の前にしたら簡単に崩れ去ってしまう。
食事が終われば帰そうと思っていたのだ。先ほどまでは。
自分が放った笑顔が元で鷹耶が考えを変えたなど、静は気づいてもいないだろう。ただでさえ今日は嬉しくてたまらないことが起こったと言うのに、キスだけで帰す・・・と言う方が無理だ。
「制服というのも、なかなかいいものだな」
いつもの意地悪な顔をした鷹耶がやっと顔を上げて放った言葉があまりにもハレンチで、静はたまりかねて声を荒げて怒った。
「こ、こんなこと、して、なっ・・・な・・・な・・・・・・何考えてんですか!!」
「そうだな・・・お前が・・・・・・・・・・欲しくなった・・・とでも言えば理解できるか」
「はぁ?!」
この人は一体何を言っているのだろう。
意地悪な顔から至極真面目な顔に変わった目が、うろたえる静をまっすぐに見降ろしさも嬉しそうな声色で更に不可解な言葉を告げた。
「まずいな」
・・・何・・・・が?
「どうも歯止めが効きそうにない」
・・・・・へ・・・?
「じ、・・・じょ・・・・・・・冗談・・・・でしょ・・・」
「冗談でこんなことはしない」
「鷹に・・・・・・ど、どい・・て・・・どいて・・・よ」
「・・・・」
「や、やだ・・・・・・」
「・・・・」
見降ろす鷹耶は何も言わず冷たく笑った。
それは静の知らない鷹耶だった。
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