倫子さんの心配
ーー春ーー
高校に入学した静は一人暮らしを始めた。
学校まで徒歩20分という通うには都合のいい場所にあるアパートだ。
小学6年生の時に祖父が亡くなり、父の妹でデザイナーの仕事をしている朝川倫子に引き取られてから義務教育の間はとくに不自由をすることなく育った。
倫子さんは仕事が忙しく、1年の半分は海外で仕事をするのでマンションに一人で過ごすことも多かったが、とにかく明るい人で、自由に生きることの楽しさを存分に教えてくれたので1人をそう寂しく思うこともなかった。
亡くなった祖父が、自分のためにいくらかの財産を残してくれていて、成人して稼げるようになるまでの資金はあったが、無駄使いするのもはばかられるので、高校は奨学金で行ける高校を選び受験して合格した。
叔母はお金の心配は一切いらない。甥っ子一人くらい食わせて大学まで行かせてやると豪語するが、さすがにそこまで甘えることはできないと自分は思っていた。
新しいアパートは倫子さんが若い頃に使っていたアパートで若手のデザイナーに無償で貸していた場所だ。
学校からも近いそのアパートをこの春からは僕が使わせてもらうことになった。もちろん古いアパートなので家賃も安い。
そろそろ10時。
明日の準備でもしようかと考えていると携帯が鳴った。
この番号は倫子さんからだ。
「もしもし静、元気にしてる?何か困ったことない?」
「ああ、倫子さん。大丈夫だよ。学校も慣れたし、友だちもできたし、って、この話おとといもしたよね」
「ご飯ちゃんと食べてる?またパンばっかり食べてないでしょうね」
「ははっ」
図星を指された。
とりあえず、おとといと変わらぬ近況報告をする。
春から本格的に海外で仕事をすることになった叔母は一人残してきた甥っ子のことを気にかけて3日に一度は国際電話をかけてくる。
「そんなに心配しなくていいよ。電話代も高いんだから」
叔母を心配させないように笑いながら話をする。
「そうね・・・静はしっかりしているものね」
いつも明るい倫子の声が小さくなる。
「ごめんね、静。あんたを引き取るってあんなに無理を言ったのに結局一人にしてしまって」
祖父が亡くなったとき、唯一の血縁である倫子がまだ6年生だった静を引き取った。
島木は倫子の兄と義理姉の佐和子との結婚に反対していたが、駆け落ちした2人のことを心配はしていた。
兄と義理姉が不慮の事故で亡くなってからは佐和子の父 島木が静を大切に育てた。
「やだなあ、倫子さん。なんであやまるんだよ。あのとき倫子さんが僕を引き取ってくれてうれしかったよ。だって本当の血がつながった家族だもん」
もう静には身内は倫子しかいない。優しかった祖父も父も母もいないのだ。
「だから、倫子さん。あんまり仕事しすぎて体壊さないようにしてよね」
「うん。ありがとう。静。頑張るから。夏には帰国できそうだから」
「でも無理しなくてもいいよ。向こうでの仕事は倫子さんの夢だったでしょう。僕も希望した高校に入れたし。お互い頑張ろう」
「本当に静は・・・無理して大人ぶらないで、もっと甘えなさい」
「甘えてるよ」
「あ==でもあいつらに甘えちゃあだめよ」
倫子はうってかわって大きな声で怒鳴り始めた。
あまりの大声に静は携帯を耳から離す。
「聞いてるの静!!私は認めていないんだからね。あんたの保護者は私よ。あいつらがいくら島木さんとの約束だからとか、後見人だからとか言ってきてもかまっちゃだめよ」
「倫子さん。声でかすぎ。それおとといも聞いた・・・分かってるよ」
「本当ね。本当に分かってるのね静!」
「あの人たちにお世話になることなんてないよ。今までだって倫子さんとやってきたし」
「私が居なくなってあの男絶対喜んでるわよ。いい静、誘われたってひょいひょいついて行っちゃあだめよ」
「鷹兄、仕事が忙しいみたいだよ」
「え、あいつと会ってないの?」
「うん、3月に、まだ倫子さんが居たときには会ったけど、あれ以来もうひと月かな、会ってないよ」
電話はもらってるけどね。
「あやしい」
「え?なにが」
「月に2回しか会わせないのはどういう事だって、あれだけ3年間文句たらたら脅し続けた奴なのに」
「脅しじゃあないでしょう・・・」
「あいつのやることは全て脅しよ!ああ、やっぱり心配だわ」
ああ、本当に倫子さんって。
海藤の家が嫌いなんだな。完全に偏見の目で見てるよ。
「大丈夫だって。まさか帰って来たりしないでよ。僕のために倫子さんの仕事に支障が出るとかそのほうが僕はいやだよ」
「でもあいつ絶対なにか企んでいるわよ」
「何言ってんのさ、倫子さんが言うほど悪い人じゃあないよ」
「でもあいつら、ヤクザよ」
「う〜ん、でも僕は鷹耶さんがヤクザしてるところは見たことないし」
「あの凶悪ズラ。どこから見てもあいつはヤクザでしょう。あんたみたいなかわいいまっとうな人間が関わっていいことなんてなにもないのよ」
「そうかなあ、鷹兄かっこいいけどな〜」
「騙されてんのよ、あんた人がいいから」
「はいはい、なるべく自分からは関わらないようにするから」
それでもまだ怒り狂う倫子の話を聞き流しやっとの事で電話を切った。
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