眠り猫
礼儀作法に正座。ただ座るにしろ作法があるなんて知らなかった。

「お茶も覚えてもらいますからね」




・・・お茶ってあの緑色の濁った奴ですか。なんか苦そう。次々と覚えなければならな
いことがやってきて、今一番つらいのは正座だけどね。
これから2ヶ月かけて、このお芝居に磨きを掛けることになった。



修お爺ちゃんに呼ばれていた呉服屋さんが反物をいっぱい広げて「どれになさいますかお嬢様」と話しかけてきた時は、やっぱり女の子にしか見えないみたいで、全く疑っていないことがショックだった。恥ずかしがりやと言うことで採寸は美也さんとあゆさんがやってくれた。

毎週本家に行くことは出来ないから、あゆさんが僕のアパートの近くにマンションを借りて、そこでお茶を週に2回習うことになった。
帰りの車の中で脱力する僕は「せめて男のまま紹介してくれればよかったのに」と愚痴をこぼすと、九鬼さんが「それの方が問題です」と答えた。



「どうしてですか?」
「静さんを海藤家に連なる人間として、表に出すわけにはいかないからです」



東雲会の中枢をになう海藤の人間は、組織の重鎮として常に狙われている。幼い頃よりその身を危険にさらしながら生き、特に男は自分の身の処し方まで叩き込まれている。そんな中に海藤とは血のつながりも無い静を投げ込んだらどうなることか。
東雲会の会長が孫のようにかわいがる静は利用価値が高い。調べ上げれば鷹耶が手元においていることもおのずと知れ渡るだろう。堅気の静にこの世界のしがらみなど分かりはしない。好奇の目にさらされ傷つき心を痛め、派閥争いや抗争に巻き込まれれば命を落とすことにもなりかねない。だから朝川静自身を人前に出すわけにはいかなかった。




「次に会うときには、この着物を着たお前に似合う名前をつけてやろう」

修お爺ちゃんはそう言った。



“静”じゃなくて、着物を着たときの女の子の名前。
朝川静じゃなくて、“偽りの静”なら見せびらかしてもなんの支障も無い。しかもこの状況を楽しんでいるようにさえ思える。

「ああ・・・なんか、いろいろ考えると・・・胃が痛い」
「本当にすいません」
「いえ、結局受けたのは僕だから」

引き受けたからにはちゃんとやろう。失敗はできないもんね。修お爺ちゃんに恥はかかせられないし。力になってあげたいし。でも、まさかこんなお願いだったとは・・・




来たときと同じ場所で降ろしてもらい、電車に乗って家に帰る。
帰り際九鬼さんに食事に誘われたけど胃が痛くて断った。冷蔵庫のプリンを出して夕ご飯代わりに口にしてそのまま寝ようと思ったけど、体からお香のようなにおいがして気になったのでざっとシャワーを浴びた。その香りはきっと着物に焚き染めていたお香の香りだろう。
時計はまだ20時過ぎだったが、落ちてくるまぶたをこれ以上開けている力はすでに静にはなかった。連続7日間の登校。今朝は早くから出かけショックな出来事もあった。もう静は寝るしかなかった。






ピピピピ・・・・



携帯の目覚まし音を何回消しただろう。スズーズ機能なんかにしてたっけ?

ピピピピピ・・・・・・プチッ!

目覚まし・・・しつこい。



ピンポーン

「な・・・・・誰だよ・・・もう・・」



目覚ましに玄関のドアフォン。こんな朝早くに何処のどいつだ!
半分目を閉じたまま、チェーンを外してドアを開けた。



「おはようございます。朝川様」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あああ===!!」

「お目覚めですね」



ドアの前には鷹耶の秘書のなんと言ったっけ・・・機械みたいな人。そうだ・・・今日は鷹兄と約束してたんだ。ということはすでに9時か!

「す、すいません、あ・・・あの」
「お待ちしてますから、ゆっくりご準備なさってください」

相変わらずの無表情で秘書はドアを閉める。それから僕は携帯を見るとそこには鷹兄からの着信履歴が3回・・・目覚ましかと思っていた音は鷹耶からの連絡だった。9時って言ったのに・・・しかも電話ぶち切った。怒られる!
あわてて顔を洗い着替え濡れた絆創膏を張り替えて、携帯とハンカチをポケットに突っ込み靴をひっかけてドアを開けると、さっきと同じ場所に秘書さんは居た。

「では、朝川様・・」
「あの・・・」
「はい」

この人は苦手なんだけど以前から気になっていたことを言っておかないと・・・

「その、様とかつけるのやめてください」
「なぜですか。朝川様?」
「だって・・・僕。偉い人とかじゃないし」
「社長がお連れになっている方の敬称です。朝川様と呼ばせていただきます」
「朝川君とか・・・」
「・・・・そんなに嫌なんですか」

困った顔で首を縦に振り見返すと、秘書さんの表情が動いた。なんとあの無表情な人が笑みを浮かべたのだ。


この人って、笑うと・・・・・・・・すごくきれい。こんなきれいな顔で笑う男の人始めて見た。ジーと見つめて動かない僕に、にっこり笑う秘書さんは答えた。


「そうですか。では、分かりました。社長の許可が出たらそう呼ばせていただきますよ」
「あ・・・はい・・」
「どうかしましたか?」
「笑った方が」
「はい?」

「笑った方がいいと思います・・・」

瀬名は驚いた。もちろん表情には出さなかったが。
西脇にふざけて顔の表情のことを指摘されたことはあったが、自分に面と向かってそんなことを言う人物は今までいなかった。

「そうですか。では極力そうするように心がけましょう」

微笑する瀬名の顔を見ながら、静は苦手だった瀬名との距離が少し縮んだような気がした。



車に乗ると「相変わらず寝ぼすけだな」と言われたきり、それ以上はしかられなかったのでホッとした。20分も待たせたのにお咎めなしなのが少し気味が悪いけど。今日は鷹耶の運転する車に乗った。その後ろを2台の車が一定の距離を置いて付いてくる。朝ごはんを食べていないので何か食べることにし、それまで2学期の学校生活のことや体育祭のことを話していたけど、だんだんまぶたが重くなってきて、

「静?」

助手席のシートに体を深く沈めた静はいつの間にか眠ってしまっていた。寝坊した挙句、起きてからまだ30分しか経っていないのにまた眠ってしまう静。昨日はゆっくりすると言っていたはずだが。昨日だけでは疲れが取れなかったのだろうか。

スースーと小さな寝息を立て始めたあどけない静の顔を横目で見ながら、鷹耶はしずかに車を走らせた。





「んん・・・」

「あとでいくらでも寝かせてやるから今だけ起きろ」

「ここ・・・どこ・・・」

コンクリート張りの薄暗い場所はたぶん地下の駐車場なのだろう。車から降りてエレベーターで上の階へ上がると、広いエントランスはどこかのホテルだった。フロントで鍵を受け取る鷹耶を見て部屋を取ったことを知り、日帰りだよね・・・と明日は学校があるから少し心配になった。


レストランで僕だけ遅い朝食を食べ、鷹兄はコーヒーを飲んだ。そして部屋に入るとパジャマを渡され着替えろと言われて頭の仲に?マークが浮かぶ。なんで昼間から寝るの?

「眠たいんだろう。3時に起こすからそれまで少し休め。そのあとドライブだ」

あんまり寝てばかりの僕を心配して、休ませるために急遽部屋を取ってくれたことを知った。

「ごめんね。鷹・・鷹耶さん」
「お前が元気になればそれでいい」
「鷹耶さんはどうするの?」
「俺はいろいろやることがある」

ポンポンと頭を撫でられ、早く寝ろと寝室のドアを開けてくれた。着替えてベッドに横になると情けないことにすぐに眠気が訪れる。リビングで話し声が聞こえる。誰か来たのかな・・・せっかくのお休みなのにごめんね鷹兄。今度は寝・・・・ない・・・か・・・・・ら・・・・・・



それから鷹耶がおこしに来るまで、静は猫のように丸まって気持ちよく眠った。

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