ーYourselfー
第28話『心境の変わり目』
ー5/10(日) 午後ー
ピピピピッ
巌戸台分寮のとある一室で、携帯が発信を受けて声を上げ、頻りにその小さな体を震わせた。まるで持ち主に、太陽が南中を過ぎ去った時間まで寝るなと癇癪を起こしているかの様に。
ピピピピッ
二度目の鳴き声。携帯はバイブによる僅かな移動により、布地域から外れてベッドのヘッドスペースの木材と体を擦り合わせ始めた。音がより一層、耳障りなものになる。
だがしかし、主は指先を微動だにしない。
ピピピピッ
三度目の正直とはよく言われたものだが、この主に格言やら当たり前は通用せず、今もなお彼は、誰にも相手にされずとも行動を続けるのみであった。
発信が途切れるか、主が覚醒して何らかのボタンに触れるまでは。
ピピピピッ
四度目。サワッ、と、漸く布団を纏った物体────基、彼の主が動いた。だがまだ夢の世界に片足を突っ込んだままの様で、そこから大きな動きは見受けられず、ものの数秒で、再び静止してしまった。どうやら寝返りを打っただけらしい。
ピピピピッ
遂に五度目のコール。よくも気付かずに夢の世界に浸れるものである。一部の人間は呆れを通り越して尊ぶ者まで現れるかもしれない……そんなレベルだ。しかし、眠り続ける者も問題であるが、コールし続ける相手側もまた、忍耐があるという者だ。それ程大した用ではないのか、寧ろ大事な内容だからこそ、今でないと困るのか。その真相は、受話ボタンを押してみるまで解り得ない。
ピピピピッ
とうとう六度目のコール音が流れた。このくらいになれば、そろそろ諦め始める人も出てくる回数である。事態は全く動きが見られない。発信者が諦めるのが先か、それとも主が覚醒するのが先か…………と思われた矢先、漸く動いた。
ピピピピッ
七度目のコールで、布団を纏った物体が再び動き始めた。それは先程よりも規模が大きい。ムクムクと動くと、やがて隙間から腕がそろそろと伸びてきた。白く無駄な筋肉が付いていない細目の腕は、主がまるで女性だと連想させられそうになるのだが、残念ながらこれは男性のものである。日本代表の草食系男子と言われても否定は出来ない。
伸びた手は手探り無しで一発で震える彼を手に取ると、布団の中まで引き摺り入れた。やがて、カチャ、と開かれる音がし(ガラケーだからである)、コール音が止んだ。
『…………もしもし』
主が夢から覚醒して間もない声で話し始めるのに、最初のコールが始まって実に10回は過ぎていた。
【こんにちは、エリザベスでございます。
…いえ……貴方の場合、"おはようございます"と申し上げる方が宜しいのでしょうか?】
『…………どちらでも』
スピーカーの向こうから聞こえたのは、品のある落ち着いた女性の声であった。名を「エリザベス」。彼が通うベルベットルームの住民であり、彼専属の使用人である。
【タルタロスの奥から音が聞こえます。どうやら、閉ざされていた道が切り開かれ、更に奥へ進めるようになったようでございます】
『……"タルタロス"………"奥"………』
【まだ寝惚けていらっしゃいますか】
彼はまだ覚醒して間もない頭で、彼女が発した言葉の意味を1つずつ考えていった。そして、あぁ、迷宮の中で階段の手前が通行止めになっていた例のヤツか、と思い出す。
確かにベルベットルームはエントランスにあったが、そんな16階も上の音が聞こえるものなのであろうか。
と言う考えまで頭は働かなかった。
(……教えてくれるのは有り難いけど…何で僕のケー番を知ってるんだ…?)
考えることは、いつも本題から反れた事柄ばかりである。
【それともう1つ……………すみません、少々失礼を】
『?』
【テオ、そこは今マーガレットが使用中です。入室はお控えなさい】
携帯のスピーカー越しに聞こえたエリザベスの声は、距離を置かれたものの普段よりトゲがある様だった。どうやら彼女と同室にいる"テオ"と言う人物に声を投げ掛けているらしい。それは、怒っている様な、決してそうではない様な。どちらにせよ、いつも秋菜が聞いてきた上品な声ではなかった。口調だけは変わらないのだが。
【しかし姉上、お客人が……】
"テオ"と思われる人物の、彼女より更にか細く(距離の関係上であろう)、困惑した、しかし確りとした声が秋菜の耳に届く。どうやら相手は男性らしい。彼もベルベットルームの住人なのか、口調は随分と上品で、秋菜たちの世界で言うホテルマンを思わせた。
【そう、それは一刻も早く案内して差し上げなさい。しかしマーガレットのことです、後で何らかの覚悟はなさい】
【そんな、私にどうしろと!】
【ご自分でお考えなさい】
【しかし姉上……!】
【テオ、私の言うことは?】
【……ぜ、絶対でございます】
【テオ、お客人を待たせるでない】
【これは主、失礼致しました!ただいまそちらへ参ります!】
一先ず一件落着したのか、2人の会話は途絶える。最後彼に話し掛けた老人らしき声をした主と呼ばれた者は、恐らくイゴールなのだろう。
しかし、知りたくなかった事実を垣間見てしまった、と秋菜は携帯越しに顔を青くする。会話は短かったとは言え、聞こえてきたテオと言う青年の声だけで、秋菜の頭に思い描かれた彼の仮の姿が、徐々に元気を失い恐怖を増した様子を安易に想像出来た。ただの姉弟関係ではない、その間には力関係も読み取れる。
【失礼致しました。秋菜様、私の声が聞こえますか?】
『……聞こえる』
【私の可愛い弟が大変な粗相を働き、申し訳御座いません。後程、きちんとしつけを致しますので、どうかご勘弁を…】
『いい、そんなのいらないから。気にしてないし。
(と言うか、そんなワクワクした声で言わないでくれ)』
【そうですか? 貴方はお優しいのですね。では今回は、貴方に免じて無しと言う事で】
(声が萎んだ………そんなに弟を苛めたかったのか)
何とも解りやすい声色の変化であった。ベルベットルームで彼女と秋菜が言葉を交わすことは幾度とあるが、ここまで明暗な気持ちの移行はなかった。顔が見えなくとも、受話器の向こうの彼女は、肩や眉尻を下げていることだろう。
しかし彼がそう思うのも束の間、エリザベスのいつもの声色が携帯を通じ発せられる。
【ところで秋菜様、この度私からの"依頼"と言うものが出来ました】
『"依頼"?』
【あの狭い部屋にずっと、と言うのも、正直退屈………コホンッ、失礼、心にもないことを』
(絶対本音だ…)
『貴方の力が如何なものか、私、未だに図りかねております。よって、貴方の世界で身近にある物やシャドウが落としていく物を、私に見せて頂きたいのです。勿論、それ相応の報酬は用意させて頂きます】
『報酬か……』
【詳細は、お部屋へお越しになった際、私にお申し付け下さい】
『無理難題は、僕には無理だ』
【今は難易度の高いものは用意致しておりませんし、貴方のレベルに合わせて依頼内容を変えて参ります。貴殿方も、ただシャドウを倒すだけではマンネリ化なさいますでしょう?】
『…よく"マンネリ"って言葉を知ってるな』
【テオはお客人に、よくそちらの世界へ連れ出して頂いている様でして、話を聴かされる際に覚えました。全くあの子は……私よりも新米な立場でありながら………】
彼女の声に憎しみの色が滲み出す。墓穴を掘ってしまったかと、秋菜はまだ正体をよく知らぬテオに、心の中で謝罪を述べた。
どうも彼女の豹変ぶりを見ると、秋菜たちが住む世界へ行くと言う行動は、彼女らベルベットルームの住民からすると、とても貴重な経験の様だ。
『……そんなに此方の世界に来たいのか?』
【それは勿論、こんな狭い部屋と比べ物にならない広い世界に、大変興味があります】
『簡単で良いなら、案内くらい出来るけど』
【………それは、私をこの部屋から連れ出して下さる、と言う事で宜しいのですか?】
『一時的に、だけど。もしかしたら数えるくらいかも知れない。遠出も難しい。それでも────』
【構いません。そちらへ行けるのでしたら何処へだって僅かであっても】
"それでもいいなら"と続けようとした彼の言葉は、彼女の興奮した返答に掻き消された。言葉にならない彼女の昂った声が秋菜の鼓膜を刺したので、携帯を一旦離す。まさかここまで喜ぶとは。予想の斜め右上を行く反応っぷりだ。いつもの静かな立ち振舞いをしている彼女からは想像がつかない。
漸く落ち着いたのは、離してから何分経ったことであろうか。
【……大変お見苦しい姿をお見せ致しました。後でテオにキツく…】
『ソイツは関係ないだろ』
【そうでごさいますね、失礼致しました。
時に秋菜様……"コミュニティ"は行っておいででございましょうか?】
『"コミュニティ"?』
聞き覚えない言葉だ、秋菜は一瞬そう思うが、ふと、初めてタルタロスを訪れた後に見た"夢"での出来事が思い出される。
(確か……そう、"コミュニティの力は、ペルソナの力"………みたいなニュアンスだった気がする様な違った様な…)
イマイチ覚醒していない頭では、記憶も不確かな物に極めて近いものだ。
【ペルソナとは、心の力で御座います。多くの方々と絆────"コミュニティ"を築かれる事で、より強くなられるものです。しかし、今の貴方に見える"コミュニティ"はごく僅か。シャドウは次第に強さを増して行くのに対し、今の貴方のままでは、上限が見える位置に御座います。差し支えが無ければ、行動範囲を広くされると宜しいかと】
『平たく言えば……"友達を作れ"、と』
【簡単に言えばそうで御座いますね】
『簡単に言ってくれるな、そんな難易度の高いことを…』
彼にとって、友人作りとは最難関────難易度の星5つレベルの激ムズコースなのである。そして一番避けて通っている事柄でもある。
しかしそれは、"自分のため"である。
(僕は、何の為にS.E.E.S.に入ったんだ?
私情を除けばその一番の理由は、明を守る為だ)
だが、綺麗事を言うのも、また簡単である。実際、秋菜は昨日、弟をシャドウの罠へ野放しにし、危うく失い掛けた。最後の大型シャドウに至っても彼に力がもっとあれば、彼処まで危険な状態に陥らなかった可能性がある。
昨日は幸運だった。じゃあ、もし次回があってしまったら?それが幸運から見放されていたら?シャドウだって強さは一定である筈がない。もしその次のシャドウが、昨日より更に強敵であれば?
今は、単なるたらればに過ぎないかも知れない。が、これらが実際に起きてしまえば。それはいつか解らない。だが、明日かも知れなければ、今日の今、この後直ぐかも知れない。
そうなれば、勿論相手に太刀打ちが出来ず、全員戦闘不能。守りたい者も守れず、己の目的も果たせず────。
(そんなことになってしまうくらいなら、何だってやってやる。
僕は────強くならなきゃいけない)
コホン、と携帯の向こうより聞こえた誰かの咳で我に返る秋菜。した。嗄れたもので、到底エリザベスとは思えないものであった。
【…少々長電話をしてしまったようで御座います。主が鼻を真っ赤にしてお怒りなので、そろそろ失礼致します】
『解った。此方を案内したいときはどうしたらいい?』
【貴方の都合の良い時に、私に声を掛けて下さい。では、また何かありましたらお電話させて頂きます】
プツッ
ツー ツー ツー ────
エリザベスはマニュアル本に書かれていそうな言葉をツラツラ述べると、彼の返答を聞く前に電話を切った。携帯からは、ただプログラミングされた機械音が聞こえるだけだ。ふぅ、と息を吐き、電源ボタンを押して此方も通話を終了させた。画面には、【通話時間:10分27秒】と言うアナログ文字。もうそんなに時間が経っていたか。
ここで秋菜は、漸く布団から体を起こした。昨日のシャドウとの戦闘でかなり無理をした所為か、普段の探索の翌日より体が重く感じた。テレビを付けると、モノレールのオーバーランがニュースで報道されていたが、同時刻の他局のニュース番組で触れられていない事から察するに、どうやら大きく取り上げられてはいない様だ。
それから秋菜は顔を洗い、身支度を済ませてからラウンジへ下りた。順平が食べているカップラーメンの匂いが、彼の胃袋を起こした。
『よ、秋菜。えらくゆっくりだったな』
『おはよう、木ノ葉君。昨日の、あまり大事になってないみたい』
『秋菜兄、おはよー。今から何か作る?俺もさっき起きてきたトコでさー』
『おはよう、秋菜。体調は大丈夫か?疲れているなら、ゆっくり休んでくれ』
ラウンジに顔を出すと、ソファーに座っていた4人が次々彼に声を掛けた。昨日の今日だと言うのに何とも元気な様………に見えたのは一瞬だった。声もイマイチ低い。其々顔をちゃんと見ると、疲労が溜まっていると容易に伺えた。勿論、美鶴は他3人に比べるとマシではあるが。
おはよう、とたどたどしく秋菜は返すと、順平の隣でゲームをしていた明に、彼の直ぐ後ろの背凭れに肘を付きながら話し掛ける。
『明、今から時間ある?』
『あるよー。どっか行く?』
『そろそろ街の散策に。色々変わっただろうから』
『オッケー、行く!』
『秋菜、俺も俺も!』
啜ろうとしたラーメンをカップに戻し、子供っぽく手を挙げて主張する順平。秋菜は直ぐに返答しようとしたが、言葉を詰まらせ、いつものポーカーフェイスが僅かに崩れる(明しか気付かなかった変化ではあるが)。やがて音楽プレイヤーを無意識に指で弄び始め、順平にソッポを向く。
("コミュニティ"、か……)
『どうした?秋菜』
『…昨日、相当無茶したんだ。今日はゆっくり寮で休め、………………………順平』
『……ぇ…────』
『た、岳羽もだぞ。
…明、行こう』
『お、おぉ、行こっか!』
秋菜流の、友情への第一歩の第一関門である"名前呼び"が、静かに突破された(流石に異性は無理だった様だが)。
一体どんな風の吹き回しか、明は急な兄の変化に驚きを隠せなかったが、少なくとも良い方向に進んでいるんだと思い、小さく逞しいその背中を追う足取りは軽かった。
(行動範囲を広く……、外国人の道案内……)
『…友人作りは、面倒そうだ』
それでも、守る為なら。
そう思うだけで、頑なに拒んでいた事ですら躊躇なくこなそうと行動を起こし始めた、満月の翌日の午後であった。
To be continued....
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