ーYourselfー
第25話『強がりのコメディアン』
────バンッ!
身を割かれる覚悟をして目をギュッと閉じた順平は、代わりに鼓膜が破れそうな弾けた音を耳が拾い、咄嗟にハッと目を開けた。何が起きたのかと忙しく首を動かすと、ふと上を見た所に、振り下ろされる予定だったシャドウの触手にくっきりと穴が空いていた。その周りは少し焼け焦げている。
『じゅ〜んぺ〜い? 君は何をしてるのかな? コメディアンにでもなったつもり?』
『くぁっ!?
……って、木乃…!』
くんっと誰かに帽子のベルトを下に引っ張られ、順平の首が後ろに反る。すると彼の目と鼻の先に、笑ってるのか、怒ってるのか、楽しんでいるのか、それとも睨んでいるのか────上手く感情を読み取れない表情をした木乃の顔があった。彼女の瞳に映る順平の姿が、彼自身にはっきり見える。サラッ……と、彼女の柔らかい黒髪が彼の頬や額を撫でる。実年齢より幼い印象であるとは言え元々整った顔立ちをしている木乃には、どんな表情でどの様な状況下であろうと、思わず見とれてしまう美しさとオーラがあった。
そんな順平を他所に、彼女は淡々と口だけを働かせる。そこから発せられる言葉と変わらない表情との温度差すら、また美しかった。
『仮にコメディアンだとしてもナンセンスだねー。
今時のリアクション芸人でも、こんな訳解んないヤツに土下座したり、殺っちゃって下さいっ!って我が身を放り出したりしないし、第一そんな芸じゃ、誰も笑ってくれないよ?』
それだけ言うと、木乃は順平のシャツを掴んで後ろに放った。軽く尻餅を着いた彼の視界のど真ん中には、シャドウ相手に凛と立つ木乃の姿が映る。その立ち姿や、中腰になって銃を構える姿勢さえも、また然り。満月が木乃の艶やかな黒髪を照らすと、それは怪しく光った。まるで影時間に元来あるべき存在の様に溶け込んでいる。いつもの緊張感のない彼女とは、全くの別人だ。
シュッ、とティアラが別の触手を木乃に向けて伸ばす。それはかなり鋭利なものになっていた。その攻撃を木乃は無駄に大きく動くこともなく簡単に避けると、触手を掴んで本体を自分の体に引き寄せた。と、銃口がヤツの2つの目(と思われる物)の間にグリッと押し込まれる。
『───さようなら』
パンッ!
銃声が響いたのと同時に、シャドウの体が、弾が食い込んだ反動で跳ねた。木乃がそれを宙に放ると、もう一発、二発と、薬莢から弾き出された鉛玉はシャドウを貫通し、ヤツは床に落ちる前に黒い靄となって消滅した。
ふぅ、と煙が浮かぶ銃口に息を吹き掛ける彼女の横顔は、順平が見たこともない表情だった。陰りがあり、何を考えているのか解らない。今彼の目の前にいる彼女は、本当にあの秋原木乃なのだろうか。
順平はその美しいものに触れたくて、確かめたくて、困惑したままではあったが手を伸ばし、恐る恐る話し掛けようとした。
しかし、
『よぉし、此方は終わったよ! 秋菜にゆかり、明ちゃんの援護はヨロ!』
『ヨロって…、調子良いわ……ね!』
深呼吸をした直後、くるっと体の向きを変えた彼女からは、いつも通りの軽さしか残っていなかった。そしてその天使の羽根の様な声は車両の入り口に向かう。一瞬で力が抜けた順平だった。宙に伸ばしていた腕も共に。そうして彼が座り込んでいる間も、木乃は他のシャドウの殲滅に当たった。その様子を見て順平は慌てて続こうとしたが、肝心な足にも、さっきまで動いていた腕にも……身体中何処にも力が入らず、立ち上がるのすら困難に思えた。歯をギリッと鳴らし、ただただその場を睨んだ。
援護を託された秋菜とゆかりは、車両に入るとすぐに攻撃態勢に入った。ゆかりはキリキリと弦を引き、秋菜は明が相手をしていたシャドウに斬りかかる。彼の剣先と彼女が放った矢が同時に同じシャドウに命中し、消滅。それから3人が同時にそれぞれのペルソナを喚ぶと、これもまた1体、2体と消えていく。あっという間に、残りは2体だ。
(俺たち2人が懸命に戦ってたのを、あっという間に2体にまで…………やっぱ仲間がいると、こんなにも……)
明はそう思ったところで順平に振り返る。呆然と彼らの戦闘を、肩で大きく呼吸しながら見ていた。それも、悔しそうな顔をしながら。彼は一体何を思いながら、この戦いを見ているのだろうか。
【シャドウ反応、消滅だ。よくやってくれた。全員合流したな】
ふと聞こえた通信機からの声で、明は我に返る。どうやら戦闘はいつの間にか終わっていたようだ。仲間とは、なんて心強いものだろうか。明は改めて強く感じた。
『明、無理をさせて……ごめん』
肩の荷が降りた気がして安堵で大きく息を吐くと、秋菜が座り込んでしまっている弟に手を差し出た。僅かに眉尻が下がっている。視覚的に表情の違いが解るのは、今の彼に余裕がない証拠だ。こんなにも心配させてしまっていたのか、そう思うと何だか申し訳なくて、でも最終的に行かせたのは秋菜だから、兄弟は互いにどうしたらいいか解らなくなり、視線が合った瞬間、フッと少し吹き出す。そして差し出された手を掴み、明は体を引き上げて貰った。
『俺は案外大丈夫。そんな召喚してねーし。それより、問題はあっち』
そう言って呆れた様子で見る明の視線の先には、まだ立てずに座ったまま木乃からの説教を喰らっている順平の姿が。これにはゆかりも無意識に溜め息が出てしまった。
『はぁ……もー言わんこっちゃない。1人で勝手するからよ?
で、大丈夫なの?』
『ハァ………ったりめぇだろ…?』
『んなワケねーだろ、まだ立てねークセに』
『肩で息してる。無理をしない方が…』
『してねーつってんだろ!しつけーな!』
『ちょっ、順平!木ノ葉君は心配して言ってくれてるんだよ!』
まだ苛立ちを抑えられず、秋菜に声を荒げた順平に、[ディア]をしながらゆかりが注意する。恐らく、ペルソナを喚び続けることが出来ない自分の体力のなさや、仲間無しではシャドウに打ち勝てない己の無力さなどを受け入れられず、彼に八つ当たりしているのだろう。
しかし1人で────況してや勢力の増す満月の日にあれだけのシャドウの相手をするなど、ペルソナ能力に目覚めて間もない人間に出来る訳ないのであるが、そう冷静に判断が出来るのであれば、八つ当たりなんて子供染みた真似などしない。人より特別である自分は、誰よりも特別でありたい。頂点でありたい。彼の負けず嫌いがよく表れていた。そんな性格だから、今ゆかりに対しても言葉を返したいところなのだが、しかし、そうする気力すら正直残っていない順平は、何も言い返さず、黙ってヨロヨロと立ち上がる。その様子は強い口調とは裏腹に、今にも崩れてしまいそうだ。立つとまた一段と調子が悪い様だ、軽く前屈みになって膝に手を着き、今にも倒れそうな程、体はフラフラしている。
【召喚器による疲労だな。
"ペルソナ"の召喚は精神を削る。召喚器からは弾は出ないが、自らの頭に銃を当てて引き金を引くという無意識上での恐怖や、それに立ち向かおうとする意志が、この影時間では明確な形となって現れる。無茶はよせ。あまり使い過ぎるな】
『別に無茶なんて……つぅか、1人でも倒せたっつの…』
『っ、順平アンタ───!』
『最後に身を放り出したヤツが何偉そうなこと言ってんだよ!!』
この状況で誰がどう見ても明らかな様子でまだ口が減らない順平に、ゆかりの言葉に被せて明が一歩出た。そして鉛色をした防具を取った手で胸ぐらを掴み、順平をグッと無理矢理引き上げて立たせる。明の目の前に来た彼の顔は、睨みを効かせているもののそれに凄みはなく、力もない。見て読み取れたのは疲労ばかりだ。離せよと呟きながら明の手を解こうとする、その抗いからでさえも。
『あ、明ちゃんも落ち着……』
『1人でやれただぁ? 思い上がんなよ……木乃が来なきゃ、秋菜兄やゆかりッチがいなきゃ、お前も俺も確実に死んでたんだぞ。お前がそもそも突っ走らなきゃそんな事態にはならなかった。そんな事も解んねぇのか?』
『んだと…?』
『大丈夫だ? 無理してない? バカかお前、バレねーと思ってんの? ふざけんな、見てすぐ解るわ!
何1人で突っ走ってんだよ! 何1人でやろうとしてんだよ!! ここには他に4人も仲間がいんだ、力合わせりゃあんなヤツらもさっさと片付くんだよ!
もっと俺らを頼れ! 1人じゃねーんだから!!』
話している中で徐々にシャツを掴む手に力を込めていく明。彼に言われたことは確かにごもっともなことばかりで、だからこそ認めたくなくて、黙らせようと順平は彼の手首を強く握る。明は一瞬顔を顰めたが、離そうとしなかった。
『……んだよ…………何をえらそーに…!』
『落ち着きなよ順平っ、明ちゃんも…!』
『いい加減にしろ、時間がない』
更にお互いの距離を詰め、今にも殴り合いが勃発しそうな2人を、痺れを切らした秋菜は、珍しく少し大きめな声で制止を掛け、両者の肩を掴んで引き剥がした。彼より背の高い2人は上から彼をギッと睨み、言い返そうと口を開いた。が、その続きの行動を秋菜は許さず、身に食い込むくらいの力を自分の手に込めた。順平はそんな態度も気に食わない様子だったが、明はハッと我に返り、順平のシャツを放して一歩距離を空けた。
(そーだよ、こんな事してる場合じゃ……つか、時間あとどれくらい…!)
『明、気持ちは解るけど後だ。タイムリミットがある』
『な、何だよ、それ……』
『あと4分くらいで元凶を殺んないと、一つ先の列車と衝突しちゃうんだって!』
『「だって」って、何暢気に…』
『はぁ!? んだよそれ! 何のアトラクションだよ!』
『こんな生死をかけたドキドキアトラクションなんて、実際ないけどねー♪ あっても良いけど』
『あってたまるか!』
【何をしている!? 時間がない、走れ!】
『とにかく行くよ!』
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揺るぎなく走り続ける列車内で、一行は通り道を塞ぐシャドウを次々と倒しながら進んでいた。3人はまだ精神的体力はなかなか残っていたものの、先程も喧嘩して険悪なムードを装う2人の体力低下は、予想より顕著に表れていた。
『…明、大丈夫か?』
『俺はまだヘーキ。それより順平の方が…』
『…ハァッ、…ただのガ…ガス欠だ……』
キシドーブレードを杖代わりにしゃがみ込んでいる順平に、秋菜はそっと四谷さいだぁを差し出すと、順平はそれを奪うように取り、何も言わずに一気に飲み干した。これにもかじりつかなければ焦るところだったが、どうやらそこまで危険な状態ではないらしいので、秋菜は取り敢えず安堵する。
この列車に侵入してから結構な数の車両を突き抜けて来た筈だ。これ以上足枷の戦闘を増やしたくない。そろそろ元凶とご対面したいところだ。そう思う秋菜の心を読んだかの様に、美鶴から次の車両に強い反応があると言う旨が5人に伝えられた。
遂に、元凶との戦闘だ。
【あと3分52秒。時間にも気を付けてくれ】
『解りました。
…みんな、いいか?』
『任せて!』
『OK!』
『やってみせるぜ!』
『お、おぅ…』
全員の前向きな返答に力強く頷き返すと、彼らに背を向けて秋菜は剣を改めて握り直し、大きく深呼吸。そして次の車両に繋がる最後の戸を、少し震える手で勢いよく開け───ようとした。
ぱきっ
なかなかの力で開けた筈だったが、入口は殆ど閉ざされたままで動かない。代わりにドアの開閉に似付かない音が。
(ひび割れの…音……? 何で…)
引き戸の取手を掴んだままその場に立ち尽くしてしまっていると、ふわりと秋菜の体をヒヤッとした空気が包んだ。
『寒っ……』
『『寒……?』』
『…何がどうなって……』
ガラガラッ
驚いて取手に両手を掛けて勢いよく開けると、そこは凍てついた氷河の世界が広がっていた。吊革や座席など、あらゆるものが凍っている。吐く息も、都心の5月だと言うのに、白い。深呼吸をすれば、喉を痛めてしまいそうだ。
寒がっている彼らの目の前には、操縦席の入り口を塞ぐように、姿形が女性の姿をしたシャドウが座っていた。目元は仮面で隠され、太くて黒い髪がウニョウニョと曲線を描きながら蠢いている。何とも浮世離れした人型だ。
(不気味……と言うか、かなりでかい。フロアシャドウもでかかったけど、コイツはそれとも比にならない………)
気配も、佇まいも威厳も、これまで戦ったどんなシャドウよりも強く、この列車を動かしている元凶シャドウと言うのも頷けた。恐らくいつもの流れで討伐終了には持っていけない。気を引き締めなければ、と、秋菜は手に汗を滲ませる。
『…ウッへ、…凄ぇ事になってんな…。コイツが本体だよな?』
『先はもう無いし、間違いないよ!』
如何に、今から相手をするシャドウが強敵であるかを察知した順平とゆかりは、それぞれ持つ武器を更にしっかり構える。秋菜もその様子を見てもう一度剣の柄を握り直し、呼吸を一つ。
【ヤツの名は〔プリーステス〕。アルカナは女教皇。氷、光、闇属性のワザは効かない。気を付けてくれ。
っ、来るぞ!!】
『『!!』』
目の前のシャドウが大きく咆哮した。そして体勢を低くし、仮面の奥にある漆黒の瞳が秋菜を捉える。
───ドクンッ…
『!? っ、…グッ……!』
『秋菜兄!? な、ど、どうしたんだ!?』
『ハァ、……大丈夫だ、何でもない。
(今のって……)』
一瞬、秋菜の心臓が大きく跳ね、顔を顰めた。左胸辺りを抑えたからどうしたものかと、近くにいた明が駆け付けようとしたが、その時には既に元通りのリーダーの姿をしていた。
《ガアアァァァ…────!》
シャドウが再び咆哮する。と、シュッ、とヤツの触手の何本かが秋菜へ集中的に伸びた。不意を突かれ、各々はリーダーの名前を叫ぼうとする。が、声は出なかった。代わりに目を見開かせたまま、コクッと息を飲む。
そこには既にペルソナを召喚し、透き通った蒼い破片をまとった秋菜が立っていた。その姿は、今にも消えてしまいそうな程、儚く、脆く見えた。その彼の前に浮かんでいるのは、赤い勾玉の形をした《アラミタマ》────彼の新しいペルソナだ。それは体を震わせると、目前まで詰めてきていた触手を一瞬で焼き払った。ヤツはその焼け焦げた触手を引き戻す。ヤツの能力だろうか、一瞬で触手は元の状態に戻ってしまった。
が、4人は気付いていた。今のペルソナの攻撃は、前までの《オルフェウス》と同じ技だが、威力が格別であったことに。
『時間内に片付けるぞ』
彼はいつもの涼しい顔でそれだけ言うと、剣を鞘から引き抜き、敵に向かって駆け出した。
To be continued....
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