[携帯モード] [URL送信]

BL小説
0になるまで D

かたん、とドアの開く音がした。

「恵司、今日は学校に休むって連絡入れておいたから、病院行きましょう」
「…ん」

布団の中で胸が疼くのを、ただひたすら耐える夜が明けた。
もう薬一本が空になった。
一年ぶりに新しく薬を開けた。

「俺…」
「入院にはならないわよ、診察受けて薬貰いに行くだけ」
「そう…」
「でも体育の授業は少し考えないとね、昨日がたまたま調子悪かっただけならいいんだけど」

俺に体温計を渡した後、母は部屋から出て行こうとした。が、ドアの前で立ち止まった。

「秀文くんのこと、黙っててごめんなさいね」
「…いや」
「……じゃ、朝ごはん食べれそうなら起きてきてね」

返事を聞くこともなく、母はそのまま出ていった。
体温計を脇に挟むと、プラスチックのひやりとした冷たさが肌を刺激する。
しかしそれも夏が近づく今の季節、不快なものではなかった。


病院、昔はその単語を聞いただけで嫌な気分がした。
今も嫌いではないが、好きにはなれない。
でも、さっき母に病院に行くと告げられて、ホッとした。

治すのを諦めた病気。
秀文はその病気の進行を遅らせるために病院に行っている。

自分だけ治って、不公平な気がしたんだ。
一緒に元気になってまた会おうという約束が叶ったと思っていたんだ。
叶ったと思っていたから、自分だけ何も知らずに喜んでいたんだ。

ああ、俺にもまだ病気がある。

秀文と一緒だ。
不公平じゃないよな。

所詮自分の罪悪感を誤魔化すだけだというのに。
気付かないふりをして。






医者は難しい顔をした。
もうほとんど治っていたのに、倒れるほどの発作が起きれば誰だって頭を抱える。

「ストレスとかは無いかな?」
「ストレスがあったら病気が悪くなるんですか」

年配の医者が、眼鏡の奥の目尻に刻まれたしわをよりいっそう深くしてため息をついた。

「イライラとか、一般で使う意味のストレスではなくてね、心に不安があったり傷ついたり罪悪感があったり、そういうストレスのことでね、精神的に辛くなると身体にも影響する」
「罪悪感」
「心当たりがあるかい?楽になるなら話すといい」
「…いえ、じゃあストレスがなくなれば治りますか」
「ま、大概はね」

医者は終始表情を変えずに話をした。
手元のペンを動かし何かをカルテらしき紙に書いている。
医者は書きながら目線を手元から外さずに言った。

「とりあえず薬出しておくから、同じ吸引薬」
「はい」
「あとストレスだけど、無理しないでゆっくり考えて解決すればいいよ、病は気からって言うから、ストレスも楽に考えればいい」
「…はは、お医者さんが病は気からとか言っていいんすか」

若干口角を上げて訊ねると、医者はペンを止めて振り向いた。

「本当なんだよ、これは」

診察中初めて他の表情を見たが、どうにもほくそ笑んでいるようにしか見えなかった。






帰りの車中で、母は抑揚なく言った。

「やっぱり体育、考えた方がいいみたいね」
「一回授業の先生に相談してみる」
「うん」

会話はすぐに途切れた。
普段から長くは続かないが、今は喋っていないとさっきの医者の言葉が頭の中をこだまする。

「せっかく治ってきてたのに、また病院通うことになりそうだ、ごめん」
「あんたが謝ることなーいーの!もうっ」

母は左手をハンドルから離し、助手席にいる俺の頭を掴んで撫で回した。

「引っ越しと転校でバタバタして疲れでも出たのよ、気にしちゃかえって悪いわよ、すぐ治るわ」

優しい母の言葉に、小さくうんと答える。

でもね母さん。
俺もう分かってるんだ。
理由なんて最初から。







家に着くと、玄関の前に人影が見えた。
車中から誰だか確認でき、慌てて車を降りる。

「ひ…秀文っ!」
「恵司、やっぱ出かけてたんだ」

もう薄暗くなってきていると言うのに、秀文は帰らずずっと待っていたようだ。

「今日学校休んでただろ、昨日倒れたばかりだったから」
「あ…ごめん、心配かけたみたいで」
「病院行ってたのか」
「…また通うことになりそうだよ」

秀文はハッとした顔を俺に向けた。

「治ってたんじゃ…なかったのか?」
「疲れが出たのかもしれない、すぐに良くなると思う、秀文が気に病む必要は無いよ」
「そうか…それならいいんだ」

お互い言葉を選んでの会話。息が詰まりそうだ。

「体育しばらく見学だ、よろしくな!」
「ああ、でも早く良くなるといいな」

秀文は笑いながら言った。
そろそろ帰るよ、そう告げ足を帰路につかせようとしたとき。

「秀文くん?」

ちょうど車庫入れを済ませた母が駐車場から出てきた。

「あ、ご無沙汰してます、森山さん」
「大きくなったわねえ、一瞬分からなかったわ」
「挨拶が遅れてすみません…」
「いいのよそんなこと、家上がって行く?」
「いいえ、今日はもう失礼します」
「そう」
「それじゃあ」

歩いていく秀文の背中を、母はしばらく見ていた。

「…元気そうね」
「うん、どこが悪いのか分からないくらい」
「…先家に入ってるね」

擦れた声で母は告げると玄関へと入って行った。

本当に、どこが悪いのか分からない。
病気なんてはなから無いのだと言われたら信じてしまう。
いや、今でさえ、病気なんて無いものだと思い込んでいるのだ。

あと5〜6年の命。

それを知って気丈に振る舞う秀文を見て、辛くならないはずがない。


“無理しないでゆっくり考えて解決すればいい”

“気にしちゃかえって悪いわよ、すぐ治るわ”


ごめん、ごめん母さん。

医者のおじさん、解決するわけにいかないんだ。



だってこの罪悪感を残しておけば、秀文と同じでいられる。
病気でいられる。

これでいいんだ。


秀文と同じだ。



「ふ…っ、うっ…」

また、涙が目から溢れてきた。
でも今度の涙は、温度を感じるものだった。

「秀文…っ、ごめんよ…ごめん…」

手の甲で目を擦ると涙で濡れる。

「ごめん…俺だけ、治ったり、しないから…っ」

ここが田舎でよかった。
家の前の道でこんなに泣きじゃくっているのに、誰にも見られることは無い。

「お前が…治らない、なら…っ、俺もだから」



秀文。




-----

[*前へ]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!