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BL小説
0になるまで C

母が話し出すまで、俺は何も喋らないで黙っていた。
沈黙の重さが母の決心を物語っているようで、声を出すことはためらわれた。

「…秀文くんが退院した時のこと、覚えてる?」
「小5の春だ、退院することになったって、秀文から直接聞いた」
「そうね、秀文くんが退院するって自分のことのように喜んでいたものね恵司」

母は深呼吸を一つ、目を伏せてから吐き出すようにこう言った。

「秀文くんの退院は病気が治ったからじゃないのよ」
「……………は?」

病気が治ったわけじゃないのに、退院?普通、退院って言うのは病気が治ったり、良くなったりするからするもので…。
意味が分からない。
秀文の病気は、まだ治ってない、ってことなのか?

「母さん、意味わかんないよ」
「あんたには黙っていようって、先田さんと話したの、辛いだろうからって」
「秀文は治ってないの?」
「…そうよ」

辺りがグニャリと歪んだ気がした。
どうして、何で、秀文は、秀文は俺より早く治って、元気になって、それで…

「恵司…」
「頭冷やしてくる」

俺が治って退院したら、また会おうって約束、したんじゃないか。





気付いたら秀文の家の前に来ていた。
秀文、秀文に会いたい。
でも会ったら、何て言おう?
嘘つき?
辛かったな?
何で黙ってた?
傷つけるようなこと言ってないか?
どうしてどうしてどうして、どうして。
もうあの狭い白い建物から、二人で抜け出したんじゃなかったのか?

秀文、秀文、秀文。

息が苦しくなってきた。
発作だ。
そのまま飛び出してきたから、幸いにもカバンを持っている。
早く。薬。吸引器。カバンの中にあるのに。
出さなきゃ。出して使わなきゃ。
せっかく外の世界にいるのに、自分で助からなかったら。


また白い建物の中に。







カシュッ

聞き慣れた音が遠くでした。
何の音だったっけ。

ああそうだ、昔から使ってるじゃないか。
吸引器の音だ。

カシュッ

呼吸が楽になっていく。
俺はこの薬が無いと、死んでしまう、なんて小さな生き物なんだろう。なんて考え始める。

カシュッ

「恵司」

秀文の声だ。
俺を呼んでいる。

「恵司!」

どこからだ?すぐ近くから聞こえる。

「恵司しっかり!恵司!」

カシュッ

「…っは、あ、ひ…で、ふみ……」
「恵司ちゃんと呼吸整えて、それまで喋んな!」
「ゴホッ、…あ、あ、ひでふみ、俺…ッぐ」
「深呼吸して、ゆっくり」

カシュッ

言われた通り深呼吸を繰り返すと、自然と喘息が治まってきた。

意識を取り戻すのと同時に、今いる状況も少しずつわかってきた。
俺は秀文の家の前で倒れ、今は秀文に抱き抱えられていた。

「秀文、何でお前…」
「帰ってきたら門の前で恵司が倒れてたんだ、カバン探したら吸引器あったから、ごめん勝手に」
「いや…助かった…ごめんな、迷惑かけて」
「ううん、最近も発作起きるの?」
「頻繁には…無くなってた…あっても軽いので…倒れるまでのは、久しぶり」
「そっか」


その後しばらく、秀文は黙って俺の呼吸が整うのを、背中をさすりながら待っていてくれた。
そうしているうちに思い出す。昔病院での出来事。
俺がこうして倒れたら、いつも秀文は同じように薬を使って、俺の背中を撫でてくれたんだ。
病院は、悪い思い出ばかりじゃない。何で忘れていたんだろう。

「あ…もうだいぶ楽だ」
「大丈夫?」
「うん、ありがとう」
「よかったああ…」

秀文は肩の力が抜けたようで、深いため息をついた。

「びっくりするだろ!恵司が倒れてるなんて思いもしてないんだから」
「ごめん…何か今日は帰り遅かったんだな」
「ん?ああ、体育のレポート、提出しに行ったから」

はっとした。
自分がなぜここに来たのか、思い出したからだ。

「そうなのか、よかったな間に合って」
「恵司が手伝ってくれたからな、ウチ上がってけよ、このまま帰すのは心配だ」

秀文はスッと立ち上がり、俺に手を差し出した。

心配なんてしなくていいよ秀文。だから自分のことをちゃんと考えくれ。病気、治ってないなんて。
嘘だと言ってくれ。

そんな気持ちが頭の中をぐるぐる支配していた。
手を伸ばすと秀文が引っ張り上げてくれる。

なぜか泣きそうになった。






「横にならなくても大丈夫か?」

部屋に入るなり秀文は俺に聞いてきた。

「え?」
「昔は倒れたらしばらくはベッドから動いたら怒られてたじゃん、寝てなくて平気か?」

病院にいたのは小学5年のときまでだ。
そんな前にあったことを、秀文はどうでもいいようなことまで覚えていた。

「よく覚えてんね」
「喘息の発作が出たとき恵司を介抱したのは俺だぞ、覚えてるよ」
「うん、お世話になりました」

妙にかしこまって言ってみると、秀文は面白そうに吹き出した。
一緒に笑いたい。だけど。

「…恵司どうした?」

目の前で笑う友人が、まだ病気に侵されているという事実が辛くて。

「秀文」


笑えなかった。


「病気、まだあるのか」



少しの沈黙が流れた。


「…どうして?」
「退院したとき、まだ治ってなかったのに病院を出たって」
「…恵司」
「俺、てっきりお前が治ったのかと、思って」
「…恵司、俺」
「なんで…わけわからなくてっ…」

秀文が、俺の肩に手を置いた。

「顔上げて、恵司」

視線を上にやると、秀文が見えた。
笑ってるのか、泣いてるのか分からないけれど。
秀文が見えた。

「この前、言っただろ、病院通ってるって」
「…うん」
「延命治療なんだ」

全身の血の気が引いたような気がした。

「延…命?って」
「小5のときにさ、もう分かったんだよ、長くないってこと」
「ひで…」
「だから退院して、田舎でゆっくり過ごそうって話したんだ」

秀文は表情どころか、手に加える力まで変えない。
当たり前のことを淡々と話すように、喋った。

「ひでふみ…が?」
「…ごめんな恵司」
「…」
「黙ってて、ごめん」

涙が目からぼろぼろ溢れ出た。
声をあげそうになるわけでもなく、体が熱くなったわけでもなかった。
ただ、涙が出ただけ。

「ひ…でふみ…」
「何?」
「何歳まで…、って?」

秀文は俺の涙を自分の服の袖で拭いながら言った。

「あと、5〜6年だって」


せっかく拭いてもらったのに、涙は止まらなかった。






「…っゴホッ、ゲホッ、ゲホッ」

帰ってすぐに自分の部屋へ向かい布団に潜り込んだ。

夕飯時、母に呼ばれたが返事をしなかった。

祖父が心配して様子を見に部屋へ来たが、布団から顔を出さなかった。

何も食べたくなかった。
誰にも会いたくなかった。
誰とも話したくなかった。

「ゲホッ、ゴホッ、ゴホ」

空になりかけの吸引器をむやみやたらに口へ押し付けて薬を吸い込んだ。
しかし楽になった気はしない。

「…っは、はあっ、はあっ、はあ…」

治ったはずなのに、喘息がさっきから止まない。

延命治療。
秀文は言った。

「はあっ、はあっ、はあっ…」

治ってなかった。

「ゲホッ、ゴホゴホッ」





この夜から、喘息の発作が酷くなった。


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