BL小説
0になるまで B
学校が楽しみ、なんて珍しいこともあるもんだ。
学校まで歩いて15分強。
少し回り道をして20分かけて登校するルートを行けば、秀文の家の前を通る。
秀文は学校まで5分だから、どっちみち20分後には会う計算だ。
「本当に、秀文なんだ」
喜びに満ちた溜め息をひとつついた後、自分のゆるんだ顔を戻すために頬を叩いた。
病院での約束、叶えるつもりだったけどまさかこんな偶然という形で会えるなんて。
昔は白い建物の中だけが俺達の世界の全てだった。だけど今は違う。病院の外で、これから昔みたいに毎日秀文と過ごせるのだ。
これからの学校生活への期待を胸に朝玄関の扉を開けた。
「あれ、早いな」
教室に入るとすぐに秀文と目が合った。
まだ他のクラスメイトは来ていない。思わず口を開くと秀文は笑った。
「おはよう恵司」
「あ…おはよう!」
挨拶を交わし自分の席にカバンを置く。それからすぐに秀文の元へ近寄った。
机にはレポート用紙が置かれてある。
「何してんの?」
「体育見学者が書くやつ」
「昨日見学中に書いたのとは違うのか?」
「これは各月単位に出すやつ、俺毎月レポート書かなきゃいけないんだ」
やっぱり体育の授業は出ていないのか。俺の複雑さとは裏腹に、秀文は笑ってペンを走らせている。
きっと授業に出たいんだろう、言わずともその気持ちはよく分かった。
自分にもその経験はあるからだ。退院してすぐの中学一年目、ドクターストップがかかって俺は体育が出来なかった。友達は楽しそうに体を動かしているのに自分だけ参加出来ないのは、かなりつまらないものだ。
秀文はそれがずっと、小学生のときから続いている。笑って流せても内心辛いだろう。
辛いだろう、そう言ってやりたいけれど、俺はもう健康な側の人間だ。秀文の気持ちが全部分かっているはずが無いし、分かったようなフリは秀文を傷つけるだろう。
何も言わないのが、やっぱり懸命なんだ。
「へえ、毎月だと書くこと無くならないか?」
「うん、だから困ってて」
「手伝えることあったら言ってくれ!レポートの内容についてのアイディアとかさ」
「本当に?ありがとな」
「…っ」
なぜか秀文が微笑んだ瞬間ドキッとした。
会話も良い流れになったし、距離も縮まったのに、何でこんなに緊張しているのだろう?
しばらく動悸が治まらなかった。
「恵司大丈夫?様子が…」
「大丈夫だと思う!何かすぐ治まりそう」
秀文が心配そうに俺を覗き込む。それで更に体温が上昇して頭に血が登ったような気がした。
どうして急にこんなことになったんだ。喘息の症状でこんな風になったこと今までは無かったのに。
「本当に大丈夫?」
「うん余裕!余裕!それよりレポート書かないと、俺は気にしないで」
「でも…」
「ほら書いて書いて」
秀文は何度も大丈夫かと聞いてきてくれた。俺としては心拍数を正常値に戻したいし秀文の邪魔はしたくなかったので、大丈夫を連呼した。
「昔と全然変わってない、恵司は優しいね」
ドキッではないのかもしれない。
だって秀文がまた笑った瞬間、
どきん
と、まるで恋愛漫画みたいに鼓動が高鳴ったからだった。
まだ馴染めない学校で過ごす1日は長い。
やっと昼休みになって、座りっぱなしで固まった体をほぐそうと腕を回した。
朝から秀文とろくに会話していない。
あの正体不明の緊張感を、もう味わうのはごめんだった。
でも。俺から行かないと話せなかったこと、秀文からは来てくれなかったことに、少しだけ、拗ねていたのもある。
「森山くん」
「は」
振り返るとクラスの女子が数人。慌てて姿勢を直し対応する。
「ごめんごめん、何?」
「お昼ご飯一緒に食堂行かない?」
「あ、俺弁当あるから…」
「そっか残念、校舎の案内とかはもう誰かにしてもらった?」
「うん、一応…先田に」
「先田くん?」
話していた女子がポカンとした。
何だろう、まずいことは言っていないはずだ。
秀文が嫌われてる風でもないし、何だろう。
「え、なんかあるの?」
「あっいやいや意外だっただけ、先田くんがそんなに積極的…ってゆーか」
「意外?」
「あんまりクラスの人と話そうとしないんだよね、先田くん…おとなしいというか、なんか病気あって大変らしいし」
病気、それで少し納得出来た。
おとなしくなってしまうのは分かる、自分と周りの人間が違うものだって言われているような気がするのだ。ただ入院していたというだけで。
被害妄想に過ぎないかもしれない。だけど、気が弱くなるのは、当然ではないだろうか。
「小学生のとき仲良くしてたからさ、だからじゃないかな」
「へえ、そうだったんだ、なんか安心しちゃった、先田くんにも心を許せる人がいるんだなって」
「あはは…あのさ、病気って…」
「持病があるんだって、体育見学してるでしょ?」
彼女たちは今度一緒に昼食をとる約束をした後、教室から出ていった。
クラスの女子とちゃんと話したのはこれが初めてだったのかもしれない。
皆可愛いのだが、やっぱりあの気持ちにはならない。
秀文に感じた、あのドキンと胸を打つ気持ちに。
それから、彼女たちの言い方で一つ気になった点があった。
“病気あって大変らしいし…”
“持病があるんだって…”
耳からついて離れない。
その言い方だと、秀文は
「恵司、一緒に昼飯食べよーよ」
気がつくと横に秀文がいた。いた、というか、俺が無意識に秀文の近くへ寄って行っていたらしいのだが。
「あ、ああ」
「どうしたの?」
「何でも…」
そうだ、皆、何かおかしいんだ。
「何でもないよ」
「ただいま!!」
学校から帰り、真っ先に向かったのは台所にいる母の所だった。
「あらお帰り、どうしたのやけに元気ね」
「母さん、何か俺に隠してないか?!」
帰ってきた息子に突然、わけの分からないことを聞かれて母は困惑した様子だった。
「何かって、何のことよ?別に隠してることなんて」
「秀文のこと、何か知ってんだろ」
母の顔つきが変わった。
変わって、悲しそうになった。
「…秀文くん?」
黙って頷く。
母は料理の手を止め、真っ直ぐこちらを向いた。
「恵司」
「…何」
「聞いても、あんたは信じないわよ、きっと」
「信じる信じないじゃなくて、俺は母さんが知ってること、教えてほしいんだ」
母はゆっくりと頷いた。
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