BL小説
0になるまで @
「恵司」
小5の春だったと思う。
俺がまだ小児喘息で入院していた頃だ。
「退院することになった」
「お前が?」
病院で知り合い仲良くなった友達、そいつが急に切り出してきた。
「うん」
「本当に?おめでとう!」
そいつはせっかく病院の外に出られるのに、全く嬉しそうじゃない。
「うん…だから」
肩が震えている。顔は今にも泣き出しそうだった。
「もう…会えなくなる…」
何だそんな事かと俺は笑って言った。
「病院の外で、会えるよ」
「…うん」
「約束」
俺が退院したら会おう。
そう指切りをして別れた。
「はあっ、はあっ」
勢い良くマンションの階段を駆け上がる。
3階へ行くのにエレベーターなんか待っていられなかった。
でも少し息が辛い。
歩幅を狭めて自分の家の扉まで向かい、勢い良くドアを開けた。
「父さん海外勤務おめでとう!!」
叫びながらクラッカーの紐を引っ張ると乾いた音が玄関に響いた。
「けいじ…」
クラッカーから飛び出た紙片を頭に乗せ父は頼りなさげに俺の名を呼ぶ。
「長期の出張なんだろ?どこなの?」
「ニューヨークだって」
父の隣で腕を組んで立つ母が答える。
「ニューヨーク!?すっげえじゃん!!」
「…お父さん英語喋れないんだよおおおおお!!」
父は涙声でそう言いながら俺にもたれかかってきた。
母を見ると呆れた様子で薄ら笑いを浮かべている。
「アメリカなんて無理だああああああああっ」
「父さん頑張って仕事してきたからだろ?出世街道まっしぐらじゃんか!」
「ううううう」
普通喜ばしい事なのに父は悲壮感に浸るばかりだ。
やれやれどうしようかと考えていると、母が不意に切り出した。
「ああそれでね恵司、お母さんお父さんが出張の間田舎にある実家に戻ろうかと思ってるのよ」
「は?え、じゃあ俺学校どうすんの」
「実は田舎にあんたの通ってる高校の姉妹校か…分校だっけ?があるらしくて、編入出来るんだって」
「はあ…」
「別にあんただけこっちに残っても良いんだけど」
突飛な話すぎて全体を掴むのに苦労した。
母に付いて田舎で悠々と暮らすか、都会で1人暮らし…家事付き。
高校に入学してまだふた月だし、愛着も無い。
「あー…ついてくわ」
「オッケーじゃあ高校に電話しなきゃね」
あっという間に色々話が決まってしまった。
転校、引っ越し、ああ慌ただしくなる。
父は未だ俺の足下で落ち込んでいた。
それからは一息つく間も無く、引っ越しの準備をしている間に父はアメリカに立ち、俺はたった2ヶ月しか在籍していないクラスと別れた。
「おおー…山しかない」
「小さい時は何回も遊びに来てたのよ」
田舎に来るのは久しぶりだった。
患っていた時に療養のため1年ほどいたことがあったが、その記憶は曖昧だ。
緑ばかりの景色にうんざりし始めた頃、道の前が開けて川が見えた。
「いいとこでしょ」
母が車を走らせながら自慢気に呟いた。
「よく来たなあケイ坊」
母の実家は現在祖父だけが暮らしている。
数年前祖母が亡くなった時の祖父は見る影も無く憔悴していたが、元が能天気な人なので後を追う事も無くすぐ元気になった。
「じいちゃんよろしく」
「賑やかになるなあ!」
でもさすがの祖父も田舎にひとりきりは寂しかったんだろう。
俺と母が来るのをとても喜び歓迎してくれた。
「荷物はこれか?どれ…」
やけに気合いの入った祖父は自ら率先して俺と母の荷物を家に運び始めた。
「じいちゃん嬉しそうだ、来て良かったね」
「そうね、それにあんたの体にも良い環境だし」
ふふ、と笑って見せた母と目が合い何だか少し照れ臭くなる。
「自分で管理は出来るけどまだ喘息が治ったわけじゃないし、こっちの方が空気が良いでしょう」
何となく分かっていたが、やはり母は俺のために田舎に住もうと提案してくれたのだ。
今は発作が起きる事も少なくなったが、たまに苦しくなる事がある。
父が大手企業に勤めているため都会暮らしを余儀なくされていたが、そこで病気について仕方ないと思っている俺を見て、母は一体どんな気持ちだったろう。
入院していたときも何度となく謝られた。
俺は病気は自分の一部だと受け止めているし、父や母に当たったことも理不尽を感じたことも無い。無いが、今までそこを気にしてきた母がやっと俺の病気のために何か出来たことは、あまりにも大きいのだろう。
「…ありがとう、病気きっとここで良くなると思う」
「そうね」
母も照れ臭そうにはにかんだ。
編入と言うのは初めてだったが、要するに転校と変わり無い。
今まで通っていた学校から他の学校へ変わる、ただそれだけだ。
「森山恵司です、よろしくお願いします」
教壇の横に立たされて自分の名前を言わなければならないのは誰でも気が進まない。
クラスに入った瞬間からずっと注目されっぱなし、これは転校生だけの特権かもしれない。いや、義務だろうか。
とにかく先生に席へ促された時の安堵感と言ったら比べられるものなど無い。
机と机の間を歩く時も着席してからも常に視線を感じる。
体温が上がった気がして、熱を吐き出すようにため息をついた。
ホームルームが終了するとクラスメイト達は俺の周りに集まってきた。心なしか女子が多くて少し良い気分になる。
お約束の質問責めで、息つく間も無く一限目の授業が始まったが、クラスはざわついたままだった。
一限目も終了し二限目、聞くと次は体育だそうだ。
転校初日から体育なんて誰が想像出来ただろう。緊張のせいもあって今朝から胸のあたりが若干息苦しい。
体操着が無いのと持病のためと言う事で体育は見学することになった。
クラスメイトがサッカーの練習をしているのを横目に先生から用紙と筆記用具を借りる。
体育の見学者は授業アンケートを書くことになっているようだ。
問一から「普段の授業についてお聞きします」から入るパターン。
これはどうしたものかと頭を悩ませていると、横でもう一人見学している生徒がいることに気付いた。
ここは親睦を深めるのも兼ねて相談してみよう、そう思い相手に近づく。
「あのさ、これってどう書けば良いか教えてくれないかな」
「あ、うん」
快い返事が貰えたので、少し空けて隣に座る。
説明を待っているのに一向に喋る気配が無いので相手を見ると、こちらを凝視していた。
「えっ、な、何?!」
「ご、ごめん…もしかして、小学生の時入院してなかった?」
「入院…?あ」
喉が何かを思い出したようにヒュッと鳴った。
「恵司って、あの恵司だよね?」
「お、おお!入院してた、お前ヒデ…秀文か?」
「久しぶり恵司!そうか退院したんだ?」
嬉しそうに喋るそいつは、よく見ると昔の面影が残っていた。
偶然とはこのことを言うのかと思うくらいの偶然。
本来田舎住まいだとは聞いていたが、まさか同じだとは思いもしなかった。
久しぶりの再開は嬉しくて驚いて、同時にどうでも良いことに頭がまわっていた。
こいつは、何の病気で入院していたんだっけ
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