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初めての休暇
 
 
 生まれたときから、俺に父さんはいなかった。


 母さんが一人で俺を育ててくれた。仕事をしながら、毎日眠そうに目を擦りながら頑張っていた。朝は保育園に送り届けてくれた。帰りはどんなに遅くなっても迎えに来てくれた。友達はみんな、とっくに帰っている。「ごめんね、遅くなって」。暗くなってようやく現れた母さんはどこか疲れていたけど、いつも息を切らして走って迎えに来てくれた。
 他の子みたいに、夕方に迎えが来ないことをさみしく思ったこともあった。けれど帰りはみんなみたいに、母さんのカサカサに荒れた手を繋いで、月明かりの下を一緒に帰った。


 他のみんなには当たり前に「お父さん」がいるということを知ったのは、小学校に上がってからのことだった。

 
 ◆


 『只今、電話に出ることが出来ません。ピーッという発信音の後に――…』


 携帯の画面を耳から離して見れば、昼の二時を回ったところだった。
 きっともう、昼休みは過ぎているのかもしれない。あらかじめ連絡を取って、空いている時間を確認しておけばよかった。けれどその「空いている時間」は早朝か深夜だろうし、仕事をして疲れているだろうと分かっているのに、その時間を休息以外のことに使わせたくない。


 『―――お名前と、ご用件をお話し下さい』


 ピー、と機械音が鳴る。


 「もしもし母さん? 俺、晶です。今ちょうど帰って来てるから電話してみました。忙しいのにごめん、身体壊さないよう気を付けてください」


 早口にそう告げ、電源ボタンを押した。留守電は好きじゃない。

 駅前のロータリーから、俺の乗ってきたバスが動き出した。学園を経由して、街まで下りてくるバスだ。
 ゴールデンウィークだからか、バスの中は学園の生徒が多い。皆一気に駅前で降り、見知った顔が大通の方へ向かっていく。


 全部、懐かしい。
 背の低い駅も、駅の壁に掛かった時計も、地面に敷き詰められたブロックも、その上を歩く鳩も。


 「晶!!」


 不意に声を掛けられ、顔を上げた。
 遠くの方から、メッセンジャーバッグを肩からぶら提げた茶色い髪が駆けて来る。


 「久しぶりだな晶! 一ヶ月ぶり?」
 「いやたかが一ヶ月だし」
 「でも前は毎日会ってたじゃん」


 人懐っこい、ハムスターのような顔を綻ばせ、佑介は笑った。
 佑介とは家も近くて、中学も一緒。こいつが俺を夜の街に連れ出した張本人でもある。こんな顔して飲酒喫煙何でもします、と言うんだから、まったく人は見た目じゃない。


 「ていうか佑介、背ェ伸びた?」


 前までは俺の少し下にあったつむじをぐりぐりと指で押すと、「下痢ツボ押すな!」と叫ばれた。いつのネタだよ、それ。


 「高校行ってキソクタダシーセイカツしてたら伸びたのっ。もう晶とのチビ同盟も解散だな!」
 「組んだ覚えねぇよ。何センチ?」
 「一六四」
 「俺の方が一センチ高いし。………でも許せねー!」


 迷信だと知りつつも、何となく面白くなかった俺は、尚一層のこと佑介のつむじをぐりぐりしてやった。




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