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追憶
 
 
 高校受験はしなかった。


 自分には父親がいると知ったとき。その父親は俺が生まれてから一度も、母さんとも顔を合わせていないと知ったとき。その父親が母さんに金を払い続けていると知ったとき。母さんはそれを自分のためには使ったことがなく、俺の食費や学費を払うときだけその金に手を付けていると知ったとき。
 俺は荒れた。どうして父さんは会いに来ないんだろう、どうして父さんはどうして。金を払えばそれで済むとでも思ってるんだろうか。

 家に帰れなくなった。
 俺が未だ眠っている明け方、母さんは置き手紙を残して仕事に行く。俺が眠りについた真夜中、母さんはなるべく音を立てないようにそっと帰って来る。
 うんざりだった。それは母さんに対してじゃなくて、母さんにそんな気を遣わせている自分に対しての思いだった。


 高校は行かない。


 通信でも定時制でも、今じゃなくてもまた通うことは出来る。今の俺がすべきことは、学校に行かなくても、バイトでもいいから金を稼ぐことだと思った。第一、中学でさえサボり続けてまともに通っていなかったんだから、日数も評定も偏差値もボロボロだ。俺を入れてくれる高校なんて、お情けでもあるはずがない。

 春休みはぼんやりとして過ごしていた。

 久しぶりに帰った家は、少し薄暗いように感じた。それは気持ちが暗かったわけでも実際に暗かったわけでもなくて、俺が夜の光に慣れてしまったからだと気づいた。
 後悔したけれど、毎日家に帰っても食費の掛かるだけ。水道代も電気代も掛かるだけ。それなら街に出て、顔見知りの誰かの家を転々とする方がまだいいと思った。最低でも、別にいい。


 「………思ったよりも酷いな、これは」


 あの日のことは、数か月経った今も、はっきりと覚えている。
 アパートの床に寝ころんで何もせず、天井を見上げていた。安普請の階段がカンカンと鳴ったと思えば、いきなりドアが開き、冷たい春の風がひゅうと首筋に吹いた。

 そこには、すらりと背の高い男がいた。

 ストライプのスーツの上から、黒のトレンチコートを羽織った男。歳は二十代くらいに見えたけれど、妙に落ち着いているとも思った。


 「なッ……誰だよ!?」


 突然のことに驚いて起き上がった俺を一瞥し、その男は「あぁ、君か」と蔑むように言った。


 「援助金を受け取ってこの生活か……父が知ったらさぞ悲しむだろうな」


 援助金。父。
 この言葉で、目の前の男が俺の父さんに関わりのある人間だと悟った。

 カッと顔が熱くなる。


 「あんな……あんな金使うわけねーだろ! 母さんに会いに来ようともしない父さんの金なんか!!」
 「………口の利き方も知らないのか」


 参ったな、と呟きながら、その男は土足で玄関を越え部屋に入って来る。
 そのあまりの毅然とした立ち居振る舞いに、怒りを通り越した俺は呆然としてしまう。畳の床に土が付いても、その男は「靴が汚れるな」と顔を顰めただけだった。


 「何も知らない君に、手短に話そう。君の父親は、とある事情で君の親であると名乗ることが出来ない。従って君は戸籍上、片親―――母親しかいない、ということになる」
 「……なに、」
 「君の父親が市川 美幸――君の母親との面会を望んでいないのは、夫として市川 美幸の前に現れることは出来ないからだ。それは息子の君に対しても同じことが言える。しかし、事実上の父であるという責任を感じてか、市川母子には息子である市川 晶――君のことだ――が成人を迎えるまで、毎月養育費が支払われることになっている。これは市川 美幸も納得している」




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あきゅろす。
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