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病床にて
 
 
 「別段異常が無いようで何よりです」


 彰人はベッド脇の丸椅子に腰掛け微笑む。林檎を剥きながら話しているが、手元は見なくても平気なのだろうか。何故か僕が注意して見ている状態だ。


 「あと少しでも強打された箇所が外れていれば、危険だったようですから。出血も御座いません。これは奇跡的だと担当医も申しておりましたよ」


 林檎の皮は切れることなくどこまでも続き、サイドテーブルのビニール袋に吸い込まれていく。林檎の皮向き大会か何かの優勝者なのだろうか。速さ・長さ共に素晴らしいことになっている。


 「……彰人」
 「はい」
 「学校は」
 「もう終わっています」
 「……制服」
 「今日は書道の稽古があったので、学校からそのまま向かいました」
 「そこに譲二さんから連絡があった、と」
 「仰る通りです」


 彰人は「どうぞ」とベッドに皿を置いた。一つだけうさぎ林檎なのは愛嬌だろうか。馬鹿にされているのだろうか。考えても仕方ないとうさぎ林檎から手をつけると満足そうにしていたので、自分の判断が正しかったことを確信する。
 軽い栄養失調という診断を下された僕の左腕には、未だ点滴の針が刺さっている。ここのところほとんど何も口にしていなかった。なので「胃に負担が掛かるから」という医師の判断を無視し、近くのスーパーで彰人に食料を買って来させた。林檎は蜜が詰まっていて美味しかった。

 もさもさと食していると、「おい」と反対側から声がした。反対側、つまり窓際の丸椅子に座る晴一が、怪訝そうな顔で彰人と僕を交互に眺めている。


 「誰だよ」
 「言わなかったか?」
 「……聞いてない」


 家の話をしたときに、深澤の話もしたと思っていた。
 もさもさと林檎を食していると、意外にも僕より早く彰人の方から名乗り出た。


 「深澤 彰人です。以後お見知り置きを」


 簡潔すぎる自己紹介だ。というか、名前しか分からない。
 一瞬面喰ったような表情になる晴一が、年上としてそれを抑え口を開く。


 「……俺は」
 「存じておりますよ、桜庭 晴一」


 名前の部分に吐き捨てるようなニュアンスが含まれていたのは、気のせいだろう。そう思いたい。林檎の汁が付いたナイフをキッチンペーパーで拭きながらの発言には、やや迫力があった。


 「譲二様からお話伺っています。一臣様のお雇いになった料理人の息子が龍馬様の周りをうろついていると」
 「おい」


 ツン、とそっぽを向く彰人。しゃくしゃくと林檎を咀嚼する音、そして点滴の音が病室に響く。


 「……こいつが家族?」
 「家族同然ということです。勿論戸籍上そして血縁上は違いますが、譲二様が病院の方へ直接コンタクトを取られたようですね。それぞれご多忙とのことだったので、僕がお引受け致しました」


 彰人が僕の家族として、様々な手続きをしてくれたようだ。
 正直助かった。彰人が来てくれたことも、譲二さんが彰人に連絡を入れた判断も。もし実家にでも連絡が行っていれば、茜が心配したはずだ。あの可愛い妹なら、単身で東京まで来るくらいのことはしたかもしれない。危険すぎる。東京は怖い街だ。あんなにも可愛らしいのだから、きっと言葉巧みに騙され酷い目に遭わされるに決まっている。


 「ご実家の方にはこのままご連絡差し上げなくても構いませんか?」
 「……頼む」
 「畏まりました。但し、譲二様のご判断によってはお話が変わって来るかもしれません。その際はお伝え致します」
 「あぁ」


 彰人はナイフをごとりとサイドテーブルに置くと、スクッと立ち上がる。


 「どうした?」
 「譲二様へご連絡を。妙なことしないで下さいね、桜庭」


 彰人は晴一に指と釘を刺すと、携帯電話片手に病室を出て行った。
 もさもさと林檎を食す。三玉は多い。剥きすぎだ。


 「……あいつ」


 晴一は僕の皿から林檎を一つ取ると、それをもさもさと食しながら呟く。


 「どういう関係?」
 「だから家ぐるみで」
 「そうじゃなくて、お前と深澤 彰人が」


 二人してもっさもっさやっているのは何だか奥ゆかしいなぁと思いながら、真剣な表情の晴一に真剣に答えてあげることにした。


 「特別……だと思う」


 僕と彰人の関係性は、何とも言い難い。便宜上ですらうまく形容できない。


 「……は」
 「幼馴染のようなものだ。幼少から実家を離れていたから、小学校に上がっても幼稚園からの友人というものは存在しなかった。彰人は僕にとって一番近しい」


 たとえ十年ほど会っていなくても。
 再びもさもさと林檎を食していると、晴一が静かだなあということに気づく。自分から質問したくせに、何だこの仕打ちは。真剣に答えた自分が恥ずかしい。いや、思ったより恥ずかしくない。従って嘘だ。


 「晴一?」
 「……疲れた」


 ぼすっとベッドが揺れた。
 林檎の載った皿から顔を上げれば、椅子に座ったまま頭をベッドに突っ伏した晴一がいる。


 「寝てないんだよ。寝させろ」


 もさもさと咀嚼するのを止めた。

 日付感覚がないため、果たして誘拐されて以降何日経過したのか分からない。その間寝ていなかったとでも言うのだろうか。まさか。僕でも寝ていた。そして誘拐犯一味に怒られていた。
 すぅ、と寝息が聞こえる。この不安定すぎる体勢で眠れるとは、どうやら本当に疲れていたらしい。

 そっと髪に触れる。反応はない。


 「……ありがとう」


 カシャン、と音がした。
 振り向くと、病室の入り口で呆然とした彰人が、手から携帯電話を滑り落としたところだった。



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