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市川の頭から、ポタリと黒い水が垂れた。
突拍子のない出来事に巻き込まれた場合、人はまず正常な判断を下せず、思考回路は停止する。
つまり大事なのは勢いとスケール。
飲み込まれてしまい固まる市川の眼鏡を、僕はそっと外した。
「悪いな、市川」
そして現れる素顔。
「おまっ………月兎!?」
「キャアアアアア!!」
「何あれ!オタクじゃなかったの!?」
後は群衆に紛れて退散するだけ。
市川の断末魔が聞こえたような気がするが、気のせいだろう。
とりあえず眼鏡を掛けてみた。伊達だったらしいそれは、ずっしりと重量感がある。
"市川が月兎である"。
それは、かなり綱渡りの仮説だった。
中学生の頃グレていた、という市川の発言から、無理やり辻褄を合わせたようなものだ。
変装の解けた市川の容姿と、桜庭先輩の言っていた"月兎"の容姿は酷似していた。僕と月兎は似ていると言った桜庭先輩の言葉と、西園寺会長の言葉。
『お前、兄弟とか従兄弟、いるか?』
西園寺会長は最初、僕に月兎を重ねたのだ。それほどにきっと、僕と月兎は似ている。
―――それならば、"僕と市川が血縁者である"という事実を照らし合わせたとき、市川と月兎は重なる。
市川が僕のドッペルゲンガーでないのなら、血縁者と考えるのが妥当だった。そこが一番のこじつけなのだが、辻褄は合っている。
ありとあらゆる離ればなれのパーツを合わせ、綱渡りの憶測は確信に変わる。
『月兎は、西園寺会長から逃げていませんでしたか?』
これは、市川イコール月兎という図式を作るためのダメ押しだ。
市川の変装は、西園寺会長から逃げるためなのだろう。これは僕の予想だが、西園寺会長は月兎に好意を抱いていて、西園寺会長が古賀学園に在籍していることを入学後に知った市川は、会長に気づかれないよう変装していたのではないかと思う。
しかしそんなことはどうでもよい。関係ない。当人たちに任せればいい。
解決しなくてはならない問題は、「市川を親衛隊から擁護する」ことなのだ。
市川を親衛隊から擁護するためには、会長からの市川へのバックアップが不可欠だ。親衛隊は会長が制止しない限り、市川をターゲットにするだろう。
市川と西園寺会長の衝突は、「会長の、月兎を見つけられないという苛立ち」から起きたものだ。
月兎が見つかる。(月兎イコール市川)
会長、機嫌治る。
会長、月兎イコール市川を擁護する。
親衛隊、市川に手を出せない。
かなりご都合主義の推理だが、市川が月兎であることは間違いないだろう。先ほど会長も言っていたのだから大丈夫だ。
後は野となれ灰となれ。
◇
僕はその足で迎賓室に向かった。
「うん、素晴らしいね。ビューティホー」
「ビューティホー。じゃねえよっ」
チカ先輩は変わらず僕を迎え入れてくれ、そんなチカ先輩を桜庭先輩は殴った。
僕は自分の推理をかいつまんで話した。
「しかし西園寺が庇ったとしても、親衛隊を完全に抑えるのは難しいぞ」
桐生先輩はプリントをホチキスで留めながら言う。
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