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誰が為に鐘は鳴る

 生まれ変わるなら貴方の隣に。
 叶わないなら、せめてお側に。

 構いません、たとえ貴方が僕を忘れてしまっていたとしても。
 僕が憶えています。何も忘れやしません。今だってほら、窓の外を移ろぐ景色、退屈なお稽古事、抜け出して歩いた庭の紅葉、はしゃぎすぎて溜め池に浸かったワンピースの裾、父様に叱られて納屋に入れられた僕の元に、こっそりお持ち下さった角砂糖の甘さ。生まれて始めての悪戯に頬を上気させ、囁くような声で笑う貴方。色褪せることなく僕の記憶を廻っては今も焼きついて離れやしないのです。

 貴方が溢すものは、残らず受け止めよう。
 貴方は何と言うでしょう。お笑いになるでしょうか。構いません、貴方が笑って下さるのならば。

 だからもう一度。


 「――…また、ですか」


 神様、それは贅沢ですか。


 ◇

 
 「では、レンズをお入れするまでにお時間を戴いておりますので――…」


 無期限の自室謹慎を命じられた僕は、駅前の眼鏡店にいた。
 先日の学園祭で、レンズが割れた。テンプル――弦の部分が折れなかったのは幸いと言うべきか。何本か予備は持ち合わせているものの、掛け慣れた黒縁のこれが一番落ち着く。今朝は間に合わせでコンタクトを着けていたが、どうも慣れずに外してしまった。眼が渇いているような気がするのだ。お陰で今は視界が定まらない。

 全国にチェーン展開をしているその店は、仕上がりの速さを売りにしているらしい。僕の眼鏡も三十分ほどで仕上がるらしく、その間街を散策しようと店を出た。店頭に「スピード仕上がり」と書かれた旗が立っている。北風にはためき文字が歪んでいる。落ち葉が道路を滑る。すれ違う乗用車のタイヤがそれを潰し、微かにカサリと音がした。道行く人たちは深い色合いの服を着ている。ニット一枚で寮を出たことを後悔した。せめて薄手のジャケットでもあれば。普段は室内にいるため、外の気温がまるで分からない。分からなくても不便しないのだ。学園に入って、気づけば八ヶ月ほどが経過していた。
 その割に、この辺りでは開けた地域である駅前を、こうして歩く機会もなかったという事実に気づく。土地勘がまるでない。久々に本が読みたい。書店を探すも、どこにあるか分からない。先ほどの店員に聞けばよかった。次々と商品を薦めるため、こちらが口を挟むタイミングすらなかったのだ。


 「すみません」


 仕方がないため、地元民らしき若者に道を聞くことにした。ガードレールに腰掛け携帯電話を弄る制服姿の少年は、顔を上げると目を細めた。僕はどうやら、俗に言う不良に声を掛けてしまったらしい。


 「何」
 「この辺りに書店はありますか」
 「……………そこ、真っ直ぐ」


 ビルとビルの間、狭い小路を指され、僕は「ありがとうございます」と礼を言った。少年はすでに視線を落とし、携帯電話をぽちぽちと操作している。
 街は薄汚れた印象を受けた。
 そういえば市川も、よく寮を抜け出すという会長も、晴一も、素行は悪くないが不良然とした風貌だ。この辺りはあまり治安が宜しくないのかもしれない。小路には所々、空き缶や食べ散らかしたお菓子の塵が散乱している。

 道が狭いからか、風がよく通る。首筋を撫でる風に身を竦める。もう冬が近いのだ。


 カサリ、と散らばる塵を踏む音がした。


 「見つけた」


 弾むような声。振り返れば、僕の入り込んだ小路を塞ぐようにして人が立っていた。そのままこちらへ向かってくる人物は、落ちている塵を気に留める様子もない。一歩一歩異なる音がやがて近づいてくる。
 かろうじて相手の性別を認識出来るくらいの距離まで縮まったとき、その男の斜め後ろに人影が見えた。先ほど道を訊ねた少年だ。


 「油断しすぎじゃね? まあいいけど、楽だし」


 赤色のパーカーに、ルーズなデニム。
 ラフな格好をしたその男は、どうやら僕に向かって発声しているらしい。


 「本当に実在するんスね、都市伝説だと思ってました」


 その男に向かって、制服姿の少年がくだけた口調で言う。パーカーの男は「半年くらい見かけなかったしな」と肩を竦めた。


 「これで"黒"と"赤"が釣れる」
 「……何の、」


 話だ、と口を開きかけたと同時に、顔の横を腕が伸びてくる。
 しまった。目の前の二人に気を取られているうちに、背後から近づいていたらしい。口許に薄汚れた布を押しつけられ、発した声は吸い取られてしまう。抵抗しようと腕を振りかぶると同時に、ちぎり落とされるのではないかというくらい強い力で鼻を摘ままれた。
 吸うとまずい。直感的に呼吸を止めるが、それも長くは続かない。耐えきれず酸素を取り込むべく息を吸えば、一瞬で頭がくらくらした。頭痛どころか吐き気まで催す。お前、薬剤染み込ませすぎじゃないか。


 「悪く思うなよ、"月兎"」
 「―――…」


 その名前は。

 いよいよ視界が霞み、意識が落ちていく。
 薄れゆく意識の中で、最近このパターンが多いなと、どこか他人事のように思った。

 というか事実、他人事なのだから、僕を巻き込まないでほしい。




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あきゅろす。
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