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 ◆


 結局、俺が小会議室に着いたのは九時半を回った頃だった。
 ようやく人の波も落ち着いてきた。わたわたと慌てて会議室に向かうと、何やら行列が見える。


 「………え゙」


 視線を凝らして見れば、それはメイド喫茶待ちの行列であることに気づく。


 「おっそい。市川」


 顔が引きつり硬直した俺の前に現れたのは、メイドさんだった。こげ茶色のポニーテールに、レースのカチューシャを付けている。


 「………誰?」
 「有坂 巡。その顔ムカつくんだけど」


 メイドさん、もとい有坂にポカンと口を開けると、何か酷いことを言われたような気がした。「とりあえずメイクするから早く来て」と、隣接した教室に引きずって行かれる。


 「どの学年もSクラスはお客さん集中してるみたいで」


 すとん、と座らされた椅子の前には大きな鏡があって、何だか美容室のようだ。有坂は手慣れた風に俺の前髪をピンで留め、顔にクリームを塗っていく。よく見ると、有坂もメイクをしているみたいだった。


 「……そこまでするか?」
 「何が」
 「あ、いや」


 女装の件で思わず呟いてしまい、慌てて誤魔化した。
 衣装だけだと思っていたのに、まさか化粧までするなんて……。さすが本格派というべきか、加減を知らないというか。


 「うち目当てで来たお客さんもいるみたいで、朝からこんな具合。フード班は調理室使って追加のケーキ作ってるところ」
 「え、俺もそっち行きたい」
 「それは僕も行きたいに決まってるじゃん。北斗が、僕と市川は接客しろって言ったの」


 北斗ばっか逃げてずるいっての、とブツブツ呟きながら、有坂は頬の上でブラシをぐりぐりと動かす。ふんわりとしたピンク色のチークが乗り、我ながら可愛くなったような気がする。全然嬉しくない。


 「市川は睫毛長いし目大きいから、ベースだけでいいや」
 「それ喜んでいいの?」
 「一応喜べば? あとウィッグ……被らなくても大丈夫そうだけど」
 「被せて下さい」


 ここまで行くと、「女装しなくても平気!」と言われた方が傷つくような気がしてきた。


 「じゃあ髪梳いて……市川のこれ、地毛?」
 「あ、うん」


 さらりと指で髪を掬われ、鏡越しの有坂に答える。


 「地毛っていうか、染めたら黒に戻らなくなった」
 「凄いねー。あんまり傷んでないし、こんな綺麗に染まるんだ」
 「……うん」


 薄い白金の月光色。有坂が黒いウィッグを被せると、それは完全に覆い隠された。
 鏡に映ったのは、完全に女の子にしか見えない俺。被されたウィッグがよりにもよって、黒のロングとは。少し前の女装経験を思い出して、何となく複雑な気持ちになる。


 「じゃあ奥にメイド服あるから、着替えてホール出てきて。僕は人足りないから、もう行くけど」
 「あ、うん。ありがと」


 有坂はウェットティッシュで手を拭うと、パタパタと駆けて行く。パタン、と会議室に繋がるドアが閉まり、俺は改めて鏡の中の自分をまじまじと見た。

 肌、しか何もしていないはず。なのに、ウィッグを被った俺は、我ながら女の子に見えた。


 「……女顔なのかな、俺」


 肩幅もないし。肌は焼けないし。明日から筋トレでもしようかな。
 ハァとため息を吐いてその場を離れ、奥のラックに掛かったメイド服を手に取った。フリルの付いた黒いワンピースに、白いエプロン。ハンガーにはヘッドドレス、ソックス、パニエにドロワーズと、一式すべてが掛けられていた。女の子のファッションアイテムを見ただけで分かってしまう自分が、切ない。


 「……よしっ」


 腹括れ、俺。
 大丈夫、全国区の雑誌にも女装して載ったんだし、俺は出来る。俺は女装が似合う。いや嬉しくないけど。





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