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 厨房を覗くと、すでに吉原さんの姿はなかった。そういえば昨日、九時半に家を出、祇園の料亭に向かうと言っていたような気がする。
 母の座った向かい側のソファに腰を下ろすと、すぐに茜も隣に飛び乗った。


 「遅いな」


 予定では九時半に、吉原さんと入れ替わるように到着するはずの宣之さんが来ない。


 「本当ですわね。渋滞かしら」
 「地下鉄じゃなかったか?」
 「バスなら遅れることがございますわ」


 僕らのやり取りを聞いて、母は時計を見ながらそわそわしている。十一時には出勤しなくてはならないそうだ。


 「もし十時半まで着かなかったら、あなたたち二人、お出迎えして差し上げて」


 焦げ茶色のボブヘアを手櫛でときながら、母は困ったように言った。

 その時、ドアチャイムが鳴った。


 「きっと桜庭の叔父様だわ」
 「あら、到着したかしら」


 二人はリビングを出、玄関へ向かった。
 僕は一人ぼんやりとしていたが、やがて話し声が聞こえ、出迎えなければと席を立つ。


 「すみません奥様、なにぶん電車が混み合ってまして………」


 宣之さんの声がした。
 玄関には母と茜の後ろ姿がある。


 「もう洛中は観光客で賑わう時期ですもの。お疲れ様です」
 「申し訳ないです」
 「さぁ上がってください、龍馬も帰って来てるんです」
 「―――龍馬?」


 聞き覚えのある、ハスキーな声がした。


 「娘と、息子がいるの。息子はちょうど晴一さんの二つ下かしら。全寮制の学校に通わせているんだけど、昨日帰ってきたのよ」


 二人の間から、宣之さんと、その息子の姿が見える。
 アッシュブラウンの髪色。身長は高く、彫りの深い目元は気だるく影を落としている。

 『―――きっと桜庭の叔父様だわ』
 何故気付かなかったのだろう。宣之さんの名字くらい、僕も知っていた。しかし"彼"と結び付けることもなかった。考えれば、名字と所在地が符合し、更に「料理上手」となれば簡単に推理出来そうなものだ。

 彼は母の肩越しに僕の姿を認め、その目を大きく見開いた。


 「き、さき?」
 「お早うございます―――…桜庭先輩」


 僕は"宣之さんの息子"に礼をした。
 それは、古賀学園風紀委員会の先輩でもある。




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