歌う鏡のその奥で
「あー…てゆか誰?」
静かな部屋にそう一言こぼれた。
***********
寝かされていたベッドから降り、床に正座をする。なんとなく。
(さてさてさて…。まっっったく状況が掴めないんですが。……ここはどこ?私は誰?今何時?)
あ、私は柚希。と、少々混乱しつつも状況整理を試みる。
(えっと、昨日の夜変なとこに来ちゃって、色々あってちっさいのとヤタさんに助けられて、その後落ちて、分かんないけどこのお家にきて、そんで円周率を聞かれて…)
何 故 に 円 周 率 …?
わ、分からない…けど、それを聞いて巫女だって言ってたし。うー、ますます分かんないし。
あ、算数の巫女ですか!
…そんな訳ないですよねー。
「…ん?」
かすかに音が聞こえる。耳を澄ますとそれは美しい声が奏でる旋律だった。
その歌声に引き寄せられるかのように自然と身体が動く。家主に何も言わず歩き回るのは気がひけるせいか、無意識にこっそりと部屋の扉をあけ、辺りを見渡す。
(だんろ…と、鏡?)
少し歩いて、角を曲がった所にそれはあった。ぱちぱちと薪を燃やす大きな暖炉に、幅はあまり広くないが自分の背よりずっと高い姿見。
暖炉なんて初めて生で見た。火だ。うん、何か分からないけど良いなぁ…暖炉って。鏡の上の方、飾りがタイルみたい。あ、変なマークが描いてある。それで…
(歌は…鏡から?)
「っっ!!」
視線を下ろし、鏡を見た瞬間恐怖で凍りついた。
この鏡―…
「あ…」
私、写ってない――…
「な…これ…どーゆー…」
あり得ない現象に身体が震える。声が掠れて上手く出ない。
「何…で」
何で何で何で何で。
恐怖と疑問が頭の中を駆け巡る。が、前者の方が格段に強い。強いのだが、なぜか鏡から視線を外す事が出来ない。
「え…?」
ふいにあたりが無音になった。と、思った直後氷で出来た鈴をならしたような、高くて清雅な音が頭の中に鳴り響く。するとそれを合図にしたように淡い光が次々と現れ、柚希を包み白で視界を奪いさった。
「――っ!!」
*********
先程チシュウとシキがお茶をしていた部屋には、戦闘で汚れた服を着替えたキョウとヤタがくつろいでいた。
「つか、あんな暴力女が巫女だったとは…。もっとこう、何つーかしとやかなモン想像してた」
片肘をつき、むすっとした表情で愚痴るキョウ。見るからにテンションが低い。
「?巫女は全然暴力女なんかじゃないぞ?」
そう答えたヤタは持っていたお茶を置き、キョトンとしている。
「だっ、おま、見ただろ?!いきなり殴られたんだぞ!?」
「だってアレはキョウが悪い。」
まだ少し腫れてる頬を擦りながら反論するも、一刀両断された。でもめげない。
「いんや、ぜってー暴りょ…」
ふと、手に持ったコップに違和感を覚えた。
「ん?」
冷たい。服を通しても伝わるこの冷たさ。
「凍って、る…ぞ?」
キョウの変化を不思議に思ったヤタがコップを覗きこみ言った。
「凍ってる…な」
確かに凍っていた。
「…巫女。目ぇさめたんだけど…」
「どわぁっ!!?」「っっ!!!」
いきなり背後から発せられたどす黒い声に、驚きのあまりコップを放り出す。びっくりしてテーブルに脇腹を思い切りぶつけてしまったヤタは、あまりの痛さにうずくまった。
幸いコップは落下先が畳の上だった為割れず、中身も凍っていたので溢れなかったが、キョウも膝・肘を思い切りぶつけていた。凄く痛い。
声の主は長い銀髪の青年、ユウヒだった。
「どっ…ど…どうした?!」
長い袖で見えない手を胸にあて、荒れ狂った脈拍を落ち着かせようとするも、一向に落ち着かない。しかも膝と肘が痛い。ヤタなんかうずくまったまま動かなかった。
「あの人(巫女)起きたから…。」
いつも感情を隠さないユウヒ。なんでそんなに機嫌が悪いんだ。って言うか怖いぞお前。
普段から不機嫌そうなユウヒだが、今の彼は尋常じゃない。見たもの全てを凍てつかせるオーラを纏い、いつもより眉間に皺が深く刻まれている。近寄りがたいなんて話ではなく、心のそこから近寄りたくない。本気でごめんだ。
でも、ただ不機嫌なだけとはどこか違うような気がするのは気のせいだろうか。
「…外、行ってくる。夕飯いらないから。」
そう言い踵を返し部屋を出ていくユウヒに、今の彼なら心配はないとは思いつつ「お…おう。気ぃ付けろよ…」と声をかけたキョウだった。
***********
うぅぅ眩しかったー。
「ここは…?」
上も下も白い世界。ぽわぽわと淡い光が所々に浮かんでいる。
何ここ…。私さっきまで鏡の前に…。っ鏡、私写って無かっ…た。
思い出したらまた恐怖が襲ってきた。一人ぼっちのこの場所で、言葉に出来ない不安でいっぱいになる。どうすれば良いのか分からない。私はどうしたら…!
「っ…さっきの、歌?」
微かに聞こえた。
その声にすがるかのように瞼を閉じる。
聴こえる…
きこえる―…
涙が出る程 優しい声の
切ないくらいの 癒しの旋律が―…
恐怖が薄れ、落ち着きをとりもどし瞼をあけると、誰も居なかった筈のそこに確かがいた。
「ユズキ…?」
人でないそのヒトは私を真っ直ぐみてそう呟いた。
歌う鏡のその奥で・終
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