1 ゆらり、ゆらりと世界が揺れる。 数センチ先も見えない闇の中、ぼんやりと浮かび上がる影があった。 「…誰?」 目を凝らしてその影を見る。段々とその全貌がはっきりとしてきた影に壱与は目を見開いた。人影だ。それも女の人。 ドクン、と壱与の心臓が大きくはねた。 闇のせいで容姿までははっきりとしない。でもこの人は。 「貴女のせいよ」 凛とした声が響く。 もう二度と耳にすることはないと思っていた声に壱与は肩を震わせた。 ゆらり、ゆらりと世界が揺れる。 その人の声を聞き間違えるはずがなかった。 ああ、そうか。揺れているのは世界ではなく自分自身。貴女の、せい。その言葉に心が揺れる。貴女の、せい。そうだ。あなたがそうなってしまったのは、私の――。 「貴女のせいよ。返して、私の命」 輪郭が浮かびあがる。 長年側で見てきた筈の秀麗な顔が憎しみの色を滲ませて歪んだ。 「貴女のせいよ。返して」 ごめんなさい、ごめんなさい。何度も謝りながら壱与は人影に手を伸ばす。 謝ってすむような事ではないけれど、それでも壱与はその言葉を繰り返しながら彼女の名を呼んだ。 「卑弥呼さま!」 ◆ ◆ ◆ ◆ 「卑弥呼さま!」 がばりと起き上がると同時に額に衝撃が走る。 視界いっぱいに広がる白色に壱与は小さな悲鳴をあげた。 「ぎゃあ、え、えっ?」 「いたーい、モコナ痛いの」 顔にへばり付いている物体を引きはがして額をさする。 ひりひりと痛むそれの原因をつくった白い物体、いやモコナを壱与は力の限り睨みつけた。 「何すんの、痛いじゃない」 「モコナも痛かったの!だから、お・あ・い・こ」 てへ、とごまかすように笑うモコナにイラリとする。が、モコナの顔に腫れている部分があるのを見つけた壱与は溜息とともにその怒りを吐き出した。 そのときだ。 「さくら!」 叫び声が耳に響く。隣に視線を向けた壱与は何かを探すように目線をさ迷わせている小狼を見た。彼の腕の中には一向に目を覚ます気配のないさくらという名の少女が。 壱与は小狼の肩を叩いてからさくらを指差した。 「そこにいる」 自身の腕の中にいる少女の姿を視認した小狼はほっと息を吐き出すと同時に彼女の体をぎゅっと抱きしめた。 その姿に思わず目許を和ませる。と、男の声が響いた。 「あー、二人とも目が覚めたみたいだねえ」 随分と間延びした話し方だと思う。視線を向けると金髪の男が微笑んでいた。確か、ファイといったか。 「寝ながらでも、その子のこと、絶対離さなかったんだよ。君、えっと…」 「小狼です」 ファイはへにゃりと笑えを更に崩して微笑んだ。 「こっちは、名前長いんだー。ファイでいいよー。君はー?」 「私?」 視線を向けられて壱与は首を傾ける。 一瞬躊躇した後、壱与は短く自身の名を告げた。 「壱与」 「壱与ちゃんかぁ。じゃあ、そっちの黒いのはなんて呼ぼうかー」 黒いの、と呼ばれたことに、それまで部屋の隅にいた黒鋼の眉間に紫波が刻まれる。 彼は怒声をあげた。 「黒いのじゃねぇ!黒鋼だっ!」 「くろがねねー」 楽しそうに呟きながら、ファイが黒鋼のあだ名を考えはじめる。 くろちゃんだとかくろりんだとか、本人には似合わないあだ名を次々と呟いていくファイに思わず壱与はふきだした。 黒鋼の眉間に更に一本紫波が刻まれる。 「おい女、笑ってんじゃねえよ」 「女なんて名前じゃない、壱与だ」 黒鋼に睨まれて反射的に壱与はそう返す。 しばらく黒鋼と睨み合っていた壱与は、ふとそれに飽きたのか未だ眠ったままのさくらに視線を向けた。 彼女の顔に生気はない。服から覗く青白い体はまるで死体のようにも見えた。 大丈夫なのだろうか。壱与がそう思ったとき、ファイの手が小狼に伸びた。 彼の身につけているマントの中に手を伸ばしたファイは、そのまま彼の体をごそごそと触りはじめる。 驚いて声を上げる小狼に、しかしファイは構う様子はない。 壱与は背筋を震わせた。 「ちょっとあんた!」 「なに、してんだてめぇ」 引き気味の壱与と黒鋼に、しかしファイは全く気にする素振りを見せない。 しばらくそうしていた彼は小狼のマントの中から不思議な模様が描かれた一枚の羽根を取り出してみせた。 「これ、記憶のカケラだねえ。その子の」 小狼が目を瞠く。 「君に引っ掛かってたんだよ。ひとつだけ」 ふわりと、記憶の羽根がファイの手を離れ宙に浮かんだ。 そしてそのまま羽根は一直線に飛来してさくらの胸の中に吸い込まれていく。 「これが、さくらの記憶のカケラ」 小狼が呟いた。 先程まで死体のようだったさくらの体に生気が戻っていく。 赤みのさした彼女の頬を見て壱与は安堵の息を吐き出した。 . [次へ#] |