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しょっぱい飴


一太郎は泣いていた。

最近は随分と体調もよく、今日は父の藤兵衛と兄やで小僧の仁吉と三人で、天神様の近くまで来ていたのだが、あまりに人が多いので、二人が目を離すともないうちに人混みに呑まれ一太郎は迷子になってしまった。
通りはがやがやと行商や買い物客で賑わっていて、父と兄やの姿は見えない。
二人とはぐれた所に留まっていればすぐに遭えそうなものだが、この人混みである。踏み潰されないだけましなもの。
十にもならない子どもの一太郎など、あっという間に人混みに流されてしまった。

(どこにいるの? おとっつぁん…)

人混みの脇、一太郎の知らない妖が化けている野菜売りの荷台の傍らに座り込みながら、姿の見えない父を思った。
鳴家の一匹でもいればどんなに心強かったが、生憎今日は皆、離れで若だんなの帰りを待っているのだった。

(仁吉、われはここにいるよ!)

ぎゅっと目を一度瞑り、祈るように思いを込めて周りを見渡しても、二人の姿はない。
いよいよ一太郎は心細くなり、寂しさを紛らわそうと、今朝藤兵衛からもらった飴を一粒口に放り込んだ。
甘い甘いその味が小さな舌から伝わって、ほんのちょっぴり肢体の先まで元気になったような気がする。
だがそれも、知らずと瞼に込み上げてくるもののせいで、暫くするとしょっぱさだけがじわりと響く。

「……美味しく、ない」

口の中の飴を通して零れた呟きは、一太郎自身の耳にも届かない。
だがその時、

「一太郎ぼっちゃん!」

大好きな声が耳に届き、一瞬、大きく心臓が跳ねる。

(あ…近くに、仁吉がいるんだ)

吃驚して口の中の飴を落としそうになり、慌てて小さな両手で口を塞いだ。
兄やがすぐ近くにいる……そう思っただけで、ほっと肩の力が抜けたが、頭には次いですぐ怒った兄やの顔が浮かび、進み出そうとした足が一歩止まる。
だがそれも束の間。
その顔が見えた瞬間に、とまどっていた足が宙に浮いた。

「一太郎ぼっちゃん……よかった…ご無事で」

一太郎の姿を捉えた刹那、人と人との間を風のようにすり抜けた仁吉が、やや汗ばんだ顔に微笑みを浮かべて一太郎を大事そうに抱き上げた。

「怪我は……ないですね。よかった。あたしの心の蔵が止まるかと思いました」

そう言って、今度はしっかりと微笑んだ仁吉を目の前に、瞼が熱く、周りが滲む。
怒られるかもと、一度立ち止まった己が恥ずかしかった。
そうなのだ。
怒ると怖い仁吉でも、今日も昨日もいつもいつも、優しい兄やだとわかっていた。
零れたものを見られまいとしたのか、兄や恋しさ故か、はたまたその両方か。
仁吉がその涙を拭おうと手を伸ばす前に、一太郎は仁吉の首に両手をぎゅっと回し、声を押し殺して黙ったまま仁吉の肩口を濡らした。

「……ぼっちゃん?」

仁吉は一寸驚いた様子だったが、近くの休憩処に腰掛けると、泣き止んでもずっと顔を見せず己に抱きついたままの一太郎の背を優しく撫で続けた。

「そろそろ帰らないと、おかみさんや佐助に怒られそうです。一太郎ぼっちゃん、旦那様を見つけなくては」

暫くして、一太郎を捜す為別れた主人を思い出したのか、流石にそろそろ顔を上げてくれまいかと仁吉は一太郎を伺う。
だが珍しいことに、泣き止んでも一太郎は顔を上げようとも、手を離そうとしない。

(久しぶりの外出で、ぼっちゃんも大分疲れたらしい)

一人小さな微笑を漏らした仁吉は、一太郎を抱き上げたまま藤兵衛と遭うべく、ゆっくりと歩き始めた。
それでもまだ顔を上げようとしない一太郎に、少し意地悪く問うてみる。

「やれ、もうすぐ十になるといっても、やっぱりまだまだ一太郎ぼっちゃんはお子様ですね」

これを耳元で聞いた一太郎は、ぱっと顔を上げて、まだ赤く腫れ潤んでいる目で兄やを睨んだ。

「……われは、もう、子どもじゃないもん」

ぷくっと頬を膨らませるその表情に目を細くしながらも、仁吉がまた小さく訊ねた。

「おや。ではなんでまた、ぼっちゃんの目は赤いんでしょう」

これを聞いた一太郎は一言ぽつりと呟いた後、またその顔を見せぬよう、仁吉に抱きついて離れなかった。

「だって、飴がしょっぱいんだよ」

舌に広がる甘さはきっと、回した腕の先から伝わるのだと、藤兵衛の声が届く前に一太郎は感じた。



二周年 兼 訪問者様感謝/2010.0201
仁吉にべた甘にされる若だんな


あきゅろす。
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